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私はわたしと結婚したい

「私はわたしと結婚したい。」

大半の人は「何言ってんだコイツ」と思うかもしれない。でも、ほんとうにこれに尽きる。
理由は沢山あるが、一番は、自分自身のことですらままならないのに、特定のパートナーを大切にするほどの肉体的・精神的・時間的リソースを割くことは現状の私にはかなり難しいと確信したからだ。
そしておそらく、自分で想像している以上に私という人間は、他者に対する興味・関心が著しく薄い。そもそも人間誰しも存外他者のことなんかどうでもいいものではあるが、私の他者への無関心っぷりはそれ以上だと思う。正直、特定の人物に対して「尽くしたい」とかいった感情もなかなか湧かない。

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極端なことを言えば、私の味方はわたししかいなくて、私を最も愛することができる存在も多分わたしだけで、全て私とわたし、1人ないし2人で幸せになれる気がしてしまった。いつか出会うかもしれない、最高のパートナーという不確定な存在を一旦ここで私とわたしは否定しようと思う。「もし明日運命の人と出会って、恋に落ちて、そのまま一生添い遂げることができるのなら、私は幸せになれるだろう」などといった、取るに足らぬ反実仮想は所詮ただの仮想でしかなく、空想でもある。
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いつか30歳ごろを目処にソロウエディングをしようと決めた。成人式の帰りにぼんやり思いついたことが、数年の時を経てようやく気持ちが固まった。なぜ30歳なのか、それは単純に区切りがいいからだ。
一目惚れして決して安価ではないウエディングドレスを先日衝動買いしてしまったし、明日の昼のうちに近所の花屋で花束を買い、ヘアメイクも何もかも全て自分でやって、ドレスを着て自室で三脚を立ててサクッと写真を撮るだけでも事足りるであろう。でも、どうせやるならもっとしっかり貯金して、もっと今よりかっこいい自立した人間になってから然るべき場所・タイミング・セッティングをして執り行いたい。
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思い返してみれば、「いつか素敵なパートナーと幸せな結婚生活を送りたい」みたいな、そういった願望も昔からまるで無い。そういった気持ちになったことすらないかもしれない。
よく、男性が結婚するときに言われがちな「奥さんを幸せにするんだよ」といったような台詞に対して、私は昔からずっと懐疑的だ。男性/女性以前に、人間として、どうして自分の幸せを自分で掴もうという発想がないのか、不思議で仕方がなかった。
自己はどこまでいっても自己でしかなく、他者はどこまでいっても他者でしかない。私とわたしの幸せを他者に任せることは、とてもではないが出来ない。
私がわたしを私にできずに、誰が私/わたしを救い、愛し、私/わたしにすることが出来るのだろうか。いや、誰もいないのである、私/わたし以外。

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