見出し画像

統合失調症青春狂騒回想録発症後編 8

 空調設備をはじめた頃からファッションもモードは着ず、古着のアメカジかミリタリーに変わっていった。現地集合するときなど、車の脇で着替えて作業着を着てた。はじめは恥ずかしかったが、次第に慣れていった。現場はオッチャンたちが厳しく、頭を使って稼げないなら身体を使って稼ぐしかないんだっ!と怒鳴る人やアシックスの緑と黄色のスニーカーを履いてたら、人と走らず、馬と走らせればいいんだっ!とボルトのことを言っていた。
 ある日の朝礼で、現場にウンコをしたやつがいる!ということもあった。
 そんなめちゃくちゃなバイトになる中、カフェバーのバイトは時給が安くても好きなレコードをかけられるし、カクテルの作り方も覚えられた。
 相模大野から近いということもあり、多摩センターのtx君の家にスーさんと集まり、口琴というタイの、口でバイーンバイーンと鳴らす小さい楽器を持って来ていたので、スーさんと僕で、針金ハンガーを頭にハサみ、バイーンバイーンとプリミティブな遊びをしていたら、tx君も混ざってきて、バイーンバイーンとなんのこっちゃで盛り上がっていた。針金ハンガーを頭につけると、首が勝手に曲がるのだ。
 相模大野で観た映画で覚えているのはファイトクラブとマトリックスhttps://amzn.to/3UO3qZb、kill billhttps://amzn.to/4b7haEn、シティオブゴッドなどである。
 yellowではtheo parrishやmoodymann、rick willwhite、malcell pitmanのユニット3chairsなどが来てdjをしていた。theoのdjはダンスクラシックスをアイソレーターを使って、高音低音を上げ下げして、たまに音を切るdjスタイルで、新しいタイプのdjプレイに熱狂した。theoのDetroit live mixというmixカセットは今でも名mixだと思う。食べものに詳しいスーさんがmoodymannがプリッツ食べてた。と言っていた。
 多摩センターの焼き鳥屋やブーブーという中華料理を3人で食べた記憶がある。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?