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「自分が笑顔だと周りも笑顔になる」

※この記事は有料ですが、無料で全文読めます。有料設定にした理由は最後に書きます。

「彼女は、まるで太陽だった。」

僕が彼女について書き出すとしたら、いつになってもこの一文から始まるだろう。常に明るくて太陽のような存在。

そんな彼女が天国へ旅立ってから9年が経つらしい。

2012.8.26
僕の幼馴染である”あゆ”は遠い国で倒れて、そのまま帰らぬ人となった。

幼稚園が一緒だったあゆは小さい頃からとにかくパワフルだった。僕はというと小さい頃はひたすら泣き虫で、自分でもどうして泣きまくっていたのか不思議で仕方ない。そんな僕をあゆはいつでも遊びや会話の輪の中に入れてくれた記憶がある。

小学校は別々になってしまい、そこからあゆは中学受験をしたので、僕はあゆとますます疎遠になってしまった。

最後に会話を交わしたのは、たしかあゆが亡くなる1年くらい前だった。地元のガストに入店したら、あゆが女友達(僕とは幼稚園〜中学まで一緒だった)と店にいた。その時は、あゆと女友達が僕を巻き込んで色々なエピソードトークで盛り上がったが、僕は女友達の方は覚えていたがもう一人があゆだと認識するのに時間が掛かってしまい、素っ気ない返事しかできなかった気がする。

それがあゆとの最後の思い出だった。

それからも月日は流れて、僕は気づいたら社会人になっていた。仕事もプライベートもそこそこ充実していたが、毎日に疲れていて心から笑う回数は減っていた。

そんな日々を過ごしていたある日、地元の同窓会があった。そこには懐かしい面子が揃っていて、居酒屋の宴会席はヘビースモーカーの皆様でホワイトアウトしていた。そこには前述した女友達も来ており、何気なくあゆの近況を聞いた。すると、女友達は顔をしかめて言葉を出すのをためらった。そして、こう呟いた。

「死んじゃったよ。もう3年くらい前になるかな。」

その言葉を聞いた僕はどんな表情をしていたのだろうか。あゆは、インドネシアに留学中に現地でいきなり心臓発作を起こし、そのまま遠い海の向こうで息を引き取ったらしい。それを聞いて僕は悲しみすらも忘れて感情が無になった。

「そうか。」

僕は、そう一言だけ返すのが精一杯でグラスのハイボールを飲み干すとタバコに火を付けた。そこから先はあまり覚えていない。

いつも笑顔で元気いっぱいだったあゆがもうこの世に存在していない、その事実を受け止めるのには時間が必要だった。


「あゆの七回忌にパーティを開くから来る?」

数年後、前述した女友達から連絡が入った。みんな社会人になってしまっていたこともあり、もうみんなが集まれるのも最後だろうという事で、あゆの母が企画してくれた。もちろん僕は行く事にした。

当日。会場に着くと生前のあゆの写真が何枚も飾られており、そこに映るどのあゆも笑顔が輝いていた。僕のような幼稚園時代の繋がりから大学の同級生まで、本当に沢山の人が会場に来ていた。

僕とあゆの繋がりを知っている人は多くなく、会場に来ていた知り合いと偶然会うと、二人が知り合いだったことに驚いている人ばかりだった。これは想定済だったので、僕は少しアウェイだなと感じながらもあまり気にはならなかった。

色々なイベントを企画してくれて、みんなで盛り上がって、あゆの七回忌を偲ぶはずが来ていたみんながあゆのおかげで笑顔と元気をもらっていた。

そんなあゆの母が最後に話してくれたエピソードがある。

===
インドネシアに留学に行っていたあゆは現地の友達もできた。
その友達がいつも笑顔が絶えないあゆに聞いた。
「あゆはどうしていつも笑顔なの?疲れないの?」
あゆは当たり前のようにこう答えたらしい。
「全然疲れないよ?だって私が笑顔だと周りも笑顔になってくれるから!
===

このエピソードを聞いて、あゆらしいと感じた。そして、「あゆの分まで生きてほしい。」と最後にあゆの母が話していたが、僕にはあゆの分まで生きるほどの自信なんて未だにない。いつも笑顔で周りを明るくする天才のあゆの一部分だけでも担うなんて荷が重すぎる。でも、あゆが見れなかった景色をこれから沢山見て体験して、いつか渡河した暁には色々な楽しい話をしてやろうと決めた。

2019年に七回忌があってから、世の中は大きく変わった。コロナだ。僕自身もコロナに罹ったし、世の中もどんどん暗くなった。コロナ禍以前はあゆの墓参りに行こうと計画していたが、そんなことも日々の忙しさと息苦しさですっかり忘れていた。

2021.7.15

ずっと行けていなかったあゆの墓へ行った。

墓石には「笑顔」と刻まれていた。それを見た僕はクスッと笑ってしまった。ここでもあゆらしい。今もなお誰かをこうやって笑顔にしてくれるあゆは、きっと天国でも楽しく笑顔を絶やさずに過ごしているに違いない。

笑顔と刻まれた下には、こうも刻まれていた。

「夏が好きな人は、心が強き人なり」

なるほどね。

夏の茹だるような暑さでさえも好きだと言える人は心が強い人かもしれないね。あゆのパワフルで明るい理由が分かった気がしたよ。

掃除を終えて、買ってきた花を挿したが、やっぱり物足りない。太陽や向日葵のように真っ直ぐに明るい人の前では、どんな花でも霞んでしまう。

梅雨明けの夏日の陽射しに照らされた墓石は、水滴が光を反射してキラキラと輝いていた。まるで生前のあゆの笑顔のように。

「自分が笑顔だと周りも笑顔になる」

こんな当たり前のことをみんな分かってるはずなのに、実際に行動できている人って何人いるんだろうね。僕だって未だに実行するのは難しい。でもね、みんなにもせめて覚えてほしい。

「自分が笑顔だと周りも笑顔になる」

無理なんかじゃないんだよ。19年っていう短い生涯でも体現した人がいたんだよ。だからみんなにだって出来る事なんだよ。

人は二度死ぬ。
一度目は、肉体的な死。
二度目は、忘却による死。
あゆを二度も死なせない。

そして、この記事を読んだ一人でも多くの人の心に、あゆという存在が残ってくれたら幸いです。

※この記事の収益金は、あゆの墓参りに行った時の御花料として活用させていただきます。冒頭でもお話ししましたが、無料でも読める記事です。記事の購入は強制ではありません。

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