ロマンティシズム
#みんなの文藝春秋
#ゲンロンカフェ
#SNS
『衣については最低3代まで遡(さかのぼ)らなければ、
食については最低5代遡らなければ、
「通(つう)」とはいえない。』
バタービスキュイ/白い素焼き
これだけはハッキリしている。
私はどんな仕事でも
「仕事はぜんぶ自分のモノにしないと気がすまない。」
ホントにこれは一種の性格的なクセなんだろうと思う、もうだれにも止められない。
「はやくいきたいのでひとりでいきます!」
スピリチュアルカウンセラーのもと世界銀行の人事カウンセラーだった中野裕弓さんは
以前は外資系の人だとすごく感じた。私はあんなに強くない。
特徴的なのは押し出しが強い事が条件で
そこが違うところで中野さんが自身のブログやラジオのパーソナリティでよく言われていたアドバイスに(現実的で人事目線で)
「その杭を引っこ抜いたら周りがその穴埋めにものすごく困る杭になりなさい」と言われたエピソードがある。
ここは共感できるけれども。
なにが違うのかというと
「押し出しの強さ」ではなく、
それは私的に「引きの美学」にあった。
「一に引き。二に運、三に器量」
中野さんがいうには外国では会議で発言をためらう日本人は決して出世できないし、どんなに優秀でもポストがないのだという。外資系はどんな職種でもたぶんそういう気質で命短くてもアクションを起こしてくれる人を歓迎するので
日本人気質の内気な人が出世できないのはすごくよく理解できる。
私なら「背水の陣」でしかないし、それも悪くないけど体当たりは好きじゃない。
なんにしても、私の商法はいつも決まっていた。
ブルジョワジー好み
相手を待たせる事にポイントを置き
例えばもし「あなたにできますか?」と
外資系的な意欲や志しを聞かれたとしたら
決まってこう答える。
「一年待って頂けますか?
一周してみないとなんとも言えないので一年待ってください。」
自分でその場で雇用条件など切ってしまうのだった。そしていつもそれが大歓迎されて優遇はされないけれど厚遇はされる。
首の皮1枚でぶら下がる、
みっともなさがどうしても受け入れられないというか、そんな20~30代だった。
それでも押し出しが強い事には私は批判的で
「一に引き。」はとにかく今も大事にしている。
ゆんたく(お茶会)にて。
中野さんの講演会のあとの「ゆんたく(沖縄の方言でお茶会)」ミーティングで個別に質問できる機会があった。
中野さんがその日連れてきていたカワイさんという松下幸之助さんのお弟子さんだというおじいさんも一緒に小さな喫茶店で
今でいう「密(みつ)」な時間を過ごした。
病み上がりだという75才(今はたぶん90ぐらいですね)のカワイさんは講演会では発言なさらなかったけれど
ゆんたくの席で松下幸之助さんとのお話をされた。
私はあまり松下幸之助さんのエピソードはよく知らないけれどカワイさんの言いたい事は
始終
松下幸之助さんにいつも言われたという
「カワイ、死ぬまで現役やぞ。」
これだった。
これは偶然なラッキーで本来定員が満杯だった講演会に当日連絡がきてお席は椅子だけですがどうですか?「ゆんたく」もいかがですか?と聞かれた。よくわからなかったけど
「ぜひ。」と参加したら講演会よりゆんたく(お茶会)はずっと楽しかった。
個別の質問では私の横に偶然!中野さんが椅子を持ってきて座られたのでずっとドキドキしていたけれどなにを質問するか?なんてホントはどうでもよくて直感で中野裕弓さんの
「内なるウメ(直感的叡智)ちゃん」に質問した。
「待って来たものを受けとる、という生き方についてどう思われますか?私はずっとそうしてきました、ところがとんでもないラッキーがきたりするとこわくなったり、またその逆もあります。」
じつはこの日はいろんな意味で私にとっては運命的な日で市ヶ谷にいた、
私はあの日を忘れられない。
mayaya(Tuesday火曜日生まれ。)