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トラウマとキャリア


「ホスピタリティ精神のある人」?

「気が利く」「相手の気持ちに立って考えられる」
「優しい」「気遣いがすごい」「礼儀正しくて丁寧」

社会に出て仕事に就いてから、
上長からもらえるフィードバックは大体そんな感じだった。
業種自体はサービス業ではないけれど、
業務の中で私は、人の関わり方や、ホスピタリティ面のことばかりが評価されていた。
だから、数ある部署の中でも、
顧客との密な関わりや、接遇が求められるチームに配属され、ずーっとそこにた。上司からすれば、 "適材適所" だったのだと思う。

当の本人である私はそのことについてどう思っていたかというと、
自分の仕事が大嫌いで、会社に行くのが嫌で、死にたいほど苦痛だった。

同じ部署の中には、人との関わりが本当に好きで、心から楽しんでいる人もいた。けれど私は、全然好きじゃなかった。
親密な間柄でお互いを思いやることは大切に思っていても、それを仕事にしたい、キャリアとして積み重ねていきたいとは思わなかった。
※誤解のないように言うと、別にそういう仕事自体や、そういう仕事を楽しんでやっている人に文句があるわけではない。「私は」好きじゃなかった、という話です。

「気遣いができる」「気持ちの良い対応」と言われるのは、
嬉しくもなんともなかった。
けれど、どうやら上や同僚からの評価を見ると、自分はそれが「得意」らしい。
不本意ではあるけれど、それ以外に褒められることなんてないんだから、
ありがたく受け入れないといけない。
そう思ってずっと、死にたいまま仕事をしてきた。
あと数十年、「得意だけど大嫌いなこと」を続けていかないといけないんだな、と。

運命の部署異動と、その結果…

ところが数年前、ある部署に異動になった。
発足して間もない部署で、
やるべきことや業務フローはまるで整っていない。
ちょっとしたカオス状態。
論点の整理や仕組み作りが急務で、考えるのを放棄したくなるような状態だった。
その代わり、それ以前の部署でやってきたような、
「相手の気持ちを汲み取って、気分良くなってもらう」「気遣う」
「失礼のないように、相手を丁重にもてなす」といった業務がほぼ0になった。これまで培ってきたスキルはまるで役に立たなくなった。

異動から約半年後。
そのカオスな部署で私がどうなったかというと、自分でも驚くことに、
これまでのキャリアの中で未だかつてないほどに評価されてしまった。
その部署で大きな成果を残し、社内で表彰もされた。

どうも私は、思考を整理して言語化したり、
フローを作ったり、図にして視覚化したりすることが得意なようだった。

立ち上げられたばかりの部署の問題点を整理したり、
新たな仕組みを作ったりするのは、大変だったけど、苦しくはなかった。
かといって、別に「超楽しい!天職!」と思っているわけではなくて、
全身全霊をかけて頑張ったりもしなかった。
これまで「気遣い」や「接遇」に使っていたエネルギーを使って、
その部署で必要だと思うことを、ただ淡々とやっていた。
それでも、定量面・定性面で成果が出て、
自分でも何だかわからないうちに、表彰されてしまったのだった。

生存戦略としてのホスピタリティ

今になって思う。
冒頭に書いたような、対人関係の上での "スキル" ——
「気が利く」「相手の気持ちに立って考えられる」
「優しい」「気遣いがすごい」「礼儀正しくて丁寧」というのは全て、
私にとって、トラウマ反応だった。

幼い頃から、周囲にいる人の顔色を伺ってきた。
苛立っていそうな人がいると、なんとか機嫌を取ろうとしていた。
絶対に誰からも嫌われないように、相手が私に望んでいる(と自分が思っている)通りに振る舞った。
そうしないと、居場所がもらえない、すなわち、生きていけないと思っていたから。


私の「気配り・ホスピタリティ」は、本当に得意なことではなかった。
生き残るために磨かなければいけなかった、生存戦略の一つだった。

そして、気配りが求められる業務に従事するという経験自体が、
トラウマの再演であり、追体験だった。
以前の部署にいたとき、私は1日8時間、週5日、トラウマを再体験していたのだ。
だから、「死にたい」という気持ちがずっとあったのだと思う。

以前の私だったら、
「何を大袈裟に」と思っていただろう。
でもトラウマについて学んでいる今は違う。
幼い頃、自己が尊重されず、相手(大人)の情緒に責任を持たされたり、
家庭内の不機嫌に巻き込まれたりすることは、
十分トラウマティックなことだ。

筋肉の緊張・こわばりや、神経の高ぶりが身体に刻まれる。
自分と世界に対する否定的な考えが何十年も残り続ける。
人との関係性を育むときに、自分の感情やニーズよりも相手の顔色を優先する。
これらは、少なくとも私にとっては「トラウマ症状」だし、
そうやって「症状」として自覚することで、必要なケアにつながることができた。

気づけて、良かった

「相手の気持ちに立って考えられる」
「礼儀正しく丁寧に人と接することができる」というのは、
今も私の長所でもあることは否定しないし、
そうやって生き延びてきた自分のことも否定しない。
関係性を育んでいきたいと思うなら必要で、大切なことだ。
でも、「そうしなければ生きていけない」のと、
「自分の意思で、そうしたいからそうする」というのは、
天と地ほど違うんだなあと思う。
あまりにも "上手に" できてしまうものだから、
他者からすれば、「好きでやっている人」「人を気遣うのが本当に好きな人」に見えていたんだろう。
だから、部署異動は本当にラッキーだったし、ありがたい。
そして、トラウマについて学び、理解を深めてきた自分自身にも感謝している。
そのおかげで、これまでのキャリアにおいてずっと、ずっと、
最初のボタンを掛け違えていたことにようやく気づけた。
そしてその代わりに、「あ、これならいける。これだったら、死にたくならずに頑張れる」と思う分野を改めて学び直すことだってできるのだ。
最初から自分本来の素質に気づいていた人と比べると随分遅れを取っているけれど、まあ、きっと、遅すぎることはない。(こんななふうに思えるようになったのも、トラウマケアのおかげかもしれない)


今回はキャリアの話だったけれど、「生存戦略」がいつの間にか日常に染み付き、当たり前になってしまっていることって、結構あるんじゃないか、と思っている。時間も手間もかかるけれど、見つけて、ケアしていきたい。


それが自分の「育て直し」だ。
だから、お手軽じゃなくていい。簡単じゃなくていい。

時間と手間を、ちゃんと、かけてあげたい。
時間と手間がかかる子でも、見離さずに。



ドリゼラ



お読みいただき、ありがとうございました。わたしという大地で収穫した「ことばや絵」というヘンテコな農産物🍎🍏をこれからも出荷していきます。サポートという形で貿易をしてくれる方がいれば、とても嬉しいです。