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怪談市場 第六十八話

『千羽鶴』(多岐川先生6)

クラスメートの女子が入院したため、みんなで千羽鶴を折ることになった。
はじめは学級内の活動予定だったが、自然と話は広がって、他のクラスの友人や部活の後輩たちも協力を申し出てくれた。そうなると教室では手狭なため、放課後の図書室で作業することに決まった。
放課後の図書室は閑散としていた。
空いていた大テーブルをふたつ借用し、みんなで鶴を折った。
「病気なんかに負けんな」
「先輩の顔見ないと寂しっす」
「退院したらカラオケ行くぞー」
一人ひとり励ましの言葉を、サインペンで折り紙の裏へ書き込み、鶴を折る。折りながら誰ともなく、入院した女子との思い出話をはじめた。私語は厳禁と分かっていても、次第に盛り上がるのは無理もない。
ふと気付けば、折り紙を鮮やかに広げたテーブルのかたわらに一人の女性教師がたたずみ、千羽鶴を折る少女たちの手元を覗き込んでいる。てっきり私語を注意されるものと覚悟したが、違った。
「私にも手伝わせて」
そう申し出たのは、現代国語担当の多岐川先生だった。一瞬、千羽鶴作成有志一同に、微妙な空気が漂う。
色白で小柄で華奢で、体が弱く授業も休みがちで、時間があれば読書をしている図書室の主のような女性教諭だ。ときおり身の回りに不思議な現象、奇怪な事件が発生するため、一部の生徒からは「オカルト先生」やら「怨霊教師」などの称号を頂戴し、時に親しまれ、時には蔑まれている。
「千羽鶴といえばね、その昔こんなことがあって……」
白く細い指で鶴を折りながら多岐川先生は、次のような話をしてくれた。

20年ほど前のこと、小学6年生の女の子が入院した。
クラスの子供たち全員で千羽鶴を折ることが、学級会で決まった。
やはり今日のように、ひとり一人が折り紙一枚一枚に、思い思いの回復を祈るメッセージをしたため、みんなで鶴を折っていく。
そんな中ひとりだけ、折り紙を操る手の滞りがちな女生徒がいた。
仮に、K子としよう。
彼女はスポーツ好きで成績も良好、快活で児童会長に推薦されるほど人望が厚く、いつもクラスの中心にいる——そんな女子だった。
それに引き換え、入院した女の子は普段から病弱で学校を休みがち。性格も暗く友達はほとんどいない。なのに成績だけはトップクラス。それをK子は普段から不愉快に思っていたが、もちろん言葉にしたことはない。健康と人望を勝ち取った優越感によって感情のバランスを保っていた。そのバランスが、千羽鶴を折る作業の途中で崩れた。
(いま、クラスの中心に存在するのは私ではなく、虚弱で地味なあの女)
そう考えたら、揺るぎないと自負していた理性にヒビが入り、負の感情が溢れ出た。もちろん言葉に出さず、表情にさえ出さない。
ただし、指に出た。
心にもないありきたりな慰めの言葉を却下し、折り紙の裏に「死ね」と殴り書きして鶴に折り込んだ。
一部悪意を含んだ千羽鶴は完成し、入院した女の子へ届けられた。
女の子が再びクラスメートの前に現れることはなかった。
担任の説明によれば、「彼女は父親の仕事の都合で急に遠い土地へ引っ越すこととなり、友達に挨拶する暇もなく転校してしまった」とのこと。一方で、「転校はクラスメートを動揺させないための方便で、じつは病死したのだ」という噂も、まことしやかに流布した。
「死ね」と記した色紙で鶴を折ったせいだろうか——当初は時折そんな後悔にさいなまれたK子だったが、クラスの中心人物としての役割を忙しくこなすうち、病弱なクラスメートの存在も気まぐれな嫌がらせの実行も、きれいに忘れ去った。
やがて中学へ進級。
相変わらずK子は、持ち前の頭脳と運動神経とバイタリティーを活かし、早くも生徒と教師から人望を勝ち取り、校内における中心人物となりつつあった。だが、そんな矢先に不運にも体調を崩し、入院してしまう。
病名は、自然気胸。
幸い症状は軽く、胸腔内に残留した空気を除去する簡単な手術の直後から順調に回復。この調子なら一週間を待たずに退院できると、担当医も太鼓判を押すほど。そうとは知らずにクラスメートたちは、大急ぎで千羽鶴をこしらえ、手術から二日目のK子を見舞った。そんな大病ではないのにとしきりに恐縮して見せたが、内心はまんざらでもない。労力の結晶である色とりどりの千羽鶴が、すでにK子はクラスの中心人物であると雄弁に語っている。患った胸の穴さえも、誇りによって急速に修復される思いだ。
だがK子の高揚も、長くは続かなかった。
見舞いのクラスメートが帰って間もなく、一抹の不安がK子の胸をよぎる。
(この千羽鶴が、すべて善意だと信じていいのだろうか? たとえ遊び半分でも「死ね」と記した色紙で折った鶴が交ざってはいまいか……以前、自分が誰かにしたように)
そう考えたら、いてもたってもいられない。
K子は枕元に吊られた千羽鶴を引きずり下ろし、束ねた綴じ糸から一つひとつ外しては折られた鶴を開き、折り紙の裏に書かれた文字を確認していった。
「お大事に。一日も早い回復を祈ります」
「病気なんかに負けないで! Fight!!」
「君がいないと教室が寂しいよー」
折鶴にしたためられたメッセージは、すべて善意に溢れていた。危惧していた悪意は、一片たりとも発見できなかった。K子は大きく安堵の溜息をつきながら、自分の臆病を笑った。
(手術はうまくいった。病身は目に見えて快方に向かっている。友達は一人残らず、一点の悪意さえ抱いていない——もう、なにも心配はないんだ)
だが、K子が病室から教室へ戻ることはなかった。
順調だった回復が急停止し、徐々に体調が悪化し始めた。気胸の症状は再発していないし、二次感染を起こしたわけでもない。原因がわからず医者も手をこまねいているうち、坂を転がるように衰弱し、華やかで順調すぎた学園生活のツケを払うように、K子の短い人生は幕を閉じた。彼女は悪意の鶴を折った過去について、うわ言のように詫びながら死んでいったという。

多岐川先生の昔語りが終わった。
話を聴きながらも女生徒たちの手は勤勉に動いていたようで、大テーブルの上には色とりどりの鶴が、人数分だけ転々とコロニーを形成している。先生の様子が変化したことに気づき、何人かの生徒が息をのんだ。普段は黒目がちで潤んだ目が、いつの間にかカッと見開き、瞳孔も引き締まっていた。細く頼りない声にも妙に張りがある。
「特定の人物に対し『災いあれ』と願うばかりが呪術ではありません。『幸あれ』と祈ることもまた呪術。作用する方向が正反対なだけで、その構造は同じ。ゆえに、千羽鶴を折るという行為は、まぎれもなく呪術です」
過去の話を終えた多岐川先生は、鶴を折る生徒たちを見回して説明を補足する。
クラスメートの病が一刻も早く治癒しますように——そんな純粋にして切実な祈りを文字に変換して紙にしたため、生命感あふれた鶴の形に折る。そのように神聖な儀式を千回も重ねた末に完成した千羽鶴を、K子は自らの手で解体してしまった。その結果、回復へと導くはずだった「祈り」は無効化したばかりか逆ベクトルに作用し、悪化の方向へ引き戻された。皮肉にも、友人たちの祈りが限りなく純真でひたむきだったために反動も大きく、K子は急速に生命力を削がれ、命を落としてしまった。
「要するにK子は、自分自身を呪い殺してしまったのです。かつて『死ね』と書いた紙で鶴を折るという呪術を行ったがために。たとえ遊び半分でも、それを呪いと自覚しなくても、思わぬ形で必ず自分に返ってくる。だからよほどの覚悟がなければ、人を呪ってはならないのです」
話を締めくくり、先生は女生徒たちを見回す。と、その中の一人が椅子を蹴って立ち上がり、目の前に広げた折鶴の群れから一羽を掴んで握りつぶし、スカートのポケットへ押し込んだ。
「こ、これちょっと形がよくないから作り直すわ。神聖な儀式だもの、ちゃんとやらないとね、テヘヘ……」
おどけて見せる女生徒の引きつった笑顔に、先生は満足げにうなずく。気まずい空気が流れる中、別の女子が控えめに挙手し、問いかけた。
「K子さんに呪われた女の子は、どうなってしまったんでしょうか……いたずら半分でも、『死ね』という文字を折り込まれた鶴を送られ、本当に命を落としてしまったのでしょうか?」
「心配してくれてありがとう。でも彼女は死んでいません。本当に父親の仕事の都合で転校しただけ」
質問に答えるその表情は、どこか寂しげで、そして優しげで、いつもの多岐川先生に戻っていた。
「お世辞にも健康とは言えないけど、いまでもなんとか生き延びて、こうして学校の先生をやっています」

第六十八話 千羽鶴 終

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