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街風 episode.16 〜コーヒーブレイク〜

 「今日はお客さんも少ないですね。」 

 ケンジはテーブルを拭きながら俺に言った。

 「こんな日もあってもいいだろ。」

 ケンジにそう返しながら、明日の仕込みの準備を始めた。

 「そういえば、ケンジは卒業後の進路は決まっているのか?」

 「いいえ、全然決まってないです。そういえば、以前にノリさんがここを開いた経緯を聞いたことはありましたが、大学卒業してからお店を開くまでは何をしていたんですか?」

 ケンジはテーブルを拭いていた手を止め、こちらを向いて聞いてきた。

 「今日はお客さんも少ないし、コーヒーでも飲みながら話そうか。」

 俺はキリのいいところまで仕込みの準備を終えて、2人分のコーヒーを淹れた。俺もケンジもブラックに砂糖は二つ。冷蔵庫に入っていた貰い物のチョコレートを出して、窓際のテーブル席に持って行った。

 「どこから話そうかな。」

 高校を卒業した俺は都内の大学へ通っていた。1人暮らしをしながら、授業もバイトもサークルもこなしていて、我ながら人生最後のモラトリアムを満喫していると思っていた。

 周りが就職活動をしていたから、俺もみんなと同じようにリクルートスーツを着て面接を受けに駆けずり回った。そして、大手広告代理店から内定をもらった。今でも業界の巨人として君臨しているから、ケンジもその会社名を聞いた瞬間に驚いた表情をしていた。

 あっという間に大学4年間が終わって、社会人として迎える4月となった。表向きは華やかで煌びやかに映っていたが、飛び込んでみるととんでもない世界だった。

 総合職として入社して営業担当として毎日深夜まで残業の日々が続いた。取引先が古い業界人のイメージのそのままという人たちが多く、飲み会も連日あったような生活だった。それでも実際に契約を取って自分の案件が形になったものを見た時には達成感に包まれた。色々な人に可愛がられて営業成績も残せて、この仕事にやりがいを持っていた。でも、少し自分の身体に違和感があった。でも、そんなことで仕事に遅れを取っては他のライバルたちに負けてしまうという焦りもあって、毎日エナジードリンクとコーヒーを飲んで自分の身体を騙して仕事を続けていた。

 休日も飛び込みの仕事が入ることも多くなって、彼女とは忙しさを理由に別れた。少しずつお互いがすれ違っていることに気づいていたし、2人の間に入ったヒビがこれ以上大きくなる前に別れたいと思って、俺から別れ話を切り出した。その頃の俺はモテていていつかまた良い出会いがすぐに転がってくるだろうと思っていた。

 周りからも評価され続けて、欲しいものは何でも買えるような生活。でも、終電で1人の家に帰る度に虚しさしかなかった。別に仕事が好きなわけではなかったし、華やかな暮らしをしたいわけでもなかった。ただ、周りに流されて就職活動した時に運良く入社できて、負けず嫌いの性格が営業とマッチしていただけで、深夜まで残業してまでのめり込みたい仕事か自問自答するようになった。

 休日は、色々な女性と週替わりでデートをしていた。銀座でランチをしたり、表参道でショッピングをしたり、海までドライブをしたり、誰もが振り返るような美人とのデートも上辺は楽しんでいるフリをしていたが、心の寂しさは埋まることがなかった。欲しいものは何でも手に入るのに、そこで初めて付き合っていた彼女の有り難さを痛いほど感じた。本当に大切なものは失ってみて初めて気がつくもんだと思った。

 それでも仕事は続けたし、成績も今まで通りをキープしていた。でも、ある日の仕事中に先輩から噂話を聞いた。

 「新卒の子が自殺したらしい。」

 当時はまだブラック企業なんて言葉も無かったし、過労死も自己管理できないからなるもんだと思っていた。でも、今ならそんな当時の自分の認識を恥じている。

 自殺したという噂は本当だった。社内でも箝口令が敷かれていたため、自殺した子と同じ部署だった同期からしか詳しいことは聞くことができなかった。俺と同じように連日連夜の残業と仕事内容のハードさについていくことができず、自殺直前はうつ病のような兆候もみられたらしい。この事件は、どこからかマスコミに情報が流れてしまい、世間へ明るみに出てしまった。でも、その時に先輩が世の中に出ていないだけで自殺者は過去にも何人もいると言っていた。世間からは煌びやかで華やかなイメージを持たれているかもしれないが、それを支えるために見えないところで想像を絶する努力をこなさないといけない。強い光の陰には深い闇があるように、物事は一面だけではない。

 ちょうどその頃に受けた健康診断でも睡眠不足と連日の飲み会で自分の身体がボロボロになっていると結果が出てしまった。

 その翌週くらいの休日に、行きつけのバーへ足を運んだ。ユウジさんのオリジナルカクテルを飲みながら久しぶりに色々と話した。仕事で悩んでいること、彼女のユリエと別れたこと、心の中のモヤモヤを全て打ち明けた。

 「だったら、全部忘れてみたら?」

 ユウジさんのその一言で心が軽くなった気がした。ユウジさんもこのバーを開くまでに色々な困難を乗り越えたらしく、それこそ今こうやって普通に生活しているのが不思議なくらいだとたまに言っている。

 「結婚して子供もいるわけでもないんだろう。今の煌びやかなプライベートとがむしゃらに頑張ってる仕事も全部自分を守るためだろう。そんなものはいくらだって取り戻せるし、人生のレールなんて何度だって外れていいんだよ。大事なのは必ず戻ってくればいいだけなんだから。」

 今まで波乱万丈の人生を送ってきたユウジさんの言葉は説得力があった。俺はその翌日に上司と相談して、数ヶ月後に退職することにした。

 退職してからもやりたいことは無かった。だから、全国各地を転々としながら旅館の住み込みバイトや日雇いバイトをしながら暮らしていた。そんな時に、小笠原諸島でのアルバイト広告が目に止まった。寮というか空き家もあるらしく、興味本位だけでバイトに応募した。電話をするとその場でOKをもらって、身支度をして小笠原諸島へと旅立った。

 片道25時間の旅は最高だった。夕陽と朝陽を船の上で眺めて、携帯の電波も届かない。船の周りには彼方まで続く青い海。仕事をしていた時にはひっきりなしにかかってきた携帯電話も圏外だったこともあって鳴ることは一切ない。まるで現実から夢の国へ行くまでの25時間だった。

 父島へ着くとバイト先の人がA4サイズの紙にマジックで店名を書いて待っていてくれた。それがオーナーとの出会いだった。このオーナーとの話も話せば長くなるから今日は割愛するが。

 それからバイト生活が始まった。お昼はランチで夜はダイニングバー。観光客からも地元からも愛される店は毎日が賑やかで楽しかった。休みの日はレンタカーを借りてドライブをして島中を巡った。でも、一番楽しかったのは、浜辺で海を眺めながら酒を飲むことだった。周囲に誰もいない時はタバコも吸った。気持ち良くなったら大の字に寝転がり、気持ちの良い陽射しに包まれていた。夜は満天の星空が頭上を彩った。じっと真上を見上げていれば流れ星がいくつも横切る。今までの忙しなかった日常が嘘のような毎日だった。同じ東京都でも全く違う時間の流れ方に何だか笑ってしまった。

 そんなある日、いつも通り満天の星空を眺めながら酒を飲んでいるとオーナーがやってきた。俺がここで飲んでいることは話したことはあるが、こうやって来たのは初めてだった。隣に座って俺のウイスキーの小瓶を飲みながら、オーナーは質問をしてきた。

 「ノリユキはどうしてここへ来たの?」

 そういえば、詳しい話もせずにバイトも受かったし、こうやって自分を受け入れてくれたんだった。俺は星空が途切れた水平線の彼方をぼんやりと見つめながら今までの話をした。

 「そうか、そういう時が私にもあったよ。悩むよね、若い時って。だから、きっとあの店を続けているんだと思う。来た人たちがお酒や料理を美味しいと言ってくれて楽しんでくれて、目の前の誰かの役に立てている今は幸せだと思ってる。」

 オーナーは言い終わると俺のウイスキーを空にして口を拭った。

 「だってさ、食べることって一生のうちに何度も経験するけど、その中の一回をあの店で過ごせて幸せだなあって思ってもらえたら、それ以上のことなんてないよ。おにぎりやカップ麺で済ませてもいいけれど、誰かと一緒に食事を通して楽しめるって幸せなことじゃない?」

 オーナーは寝転がって満天の星空を眺めていた。

 「そうですね。」

 俺も寝転がって2人で空を見ながらぼーっとしていた。

 そんな時にふと大学時代にバイトしていたカフェのことを思い出した。オーナーみたいに色んな美味しい料理を作れそうにないけれど、こだわりを持ったメニューとコーヒーならできそうな気がする。

 「オーナー、俺いつかお店持ちたいかもって今思いました。だから、明日からはバイトやりつつもお店の経営とかについても教えてくれませんか。」

 「おう、任せとけ。」

 そう言ってオーナーは笑った。

 翌日からはいつもの仕事をこなしながら、お店を開くために必要なことやお店を維持するために必要なことなど、ありとあらゆることを教えてくれた。

 「大事なことは、一つのブレないこだわりを持つこと」

 オーナーが常日頃から言っていた。店主が流行に流されてあちこちに手を出したりコンセプトが右往左往するとお客さんは離れていく。だから、シンプルでもいいから絶対に最後まで守り抜くっていう軸を決めること、未だにその言葉は常に心に留めている。

 そうやって勉強し続けた毎日はあっという間に過ぎていき、契約期限の終了が迫っていた。今回は延長をすることをやめて地元へ戻ることにした。出港日前日の夜は盛大なお別れ会を開いてくれた。気づけばこの島にも大切な人たちとの繋がりができていた。

 翌日の出港時には二日酔いになりながらも見知った顔が並んでいた。汽笛が鳴り、少しずつ船が進んでいく。小さくなっていく人影にずっと手を振りながらありがとうと叫んだ。

 今度は夢から現実へ戻るための25時間の船旅が続いた。船の中では、自分の店のコンセプトや立地を考えていた。そして、地元へ戻ろうと決意も固めた。大学時代から退職するまで都内で華やかな生活を送っていたが、もう一度自分の原点に戻って頑張りたいという気持ちがあった。都内へは地元からも電車で1〜2時間で行ける距離だし、別に今は都内に行く必要も無かったので、不便だと感じることもない。

 竹芝桟橋に着き、そのままその足で実家へ戻った。両親には今までの報告も碌にしてこなかったので、報告も兼ねて居候させてほしいと土下座して頼み込んだ。両親共にOKしてくれたので、そこからは店探しが始まった。毎日自分の足で地元を歩き回った。営業マン時代の足があったおかげで歩くのは苦ではなかった。

 そして、今のこの店を見つけた。昔は洋菓子店だったらしく年季の入った外観は落ち着いた佇まいで洒落ていた。売物件と大きく書かれた文字の下に不動産会社と電話番号が書いてあったので、その場で携帯を取り出して電話した。翌日に不動産の担当者と一緒に内覧も済ませて契約をすることにした。

 そこからオープンまでは毎日がお祭り騒ぎだった。様々な業者が出入りするしお店のメニューも考えなければいけない。仕事をしていた頃と同じかそれ以上にドタバタしていた。そして、オープンの数日前にユウジさんに愚痴を聞いてもらいがてらバーへ行った時にダイスケと再会した。

 俺もダイスケも”あの出来事”からは抜け出しきれていなかった。だから、ダイスケを俺の最初の客として招待することにした。

 「あとは、前にケンジに話した内容と同じだ。」

 一通り話している間にコーヒーが冷めてしまったので、2人分のコーヒーを淹れ直した。

 「色々とあったんですね。この間の話だと学生時代に働いていたカフェと”ある出来事”がこのお店のキッカケだったとばかり思ってました。」

 ありがとうございます、と言い、淹れ直したコーヒーを啜りながらケンジは呟いた。

 「たぶん、今までの人生の全てが今に繋がるキッカケになっていて、どれが一番のキッカケかなんて分からないんだろうな。例えば、コップに水を入れ続けるとする。そうするといつかコップから水が溢れかえってしまう。100mlのコップに最初に50mlの水を入れて、次にまた50mlの水を入れる。次に入れたのが1mlの水でもコップは溢れてしまう。じゃあ、1mlの水だけがキッカケかと言われると違う気がする。だから、タイミングはあの時だったかもしれないけれど、そこに行き着くまでに多くの出会いやキッカケがあったんだと思う。」

 「なるほど。深いですね。」

 ケンジは、そう言いながらチョコレートを口に運んだ。俺もコーヒーを一口飲んでチョコを一つ頬張った。コーヒーのほろ苦さとチョコの甘さが口の中で優しく交わる。

 「もしかしたら、今のこのゆったりした毎日は人生のブレイクタイムなのかもな。」

 また今日からも頑張るか。




  

 

 

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