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街風 episode.17 〜好きの気持ち〜

 「あー、今日は飲みすぎたなー。」

 ケンジ先輩は少し千鳥足でふらふらと歩いている。いつもの飲み会では酔った姿なんて見たことなかったのに、今日はご機嫌な様子だ。いつも優しくて大好きな先輩。カッコ良いし面白いところもある、天然な部分も多いのが玉に瑕だけど。

 「マイちゃんは今日の飲み会楽しかったー?」

 ケンジ先輩ほど楽しめたか自信は無かったけれど、こんなほろ酔いで無防備なケンジ先輩を見れただけでも元は取れた気がする。

 「楽しかったですよ。」

 「それはよかった。」

 ケンジ先輩は私の言葉に対して目を細めながら口元が緩んだ笑顔を見せた。普段は年上で頼りになるのに、たまに抜けていたりこういうところがあるから親しみがあるんだろうか。2人でゆっくりと歩いているとケンジ先輩は立ち止まって空を見上げた。

 「見て。今日は月が綺麗だね。」

 昔、夏目漱石が”I LOVE YOU”を”月が綺麗ですね”と訳したと噂で聞いたことがあるが、きっとそんなことはケンジ先輩は気にしていないんだろう。それに、こんなほろ酔いの状態で言われてもムードは全く無い。でも、今日の月は本当に綺麗だった。雲も殆どなく、満月が一際輝いていた。

 「本当に綺麗ですね。」

 私もついつい満月に見とれてしまった。こうやって夜空をゆっくりと見たのは久しぶりだった。最後に見たのはいつだったろうか。

 「さ、帰ろうか。」

 ケンジ先輩は私に声を掛けて再び歩き始めた。ケンジ先輩の背中は安心感があって見ていて落ち着く。私も歩き始めてケンジ先輩の隣に並ぶ。家が近いということもあって、飲み会やサークル帰りなどで一緒に帰る時はこうやっていつも並んで帰る。付き合っているわけではなけれど、嫌われているわけでもない、この関係性は心地良いけれど物足りない。そんなことを思いながらいつもこうやって隣を歩く。サークルの人たちや私の友達から2人は付き合っているのかと尋ねられる事も多い。その度に私は満更でもない顔をしながら答えをはぐらかそうとして楽しんでいる。でも、周りの反応を楽しむと付き合っていないよと正直に毎回答えている。

 周りに歩いている人はどこにもおらず、しばらく2人きりの時間が続いた。他愛無い話をして盛り上がってゆっくりと歩いていた。ケンジ先輩は少し酔いが覚めたのか足取りも普段通りに戻っていた。笑うたびに無邪気な笑顔と白い歯が見える。本当に思いっきり笑う人だなあと思う。

 「そういえば、マイちゃんは好きな人とかいないの?」

 「ふふふ。秘密です。先輩は?」

 「えー。俺の好きな人はねー。」

 そう言いながらケンジ先輩は口籠もった。どうせ土曜日の女神だろうな。そう思っていたが、改めてケンジ先輩の口からそのワードが出てほしくないとモヤモヤした気持ちが溢れ出してきて咄嗟に別の話題にした。

 「そういえば、ケンジ先輩は今まで付き合ってきた人とかいないんですか?」

 今から過去に時間軸が変わっただけで、恋愛からは離れていない。我ながらアドリブ力の無さに呆れてしまう。

 「過去かー。あんまり良い思い出はないよ。なんだか、いつも恋人として見れないって言われて終わっちゃう。」

 ケンジ先輩はそう言って笑ってはぐらかした。

 なるほど。たしかにそれはそうだ。実は、ケンジ先輩は“女泣かせ”の一面もある。ケンジ先輩はモテる。でも、ずっと彼女がいない。それは何故か。理由は、シンプル。ドが付く天然が災いするからだ。

 勇気を出してデートに誘った私の友達は、ケンジ先輩のオススメのお店に連れて行って
もらったが、そこはまさかのスポーツバーでその日はサッカーの日本代表の試合がやっており、最後は他のお客さんと肩を組んで大合唱をしてデートは終わったらしい。それ以降、友達はデートを誘う気力すら無くなったらしい。

 他にも、夢の国へ行こうと誘ったら大人数の方が楽しいからとケンジ先輩が勝手に何人かに声を掛けて10名近くの大人数で一日中アトラクションを乗り回ったり、わざと終電を逃した女の子と2人でホテルに行ったが備え付けのTVゲームをやって疲れたら1人で先に寝たり、こんなエピソードが数多くある。でも、ケンジ先輩には一切悪気があってやったことではないので、女の子たちは影でひっそりと涙を流しているのだ。

 こんな“女泣かせ”のケンジ先輩が愛おしい。今日も女の子たちはケンジ先輩に迫ろうとあの手この手で毎日のように試行錯誤している。そういう意味では、何もしないで家が近いという理由でここまでお近づきになれた私はラッキーだったのかもしれない。

 ケンジ先輩といつも別れる交差点に差し掛かった。いつも通り交差点で少し立ち話をすることにした。まるで恋人たちのように別れ際を惜しむようにここでは今まで以上に会話が盛り上がる。交互に赤と青を繰り返す信号と私たちの横を通り過ぎる車のライトは2人をそっと照らす間接照明みたいで綺麗だ。周りの景色だけが時間と共に過ぎていき、私たち2人だけがこの空間に取り残されているみたいだ。誰もいなくなったこの交差点の真ん中で2人で満月の下で踊ったらどんなに楽しいだろうか。ケンジ先輩のぎこちないリードで踊るワルツを想像してみたら可笑しかった。

 「なんか、この交差点の真ん中で踊ってみたら面白そうじゃないですか?ハリウッド映画のワンシーンみたいに。」

 「ははは、面白そうだね。では、どうぞ。」

 ケンジ先輩は私に右手を差し出した。私は思わず咄嗟に差し出された手の上に私の手を重ねた。そして、青信号と共に横断歩道を軽いステップでくるりと回りながら渡った。周りには車も人もいないことを確認して交差点の真ん中へと軽やかに舞った。青信号が点滅するのを確認して、また同じステップで元の位置へと戻った。

 赤信号に変わったと同時にケンジ先輩は手を離した。

 「めっちゃ楽しいね。」

 無邪気に笑った顔は少年のように無垢だった。本当はあのまま私を連れて月夜に飛び立ってほしかった。でも、それはきっと叶うことのない夢だ。今さっきの出来事で全てを感じてしまった。

 きっとこれは女の勘だ。ケンジ先輩は本当に優しい。でも、その優しさの奥深くに隠されていた気持ちに私は一生届かないと分かってしまった。2人で踊った時にケンジ先輩の手から伝わった優しさと温かさ。でも、そこまでだった。本当に何を考えているのかは伝わってこなかった。そして、私も自分の気持ちに気づいてしまった。ケンジ先輩と付き合いたいとか恋人になりたいとか思っていたのは嘘だったんだと。いや、違う。こうやって仲の良い先輩後輩の関係が心地良すぎるんだと。私には今のこの関係を壊すリスクを冒してまでもケンジ先輩とこれ以上の関係を求めていないと。私は誰よりも臆病なだけだった。今まで周りの子がケンジ先輩に当たって砕けるのを見るたびに、私は自分だったら立ち直れないだろうと思っていた。だから、私はこれからもずっとこの関係に甘え続けるんだろうな。

 「ねえ、ちょっと空を見上げてみてよ。」

 ケンジ先輩が私の袖を引っ張りながら見上げて叫んだ。私は少しよろけてケンジ先輩の腕にしがみついてしまった。そして、そのまま上を見た。

 2人でほろ酔いのまま踊ったものだから少し目が回ったみたいだった。そのおかげで頭上に輝く星たちが流れ星のようにくるくると回っている。

 「うわあ、綺麗ですね。」

 溢れるように言葉が漏れた。今日は満月だから微かにしか見えない星たちの煌めきが無数の流れ星となって私たちの真上を飛んでいる。これが本当の流れ星なら何をお願いしよう。ああ、2人で踊る前だったならばケンジ先輩と結ばれるように願っただろうに。でも、2人で踊らなければこんな景色を見ることはできなかった。なんて神様はひどいのだろうか。

 「もうちょっと時間ある?」

 ケンジ先輩はまだ空を見上げたまま私に尋ねてきた。あとは家に帰るだけだしケンジ先輩が家まで送ってくれると言ってくれたので、私はケンジ先輩の言われるがままに従うことにした。少し歩くと言われたので、2人でふらふらとした足取りで歩き始めた。着いたのは近所の小さな公園。ベンチで座って待っててと言われたので、ベンチに座って足を前後に揺らしながら待っていると、ケンジ先輩が自販機でペットボトルの水を2本買ってきてくれた。2人で水を飲みながら少し話をしていたらすっかり酔いも冷めてきた。

 「よし、こっち来て。」

 ケンジ先輩はそう言うと立ち上がって小走りで遊具に向かっていった。後ろ姿は小学生男子のように無邪気だった。

 「さ、乗ってみて。酔いは冷めたよね?」

 薄暗くてよく見えなかったけれど、球体で回転できるジャングルジムのような遊具だった。

 「これ、グローブジャングルっていうんだぜ。」

 薄明かりでもケンジ先輩のドヤ顔が浮かぶ。

 「さ、どうぞ。」

 ケンジ先輩がやんわりと急かしてくるので、私は両足を遊具の中へ放り入れて外側の一番下のパイプにちょこんと座った。両手はもう一段上のパイプをがっしりと掴んだ。

 「ようし、いくぞ。」

 そう言うとケンジ先輩は思いっきりグルグルと遊具を回し始めた。小さい頃以来に乗ってみると意外と怖い。大人の男の人が全力で回しているせいか子供の時よりもずっと速く感じる。

 「ほら、上見てみてよ。」

 ケンジ先輩の言葉通りに空を見上げてみるとさっきよりも流れ星が煌めいていた。そして、満月すらも大きな流れ星となって私の上をぐるぐると回っている。ああ、こんなにも私の頭上には流れ星が降り注いでいるのに私の願いは叶わないんだ。改めてそう思った瞬間に涙がポロポロと両目から溢れ出した。涙で溢れた視界の中で流れ星はさらにキラキラと光った。

 「ごめん、大丈夫?」

 ケンジ先輩は私が涙を流しているのに気づいて回すのを止めた。

 「大丈夫です。なんでもないです。」

 私は声を震わせながら必死で普通を装った。

 「ごめん。」

 と何度も私に謝ってきたケンジ先輩は今すぐにでも泣きそうな顔をしていた。ケンジ先輩は全く悪くないのに謝らせてばかりで申し訳なかった。

 「違うんです。」

 私は精一杯声を振り絞って伝えた。キョトンとしたケンジ先輩の顔を見たらふふっと笑ってしまった。

 「実は私、ケンジ先輩のことがずっと好きだったんです。だから、さっき2人で交差点で踊った時にこのまま月まで連れて行ってほしいなあって願っていました。でも...」

 「でも?」

 「でも、ケンジ先輩の手から伝わった優しさとか温かさはとても心地良かったのに、私はそこまでしか届かないって分かっちゃったんです。」

 私はまだ少しほろ酔いの状態で上手く頭も舌も回らなかったけれど正直に伝えた。

 「なるほど。ごめんね。」

 ケンジ先輩は改めて謝ってきた。

 「マイちゃんは妹みたいなんだよね。もちろん出会った時は可愛くて性格も良いし、異性としてマイちゃんの事を好きになった。でも、こうやって一緒に帰ったりアホな事をしている関係性が好きになっていった。マイちゃんの友達とか周りの知り合いが告白してきて関係がこじれていったりした中で、マイちゃんだけはずっと変わらずに一緒にいてくれて嬉しかった。そして、幸か不幸か1人の女性としてよりも1人の大切な妹として見るようになってきちゃった。多分、マイちゃんとの関係が壊れないように都合の良い理由を勝手にこじつけただけかもしれないけれど。」

 ケンジ先輩は申し訳無さそうに正直に話してくれた。

 「あー、もう。やっぱり私たちって兄妹みたいにしかなれないんですよね。」

 私は吹っ切れて笑いながら、ケンジ先輩を見ないで遠くを見つめながら叫んだ。それから私たちは出会った時の第一印象から今のお互いの気持ちに変化していくまでのエピソードを暴露しあった。

 すっかり日付が変わって、私たちはお互いの家に帰ることにした。ケンジ先輩も私を妹のようにしか見えないって言ったけれど、このままケンジ先輩の弟のワタル君と私の妹のカオリが結ばれたら、ケンジ先輩と私は本当に兄妹になってしまう。この事は今は私だけの心の中にしまっておこう。

 「じゃあ、ここで。」

 私たちはそういってワルツを踊った交差点で別れた。ケンジ先輩と別れた後に私は気づかれないように声を出さないように涙をポロポロと流した。

 涙でメイクもグチャグチャになって家に着いた。家族は全員寝ている時間だったので静かに玄関を開けて家に入るとささっとシャワーを済ませて部屋に入った。すると、コンコンと部屋の扉を静かにノックする音がした。このノックの仕方はカオリだ。私は物音でカオリを起こしちゃったのかなと思いながら扉を開けた。

 「おかえりー。」

 カオリはそう言いながら私のベッドにちょこんと座った。

 「こんな夜遅くにどうしたの?」

 「お姉ちゃんこそ言いたいことあるんじゃないの?」

 カオリは察しがいい。いつも仲良し姉妹だからこそお互いがいつもと少し違う時は何も言われなくても分かる。私はカオリに今日あった出来事を全て話した。カオリはずっとうんうんと頷きながら話を聞いてくれた。

 「でもね、今日の流れ星は今まで見た景色の中で一番良かったんだよ。私の頭上をあんなにも星たちが流れるのは私の人生で初めての体験だった。でも、あんなに沢山の流れ星に願いを込めたのにダメだったんだ。」

 「それって、もしかしたらケンジ先輩の願いを叶えたんじゃないのかな。だって、ケンジ先輩はお姉ちゃんとは今の関係を続けたいって思っていたんでしょ。お姉ちゃんだって今日の出来事があったからといって関係性が変わるような性格じゃないと思う。だから、今日の流れ星はお姉ちゃんじゃなくてケンジ先輩の願いを叶えただけだと思うよ。」

 そう言われてみればそうかもしれない。私は異性としての好きの気持ちはきっぱり諦めることにしたけれど、お兄ちゃんみたいなケンジ先輩のことは大好きだし今日もますます好きになった。

 好きの種類は変わることはあっても、好きな気持ち自体は変わらないこともある。だから、今度はケンジ先輩にも負けないくらい良い人と出会って、今日見た流れ星にかけた願いを叶えてもらおう。

 私とカオリは2人で朝方までガールズトークをして盛り上がった。

 

 

 

 

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