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親の価値観と理想の家庭像

皆さまこんにちは
コユキまいです。

さて、
大学時代のパートナーと
別れた後
結構喪失感はあって
しばらくは
仕事に専念していました。

この時代の
昭和的価値観でいう
幸せとは

「結婚」
「子供」
「持ち家」

だと思います。

親だけでなく、
テレビや新聞からも
それが幸せだと
刷り込まれてきました。

ま、実際
親の世代はそうだったし
会社も終身雇用で
勤め上げれば年金がもらえて
悠々自適な生活が
待っていたわけです。

私もその理想像が
自分が求めているものだと
その時は思っていました。

でもね、
理想像を作り上げていくと
それが完成に近づけば近づくほど
なんだか違うな…
と思うようになりました。

毎日疲れて帰ってきて
イライラしているし
確かにお給料は良かったけど
老後の資金を貯めないと、と
その当時のパートナーに言われて
毎月給料のかなりの額を貯金。

生活はつつましくしていたので
それでも生活が苦しい、は
なかったのですが
やっぱり
ぜいたくは敵だから、と
本当に欲しいものより
少し安いものを買ったり
そんなことをしていました。

パートナーとの関係において
私は前のパートナーとの
別れもあり、
失うことを極端に
恐れていました。

そのため、
相手の言うことを
嫌なことでも受け入れていたと
今なら思います。

でも、それが
パートナーのため
家族のためならば
やらなければいけない、
とも思っていました。

私が要求したことも
あったとは思いますが
そこに関して
当時のパートナーは
絶対嫌なものに関しては
はっきりと拒否することが
できる人でした。

今なら単に
自分の気持ちを
ちゃんと確認して
やりたくないことは
しない、と
できていれば
さらに
こうしたい、ということを
声に出して実行していれば
別の人生が
待っていたのかもしれません。

でも、
当時の私には
それはできなかった。

頑張る生活を続け
見た目は理想の家庭を持ったけど
何かぽっかり穴が開いた感じ。

それは、
自分を大切に
していなかったからだと
今ならわかります。

「仁」の心ですね。

このあたりの
東洋哲学的な話は
また別の機会にも
していきたいと思います。


今日も最後まで読んでいただき
ありがとうございます。

コユキまい








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