怪談市場 第六十二話
『弓道場の怪 後篇』
前回、私が通っていた高校の弓道場で発生する怪奇現象の数々を紹介した。
その弓道場で、一夜を明かしたことがある。
興味本位で泊ったのではない。肝試しや心霊スポット探訪に興味がないのは、今も昔も変わらない。やむにやまれぬ事情があったのだ。
前置きが長くなるので時間のある方だけお付き合いいただきたい。
当時、私は「地歴部」という郷土史を研究するサークルに所属していた。主な活動内容は、地元の伝統的な奇祭の調査と、新興住宅造成地で発見された縄文、弥生時代の住居跡を発掘する作業。
それは高校二年の夏休みも残りわずかとなった日の午後。地歴部顧問の老教師から電話が入った。
「珍しいモノが出土したから復元を手伝ってくれ。メシ代ぐらいは払うから」
という。
とくに用事はない。「出土」と言うからには、土器であろう。土器の復元なら手なれたものだ。自宅と違い地歴部の活動拠点である社会科教室はクーラーがあって快適。おまけに小遣銭も稼げる――私はふたつ返事で引き受けると、同じ地歴部員であるA君、S君、T君の三人を動員し、学校へ向かった。
しかし我々を待ちうけていたのは、土器ではなかった。
顧問の老教師が乗ってきた軽トラックの荷台に積まれた、大きな石の数々。厚さは10センチ前後、大きさは一抱えもありそうな石の板が、10枚ほど。
顧問の話では、造成地から出土したのは石棺だそうだ。石の棺桶である。経年劣化や地殻変動の影響もあり、バラバラに壊れた状態で出土したため、復元しろという。
「先生、こんなの勝手に持ってきちゃっていいのか?」
私の質問は無視され、復元作業が始まった。もちろん、クーラーが効いた屋内の作業ではない。炎天下の肉体労働である。
棺桶の蓋は「朱」が入っているのですぐわかった。朱とは水銀で描かれた文様で、不定形の円にも、梵字にも見える図が、文字通り朱色に浮かんでいる。それはまるで死者を「弔う」というより「封印する」ための呪術のように見えて、とても嫌な予感がした。
パーツひとつが十キロ前後のパズルを、ああでもないこうでもないと、汗だくで組み直したり裏返したり向きをかえたりを繰り返すこと、およそ二時間。ようやく石の棺桶が組み上がった頃には、長い夏の日も傾きかけていた。
「完成したら図書室の前に安置しよう」
顧問がそう指示する。二棟の校舎に挟まれた中庭は、中央の通路こそウレタン舗装が施されているが、両側は芝生敷きの植え込みになっている。そこへ石棺と同じ形と大きさの穴を掘り、石の板を組み上げた通りに配置する。蓋はその隣の地面へ置いた。
「これで他の生徒たちも自由に見学できるな」
顧問は満足そうにうなずいた。こんなもの見たがる酔狂な生徒がいるかは疑問だが、我々部員は余計な口を挟まず、老教師から「メシ代」の五千円札をせしめた。すぐには食事に行かず、エアコンの効いた社会科教室で涼みながら、何を食おうかなどと、ひとしきりダベる。
これが、いけなかった。
ふと気付けば、あれほど晴れ渡っていた夏空に、凶悪なほど黒い雲が垂れこめている。「これはマズイ!」と慌てて帰り支度をして教室を飛び出せば、狙いすましたように大粒の雨が落ちてくる。湿った空気を震わせて、雷鳴が響いた。とりあえず雨雲が通り過ぎるまで雨宿りしようと、我々は社会科教室へ戻る。だが雷雨はやむ気配を見せない。むしろますます激しくなっていく。
教室に設置されたテレビを見ながら三時間ほど時間を潰した頃、それまで隣の社会科準備室で書類仕事をしていた顧問が、「そろそろ帰るぞー」と我々を締め出しにかかった。昇降口から追い出し、鍵をかける。目の前には石棺を積んできた軽トラックが横付けされている。てっきり車で送ってもらえるのかと思えば、老教師は自分だけ乗り込むと、そのまま帰ってしまった。
雷雨の勢いは最高潮に達していた。
雨音が大きすぎて、肩を寄せ合っていても怒鳴らなければ話し声が聞き取れない。雷鳴は鈍重な「ゴロゴロ」ではなく、生木を裂くような「パリパリ」という乾いた音。稲妻は絶え間なく青白い光を放ち、その光で読書ができそうなほど。我々が取り残された昇降口の庇の下も、ときおり風にあおられた雨が容赦なく吹きこんでくる。
後にも先にも、あんなに激しい雷雨にはお目にかかったことがない。
「これ絶対、棺桶いじった祟りだよな」
誰もが考えていたことを、T君が口にした。
「お腹減ったし、どうしたらいいんだろう……」
S君が弱音を吐く。
「仕方ない、今夜は道場に泊まろう」
A君が提案する。彼は地歴部と掛け持ちで弓道部にも所属しており、道場の鍵を持っていたのだ。我々は校舎にへばりつくように雨を避け、弓道場へ向かった。
弓道場で頻発する怪奇現象の数々は皆の知るところだが、それでも雨風をしのげ、落雷から身を守れる屋根の下はありがたい。乾いたタオルで濡れた頭を拭くと活き返った気がしたし、電熱器で沸かした湯で淹れた日本茶は空腹にしみて美味かった。やがてトランプを持ちだし、板の間に座り込んで七並べを始める頃には道場の怪現象など頭から消え失せていた。
しかし、天災と怪奇現象は忘れたころにやってくる。
しかも、やってきたのは弦の鳴りでも太鼓の音でも見知らぬ女子部員でもなかった。
七並べを始めて2時間が過ぎ、私がこれ見よがしにハートの6を止めてみんなから睨まれていたときのこと。
「うおおおおぉぉぉぉぉーっ!!」
道場のすぐ外、雨音を裂いて野太い絶叫が響いた。
ありえない。深夜の学校だし、夏休み中だ。しかも未曾有の豪雨と雷。そんな状況で人間が存在するわけがない。老教師に使い捨てにされた間抜けな我々以外には。
「なんだ、いまの?」
A君が呟く。他の三人もトランプから顔を上げて辺りを見回す。私だけの聴き違いではなかった。
「やっぱ棺桶いじった祟りだって、絶対!」
T君がまた嫌なことを言った。
「これって僕ら一人ずつ殺されるパターンだよね?」
S君が絶望的観測を披露する。
確かに、タブーを犯した若者たちがいわくつきの施設に閉じ込められ、化け物に次々と惨殺される――ホラー映画では定番の展開である。
すぐにでも逃げ出したいが、外へ出るのは怖い。万が一襲われたときのために武器を探すが、使えそうなものはない。弓道場だけに弓と矢は売るほどあるが、あれは武器として使えるものではない。
知恵も勇気も武器もない高校生にできることは、脅えながら七並べを続けることだけだった。
結論からいえば、それ以上の怪異が発生することはなかった。
やがて雷雲は遠のき、東の空が明るくなってきた。
早すぎる夏の朝、弓道場を出た我々は自転車に飛び乗り、冷えた空気を裂くように忌まわしい学校を離脱した。
それから十数年後、この夜の記憶がリアルに蘇ったことがある。
プレイステーションで「バイオハザード3 LAST ESCAPE」をプレイしていたときのこと。
ジルを執拗に狙う追跡者が時折放つ雄叫びが、弓道場で聴いた何者かの絶叫とソックリだったのである。
そして最近、Googleマップの航空写真で母校を拡大表示し、問題の図書室前を確認してみた。中庭は駐車場として舗装され、我々が安置した石棺は見当たらない。撤去や移動に関わった人々が、無事であることを祈るばかりだ。
終
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