見出し画像

怪談市場 第三十四話

『穴ふたつ』(多岐川先生3)

「そんなの効かないわよ」

放課後のことだった。図書室で調べ物をしている最中に声をかけられ、エミさん(仮名)はかろうじて悲鳴を呑み込んだ。

本に集中しているところへ、気配もなく忍び寄った誰かに耳元で囁かれれば、驚いて当然だ。まして人目を忍び、他人を呪い殺す方法を調べていたのだから、動悸はなかなか治まるものではない。

声をかけてきたのは多岐川先生だった。

色白で小柄で華奢で、体が弱く授業も休みがちで、時間があれば読書をしている図書室の主のような教師だ。ときおり身の回りに不思議な現象、奇怪な事件が発生するため、一部の生徒からは「お化け先生」やら「幽霊教師」などと呼ばれて親しまれ、また蔑まれてもいる。

「先生が、確実に効く呪い、教えてあげようか」

民族学の書架から閲覧テーブルの片隅に運んできた『日本の呪術』的な分厚い本を、多岐川先生は勝手に閉じて戸惑うエミさんを覗き込む。その様子が、いつもと違っていた。普段は黒目がちで潤んだ目が、今日はカッと見開いて瞳孔も引き締まっている。細く頼りない声にも、妙に張りがあった。

「絶対に効く呪い――そんなものが本当にあるなら、ぜひ教えてください」

多岐川先生の様子や、教師が生徒に呪術を教授する是非など、気になる点は多々あるが、エミさんにとって一番の関心事は「確実な呪い」である。多岐川先生は大きくうなずいてエミさんに確認した。

「教えてあげるのはいいけど『人を呪わば穴ふたつ掘れ』よ。その覚悟はある?」

「もちろんです。あいつを呪い殺せるならば、アタシ、どうなってもかまいません!」

エミさんの嘘偽りない返答に、なぜか多岐川先生はふき出した。ひとしきり笑って、半ば諦めたように呟く。

「あなたも同じ勘違いをしたのね……いままで呪いの方法を知りたがった生徒たちと一緒」

「生徒たちって、そんな大勢に『確実に効く呪い』のレクチャーをほどこしたんですか?」

「知りたがった子は何人もいたけど、実際に呪術を教えたのは最初の1人だけよ……あれは確か、私がこの学校に赴任してすぐだから5年前、季節はちょうど今頃だった……」

隣のイスに腰掛けると、多岐川先生は記憶をたどりながら、エミさんに思い出話を語って聴かせた。

仮にA子とB子とC男として、2人の女子と1人の男子は同級生だった。A子とB子は中学時代からの親友。高校に入ってから、A子はC男と付き合い始めた。それからも3人の関係は良好――だったかに見えた。だが裏では、A子と付き合っていたC男に、B子が秘かに言い寄っていた。ある日ついにC男はA子に別れを告げ、B子と付き合い始めた。怒り狂ったA子は、B子を呪い殺す決心をした。

話を聴きながらエミさんは、多岐川先生の横顔から目が離せなかった。A子が誰かを呪い殺そうと決心した事情と人間関係が、エミさんの場合とまったく同じたったのだ。見透かされているのか――そんなエミさんの不安をよそに、多岐川先生は話を続ける。

「当時のA子さんも、今日のあなたのように呪術について血眼になって調べていたわ。だから『確実に効く呪術』を教えてあげたの。彼女、その日のうちに実行したらしいわ」

「それで、呪いは効いたんですか?」

身を乗り出して問うエミさんに、多岐川先生は不本意そうな一瞥を返した。

「失礼ね。効いたに決まってるでしょ。だから『確実に効く呪術』って言ってるんじゃない。呪術の実行から3日後に、B子さんは交通事故で即死したわ。まだ若いのに、かわいそう」

どの口が言うのだ――そう思ったが言葉にはせず話を促した。

「じゃあ、A子さんとC男さんはよりを戻したんですね?」

「いいえ。残念ながら、そう思い通りには行かなかった。B子さんの死を嘆き悲しんで、C男さんは首を吊ってしまった。後追い心中ね」

呆然として言葉を失うエミさんの頭の中、なにかが噛み合った。多岐川先生が指摘した「勘違い」にやっと気付いた。

「そうか! 人を呪ううえで掘らなければならないふたつの穴って……ひとつは当然、呪い殺された相手を埋める穴……でも、もうひとつは呪った自分を埋める穴ではなく……」

「そう、誰かを呪い殺してまで手に入れたかった大切な何かを、大切な誰かを埋めるための穴――この話をすると、それまで『確実に効く呪い』を知りたがっていたはずなのに、誰もが興味を失ってしまう。だから具体的な呪術の作法を教えたのは最初の1人、A子さんだけ。ところで、あなたはどうする?」

問いかける多岐川先生は妙に楽しげだった。それが不快で、エミさんは無言で席を立ち、図書室を後にした。

(冗談ではない。悪いのは元親友だ。元カレには死んでほしくない。いや、このさいキレイごとはよそう。元カレとよりを戻せないなら、元親友を呪う意味はない。ぶっちゃけ、元カレが他の女の後追い心中などしたら、アタシの立場がない!)

エミさんは元カレの教室へ向かった。毎日遅くまで元親友とふたりでいちゃついていることは知っている。楽しい語らいの場に乗り込むと、元カレと元親友は気まずさで凍りついた。無言で歩み寄ったエミさんは、元親友の頬を思い切り引っぱたいた。

(ふー、スッキリ!)

コレが正解だ。少なくとも呪いの儀式よりはるかに健全だ――エミさんは心からそう思った。

3日後、図書室へ出向いたエミさんの姿に、多岐川先生は小さな悲鳴を上げた。

「どうしたの? その怪我!」

潤んだ目に細い声――先日とは別人だ。いつもの先生に戻っていた。安堵したエミさんは痛みを堪え、無理におどけてみせた。

「てへっ、返り討ちにあっちゃいましたー」

にっくき元親友にビンタをくれてやったまではよかったが、まさかヒトのカレシを横取りした分際で殴り返してくるとは思わなかった。しかもグーで。あとは一方的に殴られ、蹴られの袋叩き状態だった。唇は切れ、顔と腕に青痣が浮き、足首は捻挫して、肋骨2本にヒビが入った。満身創痍である。元親友があれほど凶暴な女だとは思わなかった。それは元カレも一緒らしく、元親友の本性を目の当たりにして恐れをなし、急速に距離を取り始めた。ザマアミロである――そんな事情を説明すると、多岐川先生は困ったように首を傾げた。

「感心しないわね。暴力も呪いと同じ、“穴ふたつ掘れ”なのよ」

「でも暴力の場合、もうひとつの穴は自分専用だから、気が楽っす」

「ころで今日は何の用? もう、呪いに用はないんでしょう?」

「A子さんは、その後どうしてるんですか?」

おどけるだけの精神的な余裕が急激に失せ、エミさんは多岐川先生に詰め寄った。たった1人とはいえ“確実に効く呪い”の方法を知り、ためらいなく実行する人間がどこかにいる――それは完全犯罪の手段を得た殺人鬼が野に放たれたに等しい。

「安心して。彼女はたった1度の呪術を実行して間もなく心を病んで、ずっと入院しているわ。いまはもう呪術の方法はおろか、自分がどこの誰かさえも忘れて……」

そう言って多岐川先生は、とても悲しそうに眼を伏せた。

多岐川先生1 https://note.mu/ds_oshiro/n/n626ae51f14a6?magazine_key=mbed0c637d0d9

多岐川先生2 https://note.mu/ds_oshiro/n/nbed7a5287043?magazine_key=me0a9394df7c9

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?