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拙作小説を、外部で添削して貰った時の違和感の話。

 減らそうと思っているはずのタバコを、最近ガシガシ吸ってしまうので、ストレスが溜まっているのだと思います(挨拶)。

 と、いうわけで、不二川です。

 どういうわけか、昨日の昼間の記憶がすっぽりと抜け落ちており、自分で自分が心配になる今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 今回の記事は、「添削サービスを利用した結果!」とかいった話です。


一般文芸へ応募するには?

 さて。先月末ぐらいの話です。2月に応募した、KADOKAWAのライト文芸の賞である、「富士見ノベル大賞」の、第一次選考結果が発表されました。

 極めて順当に、と申しますか、一次で敗退。まあね、別に期待していたわけでもなし、ライト文芸のジャンルは、女性向けか、ミステリ、あるいはその両方が強いのが定石です。

 僕が書いたような、男性向け王道ラブコメは、どう考えても(暗示的)カテゴリエラーだったのでは? とは思います。

 加えて、その拙作においては、かなり明確な性描写がありました。(想定読者層が若い)「ライト○○」を冠する賞においては、そこもマイナスポイントだったんじゃ? と。

 以前、こんな記事を書かせて頂きました。

 「一般文芸に切り替えた方がいいんじゃね?」って話ですね。

 じゃあってことで、その、ライト文芸で敗退した作品を、今度は一般文芸に出してみてはどうだろう? と、(短絡的に)思ったんですよ。

 ただ、前掲の記事で挙げた、「小説すばる新人賞」は、一人一作のみ応募可能。今現在書いている作品を出す予定なので、そこは譲れない。

 他に締め切りが近い賞は? と考えて、やはりKADOKAWA系列ではありますが、「小説野性時代新人賞」は? と思いました。

 しかし、ラノベと一般文芸では、色々と作法が違うもの。念には念を入れておこうと思い、「ココナラ」経由で、原稿を、外部の添削サービスに出しました。

ワカるところと、そうではないところ

 サービスを購入し、原稿を先方さんに送ると、異例の早さで、講評が納品されました。

 頭ごなしに否定されはしませんでした(ってか、そんな事をしてりゃあ、購入者がいなくなります)が、問題点を結構指摘されました。

 最初に指摘されたのが、「解釈の余白」の問題。

 僕自身、言われて初めて「そういえばそうだな」と気付いたのですが、キャラクターの心情を、一から十まで細かく書くのではなく、ある程度、読者に判断を委ねること。

 それに照らせば、僕の作品は「ラノベの書き方だ」と言われたのですが、そりゃあ当たり前ですよ。だって、そもそもラノベの賞に出すつもりで書いたんですから。

 次に指摘されたのが、「キャラクターの深み」について。

 要するに、キャラクターに二面性を持たせるなどして、深みを出した方がいい、という問題ですね。

 なるほど、この点も、僕自身、かつてシナリオ養成所で修行していた頃に学んだことではあります。

 しかし、「あくまでも一例であり、この通りにしろというわけではありません」という注釈はついていたのですが、その「例」が、極めて偏っていました。

 例えば、「主人公は、実は、被差別部落の出身である」とか、「親が殺人犯である」とか。

 はたまた、主人公に影響を与えていく主要キャラにしても、「昼間の明るく真っ直ぐな素行とは裏腹に、夜になると悪い連中とつるんでいる」とか、「実はゲイで、夜な夜な男を漁っている」とか。

物語の役割とは?

 講評では、「目の肥えた読者を唸らせるには」という表現が、何度か出てきました。それすなわち、僕の今の力量では、かなわない、ということでしょう。

 いえ、そこに不満があるのではないのですよ。気になったのは、その「唸らせ方」が、ことごとく暗い。

 確かに、現代社会の暗部を抉る、とか、人の心の闇に迫る、とかも、エンターテインメント小説の、重要な役割ではありましょう。

 しかし、それが全てでしょうか? 表現は適切ではないですが、みんな、そんなに「空想の中でさえ、摩耗したい」のか?

 少なくとも、僕は嫌です。だから、できるだけ楽しい、肩に力を入れなくて済む作品を、ずっと書き続けています。

 再度触れますが、『成瀬は天下を取りにいく』。あの作品を振り返ると、読んでいて嫌な気持ちにならなかったどころか、爽やかささえ覚えました。

 そういう成功例があるにも関わらず、隙あらば暗い要素を入れようとするのは、なんか、というか、確実に違うんじゃねえか?

ブンガクブンガクうるせえよ!

 解釈の余白の問題は、ヴッちゃけどうとでもなるのですが、その他の点が直せない。僕は、自作を不要に暗くしたいわけではない。はっきり申し上げて、この出品者さんに、不信感が芽生えました。

 考えた結果、さらに費用がかさむのは承知の上で、また別の方に、添削を依頼することにしました。

 いや、別に僕も、自分に都合のいい講評をもらいたいわけでは決してないのですが、フラットじゃない上に、改稿のしようがない意見をもらっても、困るだけですから。

 あくまでも僕の感覚なのですが、どうにも、「ブンガク」(異質感を表すために、あえてカタカナで書きます)を志す人、あるいは、現場にいる一部の作家さん方も、なーんか、無駄な高尚さを求めており、硬直化しているように思えるんですよね。

 文学に、もっと自由を! そんな、おためごかしライクな主張をする、50歳、盛夏。

 んじゃまた。


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