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マジックマッシュルームによる神秘体験 7 その後

それまで真面目に受験勉強して大学に入り、狭い世界で生きてきた、言ってみればひ弱な青年が、このような今まで経験したことがないような激しい体験をした。当然その経験は考え方を大きく変えてしまった。

世間的には、ただドラッグでトリップしただけじゃん、と言うことなのかも知れない。しかし、自分としては、今思い返しても重要な経験で、言ってみれば「成人するための儀式」であった。自然の中に生えている聖なるソーマを、自分で探してとってきて、大袈裟に言えば死も覚悟してそれを食べ、神秘体験をして大自然と合一し、古い自分を脱ぎ捨てて新しい自分になった。生まれ変わりの体験であったと思う。

体験があまりに印象的だったため、そのサイケデリック世界にすっかり魅了されてしまった。その後も何度かきのこを食べた。しかし、最初の時の様な聖なる経験はなく、ただ色鮮やかな歪んだ世界を楽しむのみだった。今から思えば、きのこをドラッグとして消費してしまい、体験もどんどん神聖さを失っていったのだと思う。

世の中もそれにシンクロする様であり、合法ドラッグとしてきのこを売る業者が乱立し、巷でパーティードラッグとして消費され、ついには有名人がパニックを起こして騒ぎとなり、ついに2002年に規制されてしまった。

神秘体験はこの世界や人生の意味を深く考えさせてくれて、自分には概ねポジティブな影響があった。この世界全体を偉大で肯定的なものと捉えることが出来たことで、人生を前向きに生きることが出来るようになったと思う。

しかし、良いことばかりではなかった。端的に言えば、自分は魔境に落ちた。
魔境というのは禅の言葉で、中途半端に能力が高まった修行者が、自分は神仏に近付き悟ったと思い上がってしまうことを指す。エゴを神仏と同一視してエゴが肥大してしまい精神のバランスを崩してしまう。
まさに自分は神秘体験することで自分が真理を知ったと思い上がり、自分が偉くなった様に勘違いして、その様な経験をしていない周りの人達を馬鹿にする様になってしまった。さらには、このようなサイケデリクスは世の中からはいかがわしい物と思われており、それをやって真理を悟った様な顔をしていると当然周囲からは鼻持ちならない「ジャンキー」として浮いてしまう。そうすると、この世の真理を知っている自分を理解しない周囲に対して、さらに敵対的に感じてしまう、という悪循環に陥ってしまった。
自分と同じような経験をした友人とつるんで、世の中の人間は目覚めていない!と馬鹿にして、自分たちのプライドを維持する、というような良くない状態になってしまった。

このような魔境の状態ではあったが、何とかドロップアウトせず国家試験を通過して医者となった。そこそこ忙しい病院で研修医として働くことになったが、当時の研修医は丁稚奉公的な強制労働で、ほぼ病院で仕事して過ごすだけの生活になった。当然きのこどころではなくなった。最初は現場で何にも出来ず、プライドは打ち砕かれ、とにかく早く仕事が出来る様にならねばと奮闘した。そのうちに出来ることも増え、それなりに職場で自分の居場所ができ、人に役立つことの喜びを感じるようになった。

そして、職場でいろいろな仲間と仕事をしている中で、真理を悟ったとと言って偉そうにしているよりも、実際に一生懸命仕事して人の役に立っている方が、全然すごいよな、と気付いた。そこでようやく魔境から抜けたのだと思う。

魔境はジメジメとした低い精神状態ではあったが、今から思えば通過しなければならない過程だったと思う。神秘体験の意味を本当に理解するには時間がかかるのだろう。

悟りに至る道を図に書いた十牛図というものがある。牛というのは仏性の象徴、つまり真の自己である。
1. 尋牛 - 牛を見つけようと決意する。
2. 見跡 - 経や教えで牛を探す。
3. 見牛 - 牛を見る。
4. 得牛 - 牛を捉えたがまだ飼い慣らせず牛と格闘している。
5. 牧牛 - 牛を手名付けて共に歩む。しかしまだ縄は必要で完全ではない。
6. 騎牛帰家 - 牛に乗り家に帰る。牛と一体となり心の平安が得られる。
7. 忘牛存人 - 家に帰り、牛のこともわすれてしまう。
8. 人牛倶忘 - もはや人もいなくなる。悟った自己を忘れ、悟りも忘れ、全てを忘れてしまった境地。
9. 返本還源 - 何もない清浄無垢の世界から、自然が現れる。本質にたどり着く。
10. 入鄽垂手 - 再び世俗の世界に入り、人々に安らぎを与え、悟りへ導く。

自分を振り返れば、きのこの神秘体験は見牛であり、ただ「真の自己」を見ただけで自分のものとはなっていなかった。魔境に落ちたり懸命に仕事を覚えた時期は、「真の自己」を手懐けるために格闘した得牛であった。そして今は完全ではないが牛を手懐け、共に歩み、現世の役割を果たしている。

自分はまだまだ道半ばであるが、振り返ればそれなりの距離を歩んできた。このような自分の道筋が、後を歩く人の参考になれば嬉しい。

以上で、神秘体験の記事を終える。

最後まで読んでくれて、ありがとうございました。

注)このシリーズの4,5はnoteによる規制のため公開不可となっています。


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