映画感想①『ソウルフル・ワールド』

こんチワワ。

明けましておめでとうございます。

昨夜、無駄にテンションあげてnoteを書いてしまい、1日1映画を見ることになってました。何故でしょうか。

ということで記念すべき毎日投稿1日目の映画はこちら。

Disney PIXAR『ソウルフル・ワールド』

画像1

日本では12月11日公開だった映画なのですが、今では某ウイルスの関係でDisney+独占配信となっています。

配信の日を今か今かと待ちわびて12月25日クリスマスに配信されてました。配信直後に見ても良かったのですが、実家だとテレビの大画面で見れるため冬休みに入ってから見ました。

事前情報は何も入れずに見たんですが……

…あぁ~~~っ…ピクサー、やってくれるじゃねぇかよぉ…ンンン~~~~~~~~

良き。


<あらすじ>

中学校の音楽教師ジョー・ガードナーは、ある日、ひょんなとこから夢だったジャズ・ピアニストになるチャンスを手にする。ニューヨークで1番のジャズ・クラブで演奏ができると舞い上がった彼は、歩いている最中にマンホールへ落下してしまう。次に彼が目を覚ましたのは死後の世界。まだ死ねないと足掻きその空間から抜け出した彼は、人が生まれる前に「どんな自分になるか」を決めるソウルの世界へと導かれる。そこで出会ったのは、生まれることに不信感を持っている人間嫌いのソウル22番。ジョーと22番は、ジョーを地上に戻すためソウルの世界を旅していく。


まず、見て感じたのは、「好き嫌いが分かれる映画」だということです。そして、「完全に大人向けの映画」であるとも言えます。老若男女問わず好かれると思われているディズニー映画も、実はごく希に難しく面白くないと言われる映画があります。

例えば、『インサイド・ヘッド』。

感情を擬人化し、悲しみがあるから喜びという感情が生まれるという感情の表裏一体さを表わした映画です。かなり強いメッセージ性を持った映画なのですが、他のディズニー映画に比べると「哲学的で難しい」、「キャラデザが微妙」と世間からは厳しい意見を聞きます。

この『ソウルフル・ワールド』もかなり『インサイド・ヘッド』的な映画です。そもそも「死後の世界」、「生まれる前の世界」を描き魂を擬人化って設定だけでかなりスピリチュアル的ですからね。作中でも、死んでないにも関わらず、瞑想のみでソウルの世界に出入りしたり、物事に夢中になると”ゾーン”に入り込み魂だけがソウルの世界に入り込んだり、ぱっと見うさんくせ~シーンが散りばめられております。

ですが、この場面、私は見覚えがあるんですよ。米国での実質的な大麻解禁により、Netflixでマリファナ又は薬物を扱った番組が倍増したのを皆さん覚えてますか?ネオ・ヒッピー文化の再来だと言われサイケデリックなサムネイルがTopにズラリと並びました。『ソウルフル・ワールド』のスピリチュアルな面はその時代のNetflixのサムネイルを思い出すんですよね。

米国の社会背景や文化の変化がこの映画にどれだけの影響をもたらしたか、事実は分かりませんが、神秘主義的な映画なことに変わりありません。そういったことを含め、好き嫌いが分かれる映画だと思うし子ども向けではないと感じてます。


私はこの映画かなり好きなのですが、その理由の1つにオチがあります。基本的なディズニー映画のオチって、クソデカハッピーエンドで終わるんです。例えば、毒を盛られたお姫様は王子様とキスをして結婚したり、冒険から帰ってきた主人公は始まりよりも良い生活をしたり、ファンファーレがなりどこからともなく紙吹雪が降ってくるような、そんな終わりがTHE・ディズニーなんです。

それが、この映画ではちょっと違います。※ネタバレあります。


物語の中で、22番がジョーの身体に入り込み、彼の人生を少しだけど経験する。といったシーンがあります。ソウルの世界では生まれたくないと頑なに出生を拒否していた22番ですが、いざ地上に人間として出てみると、人と話すことの楽しさや歩くこと、ピザの美味しさに空の青さ等、普通に暮らしていると見落としてしまう小さな幸せに感動します。その経験が22番の人生のきらめき(地上へ行くための通行証)となるのですが……。

旅の途中、ジョーは無事地上に戻ることができ、夢を叶えます。しかし、夢を叶えた後のジョーは、自分が嫌に冷静だったこと、これからの人生のことを考えて燃え尽き症候群に陥ってしまいます。夢中になっていた夢を失い、これから毎日地下鉄に乗って職場(ジャズ・クラブ)に通うと思うと本当に自分のやりたかったことはこれなのかと自問自答するジョー。実は、ジョーは22番が見つけた人生のきらめきを自分の物だと奪ってきてしまったのです。それを悔いたジョーは再びソウルの世界に戻り22番に通行証を返します。22番は生まれたくないを克服し、地上に行きます。ジョーは自身の死を受け入れようとしますが、ソウルの世界の教育係から22番の人生のきらめきを見つけたことを称賛され、地上に戻ることを許されるのでした。


長くなりましたが、こんな感じでオチへと加速していきます。これだけ見れば、ハッピーエンドなんですが、素朴な雰囲気がここにはあります。

そもそも、映画の中で22番がどんな人間になったかも分からず、ジョーの後日談も描かれていません。でも、それが良いのです。映画の中ではハッピーエンドでも、二人の人生はこれからも続いていく。そういった普遍性を否応なしに感じ取れる。そんな終わり方になっています。

22番もジョーもこれから地上で生きていく中で、必ず挫折し苦しくなる時期があるんだと思います。反対に嬉しいことや生まれてきて良かったと思えることもあるでしょう。

ジョーが22番に言いました。「人生のきらめきは目的ではなく生きるための準備」なのだと。目的や意義のために生きるのでは、人はそれらを失ったとき、生きることを苦痛に感じる。人生はそんなに壮大なものじゃなくてもいい、日常にある幸せがそこにあるなら。

私たちの世界は、科学技術の発展によって物質的な豊かさは保証されました。しかし、精神的な面の豊かさはどんどん乏しくなっています。生きることに疲れたとき、もっと”普通のこと”に目を向けてみてもいいんじゃないか。そういったメッセージをこの作品からは感じます。

他にも好きな部分や理由はあるのですが、気付いたら元旦も後1時間半に迫ってました。ヤバいのでこの辺でやめます……。めちゃくちゃ良い映画なので興奮して色々書いてたからごちゃごちゃした文になってる気がする……。

後ね~あとあとあとあと~~この映画はヴィランズが居ないことも特徴的かな~。最近のディズニーはヴィランらしいヴィランがいないのも新しいよね。勧善懲悪ものではなく、自分の中には正義も悪も居て、どちらも人を傷つける要因になるしそれに悩む主人公みたいな構図が多いよな~~。そういうところ好きだな~~~~。

好き好き好き好きスキ・ウォーターハウスだな……。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?