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~ある女の子の被爆体験記25/50~ 現代の医師として広島駅で被爆した伯母の記録を。”楽々園へ”

(8月6日に広島駅の列車の中で被曝したノブコは、最後の列車に乗ってくれについた。しかし、一緒に暮らしていたお婆ちゃんを探すため、一人で8月7日の朝に広島の街を歩き続けた。土橋の家のあたりまできたが、お婆ちゃんは見つからなかった。草むらで野宿をしたノブコは、8月8日、避難先に指定されていた楽々園へ向かった)

楽々園

楽々園には、人気の遊園地がある。
戦争が始まる前に、家族で行こうとしたことが一度あった。広島のおばあちゃんの家に家族で泊まった夏休みのある日、車の乗り物や観覧車があると聞いて、ノブコもトシコ姉さんも、妹弟たちもみんなワクワクして楽々園を訪れた。入場口につくと、見たことも無いような長い行列が既にできていて、それを見た父さんが言った。
「わしらは、今日は帰るぞ。こんな炎天下で行列つくって何時間も待てやしない。赤ん坊にはつらかろうし。ええか、またいつか来ればええんじゃから、今日はおとなしく家に帰るとしよう。な、ええな」
それを聞いた子供たちはみんな、とてもがっかりした。
楽々園には、結局あれ以来、遊び行けずじまいになった。


ノブコは思い出した。楽々園が避難場所だと聞いたときのことだ。
「ノブコ。戦争が終わったら、弟たちを連れて楽々園に行ったらいいよ。
あの子たち、まだ自動車の乗り物に乗ったことないんじゃろ?ほんなら、運転席に座らせれば、そりゃあビックリ、たまげるじゃろうよ」
おばあちゃんはその様子を想像して、いたずらっ子のように笑っていた。
あのときの会話も、幻のような、別世界のことのように感じる。
おばあちゃんの話では、広島には防空壕がほとんどないから、地区によって避難所が決まっているとのことだった。土橋の地区の緊急避難所が楽々園だということで、空襲で広島が焼けてしまったときには、生き残った近所の人たちはみんな楽々園に集合することになっているのだ。


楽々園の駅に着いたノブコは、はやる心を抑えきれずに駆け出した。


「知った顔のご近所さんが大勢集まっちょっとるかもしれん」
そう思ってあちこち歩いてみたものの、楽々園の駅前も、園の入り口にも、人影がまるでなかった。
いない。なんで誰もいないんだ

がっくりと肩を落とし、園の門のところに腰をおろしたノブコには、もうこれ以上、自分が出来ることが思いつかなかった。門の隙間から園の中をうらめしそうにじっと見つめていると、中を歩くおじさんの姿が見えた。藁をもすがる気持ちで、
「すみません!土橋地区から避難してきた住民はいませんか」
とノブコは大きな声をあげた。
おじさんの顔は険しかった。まるで怒っているようにも見えたが、そんなことは気にもならなかった。眉間にしわを深く寄らせたおじさんは、ノブコのほうへ近づいて門越しに返事をした。
「おまえさんは、土橋から来たんか。えろう、大変じゃったろう。よくここまできたな。今ここには、路面電車の会社の人たちはいくらかいるんやないかと思うがなぁ。だけんど、広島の中心からは誰も来ちゃおらんと思うぞ。無理じゃろうて。広島は全滅だ。誰もあそこから、ここには来ておらんと思うぞ。あんたも危ないから、はよ、お家へお帰り
おじさんはそれだけ言うと、どこかへ消えていった。
辺りはひっそりと、夕暮れを迎えていた。

おばあさんはいなかった。
ノブコは途方にくれた。あてもなく楽々園を後にするしかなかった。どうしたら良いか、どこに向かうのが良いか、考えても、考えても、何の知恵も浮かばなかったので、ただトボトボと知らない道をフラフラとさまようばかりだった。
気がつけば辺りは真っ暗な夕闇で、足元も見えないほどの暗闇だった。見上げると、大きくて黒い空が広がっていた。星が1つ、2つと見えてきて、気がつけば数えきれないほどの星が空いっぱいに広がっている。しかし、ノブコにはそれが美しいとは微塵にも思えなかった。空いっぱいに広がる星が闇夜を引きつけながら、地上を押しつぶしてくるような異様な圧迫感が無性に嫌だった。ノブコは、空から目を背けた。
 なんだか肌寒く、無性に心細くなってきた。足は棒のように重いのに、立ち止まるきっかけが無く歩き続けるしかなかった。そのうち、遠くに小さな明かりを漏らしている民家が見えてきた。ノブコは、その明かりが見える高台で、ようやく腰をおろした。



お腹が空くのは厄介だ。空腹を忘れようと眠ろうとしているのに、頭の中で空腹の虫が暴れて眠らせてくれない。
ノブコは、右に、左に、ごろんごろんと体を転がせて、時折、星空をにらんでは起き上がって、一人ため息をついた。


「おう、びっくりした。あんた、ひとりかい。そんなところで寝転がって。ここはうちの畑じゃ。ここは風が吹くけんね、一晩ねっころがったら明日には風邪ひいちまってるよ」
ノブコは突然話しかけられ、びっくりして飛び上がった。



8月8日の夜



「ほら、こっちじゃ。女の子ひとり、危ないじゃないか。うちはすぐそこだ。こっち、こっち」
見知らぬおばあさんが、ノブコを家へついてこいという。真っ暗な道をついていくと明かりが見えた。

木の戸が開けられると淡い光がこぼれでた。
「まぶしいなぁ」
ノブコは目を細めながら、土間の敷居をまたいだ。
「これで汚れを落としんさい」
おばあさんが指を指した桶には、井戸水が入っていた。ノブコはまず顔をよく洗った。水がひんやりと気持ちよかった。
水は気持ちいいなあ、と思った瞬間、急に、水を飲ませてあげた後に息を引き取った兵隊さんのことが頭に浮かんで、しばらく桶のそこをじっと見つめていた。

ノブコは腕や首の汚れを桶の水で落とし、しぼった手ぬぐいを服の下にくぐらせて体を拭いた。そして最後に、靴の周りに巻き付けた紐を解き、血のにじむ足を丁寧に洗った。
「いてて。やっぱり、まだ足は、痛むわぁ」
さっぱりしたせいか、少しホッとした。

「なんや、どうしたん。洗い終えたらな、遠慮せんと、こっちの部屋へあがりんさい。今、なんか食べるもんを持ってきてやるけん。ちょっとここで待っちょれ」
おばあさんは、お盆にキュウリの漬け物とカボチャのみそ汁をのせて、ノブコの前に出した。
「さぁ、これしか無いけどな。みそ汁だって、みそなんか雀の涙ぐらいしか入ってないんじゃから。まぁ、無いよりはいいやろ。さぁ、お食べよ。あんたも疲れたんだろう。食べたら、朝までここで寝ていって構わん」

「助かります。ありがとうございます」

「あたしゃ、おじいさんとここでふたり暮らししとるんよ。おじいさんは足が不自由であまり外には出られないんでね。畑も家の仕事もわし一人で、ぼちぼちやってきたんよ。だから、爆弾が落ちても、何しても、ここからは動けんのよ。もう年だけんね。で、あんたは、どこから来たん?」

ノブコは、自分がおばあちゃんと2人でヒロシマに住んでいること、元々は呉で家族と住んでいたが戦争が始まってから家族は呉と広島と山口にバラバラで暮らしていること、今はおばあちゃんを探しに一人で呉から来たことをあっという間に話し終えたが、広島の町の話になると言葉が上手く出なくなった。
「広島は‥」
ノブコの言葉につなげるように、
「ひどいもんじゃ」
おばあさんがため息まじりにつぶやいた。
「この辺にも、やけどの人たちが来おったわ。歩くのがやっとの兵隊さんも、皮を垂らしたやけどの親子もおってね。広島であの爆弾にあった人たちが、うちのトマトやキュウリをとって食べていきなさった。みんなひどい様子で、声もかけられんかった。赤ん坊のあんな姿見たら、誰も何も言えんわ」

ノブコが食べ終わると、おばあさんは薄い布団を敷いてくれた。

ノブコは、眠りについた。

8月9日の朝、再び


翌朝、親切にもおばあさんは、すまし汁をごちそうしてくれた。そして、キュウリを2本ノブコにくれた。
「気をつけてお行きよ」
おばあさんに見送られ、ノブコは出発した。

8月9日の朝、もういちど、土橋にある、おばあさんの家へ行ってみようと思った。


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