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ケニアに行ってきたはなし

「力こそパワー」というインターネットミームがある。しばしば冗談として語られるそのコンセプトはしかし、熱帯の国々では日常としてそこに存在する


1.

熱帯が好きで、仕事で関わるようになってもう20年になろうとしている。最初に関わったのはタイ。1999年の終わりから2001年のはじめまでバンコクに滞在した。ドンムアン空港に最初に降りるときに、高速道路の向こうを走るぼろぼろの客車列車を見て、何て所にぼくは来てしまったのだろうと思ったことをおぼえている。

しかしタイは良い国だった。夜1人で出歩いても危ないことなんてなにもなかったし、月7万円のコンドミニアムは45階建てで中層と高層にプールがある豪華仕様だった。滞在中に高架鉄道が開業し、休みの日は高架鉄道でショッピングモールに繰り出してから、バスで中央駅に行き、ぼろぼろの客車列車で空港に行って飛行機を眺めて帰ってくるというのが休日の過ごし方だった。

この国でぼくは熱帯の森を知った。カンボジア国境にあるカオソイダオという山で、100mのベルトトランセクトは辛かったけれど、熱帯の森特有のにおいと湿気と自動小銃を持った兵隊さんの白い歯は、どこか浮き世離れしていて、フィールドに出るのはなかなか楽しかった。

次に関わったのはアマゾンだった。アマゾンの中核都市マナウスは、到着して最初の昼飯の時に「数ドルで人を殺してもらえる」と言われて、たいそうビビった。実際街はすさんだ雰囲気で、ファベーラと呼ばれる貧民街の建物には窓もはまっていないマッチ箱のような建物がごちゃごちゃと建っていて、そんな場所が街のそこここに存在していた。

つぺ

そんなマナウスでも、一歩街の外に出るととてもよかった。アマゾンでは水圏の生態系を対象にしたフィージビリティースタディーをしていたので、主にボートに乗ってマナウスから上流へ1時間ほど行った場所にある入り江のような湖のような支流の奥へ行く。コケの研究者が自分のコテージを持っていて、行くとかならずそこで酒盛りになった。ビールを飲みながら水を濾過したり、水を濾過したり、水を濾過したりした。ネグロ水系に属するその湖は静かで、透明な紅茶のような水と白砂は、元々持ってた「アマゾン川」のイメージを覆すのに充分なインパクトを持っていた。

おうち

マナウスではホテルにも泊まったが、研究者の家にも泊まった。コケの研究者の家は永遠に建築中で、できかけみたいな2階の部屋にハンモックを吊って寝た。シャワーは爆撃を受けたような穴が開いた隣の部屋にある、水シャワーだった。でも、マナウス外縁の森に接した地域に家はあって、なんとなくまわりはコワイ雰囲気ではあったけれど、森から吹くなまあたたかい風がホテルの冷房の風よりなんとなく気に入っていた。


2.

他にも単発でいくつかの場所に行ったり、国内では個人的に西表島に足繁く通ったりしていた。しかし、フィールドの仕事はなかなかまとめるのが大変で、業績が思わしくないぼくは、フィールドに行くよりベンチやデスクでうんうんうなっている方が多くなっていった。そんなときにとある人々がケニアでシロアリの仕事をしないか?と持ちかけてきた。実用化とか社会実装を目指すその人達の考えは、とても現実的でぼくには新鮮なものだった。ぼくの仕事の本線とも自分の戦略のなかではうまく繋がってくれる気がした。乗らない手は無いと思った。

そんなわけでぼくは眠るくろねこを病院に残して日本を後にした。くろねこは、羽田空港の渋滞に巻き込まれてのろのろ飛び立った飛行機が彼女のいる病院の上を航過するとき、追ってくるように虹の橋を渡った
ぼくはといえば、虹の橋を上に見ながら西へと飛行機をすすめ、次の日の朝に、ケニアの首都、ナイロビにあるジョモケニヤッタ空港へ到着した。

ちゃくりく

空港は熱帯らしいタクシーの客引きでごった返していた。車を拾って宿舎に行き、そこからさらにタクシー(Uberみたいなやつ)で街に出ると、そこはまさにアフリカ3大凶悪都市ナイロビだった。まずスーパーに入るときに持ち物検査がある。そのわりには金属のものがたっぷりポケットに入っているのになぜかパスする。フードコートに行く。セルフサービスと書いてあるが大量の各テナントの人が群がってきてなんならじゃんけんしてでもお客のオーダーをとろうとする。最終的に全店から一品ずつ買った。

ふどこと

道には中央分離帯まで人が歩いている。とにかくどこでも人が歩いている。そしてぼくらはとにかく目立つ。車の中のぼくらに気付くとみながげらげら笑いながらぼくらを指さす。正直こわい。何もしていないのに向こうから干渉してくるというのは初めての体験だったので、なかなか強烈だった。


3.

ぼくらの目的はシロアリの有翅虫、つまり羽ありを食用として利用する可能性を探ることだった。ぼく自身としては、それをテコにしてケニアとの間の国際共同研究のプロポーザルを書くために必要な根回しと情報集めをすることが目的だった。そのためにぼくらはシロアリを食用としている部族のいるケニアの西部にある高原地域を目指すことになっていた。

ハイウェイは片側一車線で、びっくりするほどのろのろ走るトラックを追い抜こうとすると対向車線とチキンレースになる。調子よく走っていても村落ごとにスピードバンプがあり、停車直前までスピードを落とす事になる。警察の検問がそこここにあるけれど、これは研究所の公務ナンバーが功を奏して一度も止められなかったのはよかった。とにかく陸路移動はつらかった。そうしてついた地方都市は、平和と聞いていたけれど、ぼくにとってはナイロビよりもこわかった。
シロアリのシーズンではなかったが、マーケットでシロアリを探すことになっていた。タイのサンデーマーケットや、マナウスの市場のような場所を想像していたが、最初に行ったのはスーパーだった。機能しているのかいないのかよく分からない金属探知機をくぐってスーパーに入る。シロアリ無し。二軒目、シロアリ無し。三軒目、シロアリ無し。結局リアルマーケットに行くことになった。

市場

よくある熱帯のマーケットなのだが、圧がすごい。とにかく絡んでくる。こわい。マナウスのマーケットもそれなりに怖い雰囲気はあるのだけれど、まだ他人は他人という感覚がある。ここではなんとなく自分がマーケットに並ぶ珍獣になったような気がする。ただ、人々は底抜けに明るく、ミスチョイスをしなければ友達になる垣根も非常に低い。人は大体、珍獣・敵・友達の3カテゴリーに分けられているようであった。人に聞いた人に聞いた人に聞いた人の所に聞きに行くといった感じで、現地で即席で作られる細いヒト-ヒトブートストラップを辿ってシロアリを探す。この感覚はたぶんやみつきになるかも知れない。事前の計画よりも現地で如何に早くキーパーソンにまでたどり着けるかのRTAという感じがする。最終的に、最後の街のマーケットでようやくシロアリ売りに出会えた。

複数の街を巡っていった旅だったが、ある街のガソリンスタンドでプチ暴動に遭遇した。ここのお葬式は笑って送り出す形式のお葬式で、有り体に言って暴走族化した葬列という感じだ。突然ぼんぼんと音がするとAKを掲げた軍警察が走ってくると、ガソリンスタンドに逃げ込もうとする暴走族を捕らえるとがんがん殴りつけてピックアップトラックに乗せていく。熱帯では銃は普通にその辺にあるし、遠くで銃撃戦を目撃したこともあるが、自分のすぐ横で銃声を聞いたのは初めてだった。硝煙の臭いと催涙ガスの臭いが漂う中、暴走族(葬列参加者)を大体トラックに収容し終えると、自動小銃のトリガーガードの内側に指を掛けたまま、冗談みたいなミラーサングラスとじゃらじゃらと光るネックレスを首に掛けた軍警察の男は、あたりを睥睨して去って行った。

各街ごとに、フィールドに出た。農家を巡って実際のシロアリ収穫者に会い、シロアリの採集と実際の収穫法についてのインタビューをするためだ。ここでも事前のリサーチと言うよりは、現地で始めて形成されるほそいクモの糸を辿って現地に辿り着く。

そうげん

とりあえず子供達が集まってくる。みんなわらっている。なんかよくわからない人もわらわら集まってくる。ときどきものをねだられる。分かっている人も、よく分かっていない人も、とりあえずみんな楽しそうにしている。フィールドでは、「力」よりもひとりひとり・個人間の理性的な関係性が勝っているようだった。

かんそう


4.

この都市部と田舎の違いはなんだろうか。都市部を支配しているのはヒエラルキー的な人間関係。そこでは物理的・経済的なパワーによって出来上がった関係性が支配的だ。田舎を支配しているのはアミーゴ的な人間関係に見える。フラットな関係性で、それぞれの個人の間のお知り合い関係が支配的だ。断続的に見えるこれらふたつのシステムの間は、仲介者的な存在の有無によって結びついているかも知れない。
田舎のシステムでも、妙に着飾った「仲介者」が突然現れるという現象をひとつの村で観測した。その村ではシロアリの収穫技術の実演をして貰い、実際に成功したので仲介者様々なのだが、そこよりも、仲介者の「人々の上に立ってる者」ムーブが興味深かった。このあたりはまだ自分の中で考えがまとまっていないのだけれども、社会を駆動する原理的なものがこのあたりに隠れていそうな気がしてならない。ぼくらはここでシロアリを利活用することを考えているわけで、この先否応なくそのシステムに巻き込まれつつ、利用し、利用されていくのだろう。


5.

まち

街に住んでいるとどうしてもそのバックにあるバイオスフィアの生産システムの事を忘れがちだけれど、それは厳然として存在していて、そして経験則によって駆動されている。今回の旅ではそこに切り込むつもりでケニアに乗り込んだのだけど、むしろもっと直戴に社会とはなにかみたいなところまで考えさせられた気がする。それは思っていたよりももっとずっと生々しくて、生き物的で、そして連綿と続く生物進化の果てにあるようだった。

シロアリの話はそのうち書くかも知れないし、書かないかも知れないけれど、たぶんケニアはこれからもしばらくは関わることになると思う。これが吉と出るか、凶と出るかはまだ分からないけれど、生き物の連鎖を強く感じさせるこの地で色々なことをまた考えられれば良いなって思ったりしている今日この頃なのです。

このポストは「多分動くからリリースしようぜ」の精神に基づいてリリースされています
そのためこのポストはアップデートされる可能性があります
初版:2020.02.02

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