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初対面の貴婦人にシャンパンを奢ってもらった話

 一昨年の年末。

 行きつけのバーにふらっと立ち寄っていつも通りウイスキーを飲んでいると、マスターから今日が今年の最終営業日だと伝えられた。今年もお世話になりましたという意味も込めて、いつもより少しお高めのウイスキーを何杯か飲んで、そろそろ帰ろうとした。

 すると、マスターから「あそこのお客さんと会話してみると面白いと思うよ。」と言われて、3つ離れた席に座っていた女性の方を紹介された。ぱっと見50代を過ぎた自分の母親と同い年くらいの貴婦人。マスターが、その女性の方に話しかけて僕を手招きした。マスターは「実はこの方はボルボ240に乗っているんですよ。」と会話の切り口だけを残して、僕とその女性の2人きりの時間を作ってくれた。

 その女性の方は、旦那さんと共にボルボのディーラーとして働いていた方で、自身もボルボ240を愛して乗っているらしく、初対面同士にも関わらず「高速で運転しているときの静粛性の良さ」や「「ゆったりとした加速が逆に良い」というボルボ240の話で大盛り上がりをした。そして、僕と同じくらいのお子さんが2人いることや、今は現行モデルと240の二台持ちをしていること、本当に色々な話をしてくれた。僕がボルボ240を買った理由も外車という理由ではなく、”頑丈さ”、”ゆったりさ”、”昔ながらのデザイン”、”インテリアのこだわり”という部分も共感してくれて、その女性が若かった頃の夫婦での思い出話もたくさんしてくれた。

 その当時、20〜30年前にも遡る話で今では絶対にできないようなことだが、メルセデスのオープンカーで初夏の軽井沢までドライブして、ワインを2人で飲んでのんびりと夕陽が沈むまで一緒に過ごし、夕暮れ時に車を出して満天の星空を仰ぎながら茅ヶ崎の海岸線を走り回る...、そんな青春時代が最高だったと。でも、それでも乗り心地はボルボに勝るものは無いとも。若いうちは色々と外車を乗り回してみるのもいいわよ、とアドバイスをされたが僕の給料では今のボルボ240を維持するので精一杯だ。

 僕の飲み物も少なくなってきて、その女性の飲み物も尽きた頃、マダムは”シャンパンは飲めるか?”と尋ねてきたのですかさず”飲めます!”と答えると、マスターも含めて3人分のシャンパンを注文した。内心、いやいやシャンパンなんて高すぎてお財布ピンチだわ...と思いながら、普段なら絶対に飲まないシャンパンを一緒に乾杯した。その頃には時計も深夜3時近くを回って店内は僕と女性とマスターの3人だけになっていた。

 閉店時間は過ぎていたけれど、マスターも嫌な顔をせずにゆったりと3人で話をしていた。どうやらマスターと女性は20年来の常連客らしく最近までは子育ての忙しさで年に1〜2回しか来れていないらしいけれど、この店が誕生した頃からの常連とのこと。このマスターのお店は僕と同い年なので、僕が生まれてからこうやって一緒に並んでシャンパンを飲む年齢になるくらいには、このお店は続いていたしこの女性は通っていたんだと思うと感慨深いものがある。そして、マスターと女性も同じようなことを思っていたらしく、僕が生まれてからここに座るまで店と常連で在り続けたことを話すと2人の思い出話に花が咲いた。

 結局、その後も2本くらいシャンパンを空けて徐々に空が明るみを帯びてきた頃にその女性は帰宅すると言い、マスターにチェックをお願いした。僕は自分の分はきっちり払おうと思い財布を出したら、マダムは「今日はいいのよ。年に1〜2回しかここへ来れないし、久しぶりにボルボを愛してる人に出会えたから嬉しいの。おばさんのおせっかいだと思って受け取って。」と言っていただき、僕を全力で阻止した。

 「またいつか会えたら、またお話しましょ。」と再会を約束して、その女性は店を出て行った。僕はマスターと2人で少し余韻に浸っていた。

 居酒屋だけではなく少しお高めのバーでゆっくりと飲む、少し高いし古いけれど昔ながらのデザインの車を乗る、なんでも簡単に手に入る時代だからこそ自分がこだわりたいものが無い時代、だからこそ少しでもこだわりを持つとこうやって良いご縁に巡り合うことがある。

 いつかまたバーで会った時には、今度は僕からシャンパンを奢らせてください。それまではお互いに常連のままでいましょう。では、またの再会に”乾杯”。



#また乾杯しよう

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