見出し画像

「1800の顧客、100万の顧客、1000万以上の顧客」

昨日(2021/6/19)の「学びの個別最適化を考える1日」イベント。

個別最適化とは?という定義をすることが目的ではなく(学術的や商用的、世界各国の教育行政においても、様々な定義なり考え方があるので…)、その周辺に存在する、現在の教育行政の流れから、どう「個別最適化」の近未来を考えるか?というイベントでした。
 昔取杵柄の業者視点でも拝聴していると、新規ビジネスのネタが、いろいろと思い浮かぶ7時間の超ロングランのイベントでした。

【感想1】
 気になった点は、教育再生実行会議の第12次提言「ポストコロナ期における新たな学びの在り方について」にもあった「データ駆動型の教育」の件。
 デジタル庁の創設にあたり、教育領域もまさに「デジタル化」「教育DX(デジタル・トランスフォーメーション)」で、デジタル庁が取り扱う事案となっています。
 デジタル庁関係者もご登壇され、どのような方向で考えているのかの骨組みの一部をご教示いただいた感です。

 さて、その教育におけるデータに関して。
 GIGA端末などから生成されるデータは、

1:文科省(教育行政)が欲しいデータ
2:教委(地方教育行政)が欲しいデータ
3:学校と教員が欲しいデータ
4:保護者が欲しいデータ
5:学習者本人が欲しいデータ

6:企業・民間が欲しいデータ

と、6種類ほどあって、それぞれに膨大なデータを分析して、可視化できる状態(グラフィックな状態)で出さないとならないわけで、そうなると、Excelで片手間に分析、なんてことはまずは不可能と思います。
 となれば、データ分析専門の人やソフトウェアは必要で、ハイスペックなマシンが必要で、その操作を理解できる人が必要で、機器に人にと財源や制度が必要でと。

 専門部署・分掌張り付けでのデータサイエンティスト(さらには、教育や学習、教育行政についての知見を要する)が必要ですね。
 概して、公務員は民間よりも給与ベースは抑えられがちな中、かつ、民間でもデータサイエンティストは必要で公務員より高給、ということになれば、公務員×データサイエンティストは、人員の配置や補充に一苦労しそうです。特に地方教育行政においては。
 つまり、全国に1800ほどある教育委員会では、おそらく人員不足だったり、Job Description に適合した人材が見つからない、ということは必然ですが、データ分析は欲しい。
 となれば、人件費周りの費用であれば、外部発注で委託したり、コンサル的なサービスを使う、金持ってる自治体・教委は独自システムを構築するといった方向に進むのは必然かなとも考えます。
 さらには、教育委員会というところは、児童生徒の学習に関するデータだけではなく、教員をも管轄する組織でありますので、2:教委(地方教育行政)が欲しいデータ の中には、「教育委員会管轄の教員の指導力向上のためのデータ」というものも、欲しくなることでしょうね。
 となれば、日々の児童生徒の学習に関するデータの分析や監視、管理という業務が付加されちゃうわけですね。
 ただでさえ、既存の膨大なルーティンな業務に、IT関連のマネージメントなどが付加され、データ分析をも、少ない人員でやりくりせねばならず、と。
 教員の皆さんのブラック労働化が問題となって幾久しいわけですが、今度は #教委死ぬかも みたいなハッシュタグが出現しそうな気すらいたします。

 業者的な視点でまとめて申しますと、

A. データ分析ニーズは存在する
B. 財源、適格な人員配置へのハードル
C. 人材要件からみた人材確保の難航

という点から、データ分析の外部発注化(民間活用)は「あり」なんだろうと思います。
 教育関連企業や情報通信関連企業、コンサル業界としては「新たな市場」であり「機会創出状態」なのですが、個人情報保護条例の壁や、後述する「教育データの利活用に関する有識者会議」での議論がまとまりきっていないように、外部環境の未整備や方向性が不明確な現状ですので、いくつかのシナリオは必要となることでしょう。
(さすがに、GAFAなどが出てきて、無償でデータ分析のサービス利用をできまーす!請負いまーす!という確率は、欧米での動きをみておりますと、小さいのでは?と素人考えいたします)

 このあたり、日本では、大学において、「教学 IR(Institutional Research)」というものが、大学認証制度が始まった頃より、盛んになってきました。
 教学IRは、学生の授業の満足度などをはじめ、大学の教育の実状を知る・授業やカリキュラムなどを改善する、といったデータを取得し、分析し、大学経営に活かす、といった「エビデンス」を調査し、分析する部門で、学期末などでの学生へのアンケート調査で、ある意味、季節労働的な側面もありますが、高等教育論として学術的にも分析してしまう、高度専門職の集合組織です。
 ただまぁ、大規模な(ルビは、金持ってるとか熱心とか)大学や、国立大学法人などでは、教学IRの担当組織を備え、予算が割り振られ、専従の大学教員(+研究者)がいるわけですが、中小零細の私立大学では、組織もなく、専従の教員もおらず、アンケートを事務職員が一生懸命取りまとめて、なんていう大学の方が多いのじゃないかしらん(エビデンスなし)

 初中等での「データ駆動型教育」なんていうたらば、日本中で毎日毎時、1000万人超の児童生徒データと、100万人近い教員のデータが生成されているわけで。
 すごい量です、トータルにすると。
 とてもじゃないですが、国で一括処理できるものじゃないんじゃなかろうか。(理研のスパコンでもリアルタイムでは無理なんじゃね?と素人の言) 

 蛇足ながら申し上げておきますが、公務員(国家も地方)が減らされている中、かつ異動ありのゼネラリストが多いことを考えますと、高度専門職が必要な場合、民間利用をすると、
「癒着だ!」「利益供与だ!」
 と、調べもせずに短絡的に騒ぐ、伝統継承している思考停止の輩も、まだまだ潜在伏罪しておりますので、これまた、教育委員会ムラや学校ムラ、基礎自治体ムラ、地方議会ムラの村人各位におかれては、

 ・意思決定のプロセスを透明化する(適時、アクティブな情報公開を)
 ・広くステークホルダーより公聴する

することを、本州の中ほどの某政令指定都市での事例を、他山の石としながらお考えいただき、実行いただければと願っております。

【感想2】

 教育DXというものがナニであるかは、まだ漠然という気もいたします。
イベント内では、文科省の「教育データの利活用に関する有識者会議」をご担当になっている桐生さんのご講演内で、教育DXについて、さらっと描かれていた図、どこかで見たことあるな、と。


 ガートナー社が公表している2014年の文章の図でした。

 以下の図、経済界(ビジネス)におけるDXに、教育風に味付けをしてみると、日本の教育政策としての教育DXの現在位置は、欧米の企業の現在位置(IT industrialzation と Digitalization の間)と比較して、一段階前の状態で、( IT Craftsmanship と IT industrialzation) ではないかと思います。
 GIGAスクール構想においては、 IT Craftsmanship にようやく至った、教育委員会や学校もあるような気がしていますので、足並みが同じということはないのでしょうね。
 

スクリーンショット 2021-06-14 15.56.07

スクリーンショット 2021-06-14 15.56.31

 「DX」を短絡的に「Digitalization」に直結したり、同義として認識している方が、経営者や幹部層のみならず、一般社員に至るまで、大勢いらっしゃるのではなかろうかと。

 私なりに解釈しますと、「教育DX」というものはおそらく、
 α:校務・事務
 β:教務・授業
 に大分され、前者αは、教員の働き方改革へ、後者βも教員の働き方改革を含みますが、理念は学習指導要領から、現実は日々の授業案に至るまでの、新たなカリキュラムや授業モデルへ至る課題解決を変化のゴール=教育DXになるのかなと。

 ですので、「Digitalization」のアウトプットや成果が、Society5.0 の日本社会における学校教育や授業モデルになったり、保護者や社会や経済界に受け入れられ、児童生徒学生への新たな学校教育の価値の創出(PISAなり学調なりで、我が国は、オラがムラの教育は上位にある、なんかの既存の大人の都合の価値ではない、SDGsなりにOECD Edu 2030 に沿ったような新たな教育目標の価値なり、教科科目ムラになりがちな教条主義に基づく伝統的価値を統合させるような、学習者中心の、それこそSelf-paced Learning =「個別最適な学び」なり「協働的な学び」といった新たな体験価値)をゴールとして明示しないと「教育DX」にはならないんじゃないのかな、と懸念しております。

 ん?中教審答申の「令和の日本型学校教育」がその役割だろ?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、あれは理念に向かうフォアキャストの積み上げ型であり、DXって目指すゴールからのバックキャスト型ですから、目指すゴールの姿がよくわからぬのですよ。
(企業のDXに関する中長期経営企画なんかを読めば、中教審答申とは違うことにお気づきになるはず)

 いずれにせよ、賽は投げられた訳ですので、社会全体で前へ進めばいいですよね。

 それにしても、7時間のイベント。
 担当されている現役官僚の皆さんや東大の先生方が講演されて、なおかつ視聴者の声を拾いながら、という過去に例を見ないものでした。
 銀河の歌姫、シェリル・ノーム嬢による一言

画像3

 を実感した、これからの学校教育・教育行政を考える端緒となったイベントでした。 
 主催者・ご講演者・参加者の皆様、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?