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Candy プロファイル

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お蔵入り事件「2012年までは生きていたのに!」

マネーロンダリング

おなじ殺人事件でも深追いして調べない事件もあるみたい。

例えば、私の身近な人でどうしても関わりがあるように思えてならない銀座資産家殺人事件もそのひとつではないかと思う。

私は株の事は全くわからないけど株が少しでもわかる人ならこの話をすると「あれは印象的な事件だった」という。私は2000年の2月に資産家夫人がお客様だった銀座松屋のお店を辞めたので霜見さんのその後を知らない。

だけど、確かにそのご夫婦は2012年12月までは生きていたのに、警察も係わりたがらないし、下手にその話をするともうハッキリと「精神異常者」にされてしまう。

実は私は2015年ぐらいに一度文春リークスの投稿にこの事を書いて送った事がある。特になにも返信もこなかった。まだみなとみらいの三菱重工の前にある日石ビルのアクアグラツィエにいて、その昼休みにたしか、送信した。

20年前の自分の亡霊

私は2013年の11月から横浜そごうにいた。登録したのは20年前になるけど試しにその派遣会社に電話をかけてみた。昔は東商マネキンというマネキン会社だった。派遣社員というのが一般的になる前は販売員の派遣のような仕事はいわゆるマネキンと呼ばれていた。私はこれは社員とかで働くつなぎとしてはなかなか条件がいいと思ってもちろん登録した。横浜に出てきた25才の時に東銀座にある東商マネキンに行った。泉さんというコーディネーターさんが色々お世話してくれた。東急本店の仕事も泉さんが紹介してくれた。私はこの泉さんというコーディネーターさんとは社員としてまた転職した後も時々連絡を取っていた。最後にお会いしたのは私が日本橋高島屋にいた時でセールの時に買い物にきてくれた。泉さんはその後もう会社を辞めるとか言っていたので私が44才になった2013年にはもちろんいなかった。だけど電話で問い合わせたら「振込先口座(三井住友京橋支店)と履歴があります」といわれて、なんていうか、母にもこの話をしたけどまるで20年前の自分の亡霊に会ったような感覚。私はまた東銀座の東商マネキンに行った。若い派遣コーディネーターさんがついてくれた。私が事件の話をするまではとてもよくしてくれたし、そして評判がいいといつも言ってくれた。横浜そごうのインテリアフロアのDKNYの寝具売場を紹介してくれた。DKNY(三共生興)はライセンスが日本から撤退する予定になっていたので年内いっぱいだけど、と言われたけどなんでもよかった。ラクそうだったらなんでも。

そこで足慣らしをして撤退した後はおなじ横浜そごう内の婦人服フロアのブランド(ハロッズ)を紹介してくれた。条件は良かったし派遣先の会社からも評判がいいと喜んでくれた。私としてはもうずっとそこでもいいと思った。百貨店内に周囲に嫌がらせをする人が集まってきた。それでも店舗になっているそこのお店では店長さんも「月に100万ぐらい売ってくれて後はもうサポート的な雑用だけしてくれればじゅうぶん」といわれて世の中はこんなにラクに変化していることに長くアパレルを離れていたので喜んでしまった。

だいたい私がアパレルでやっていた頃は有休なんてあってもなかった。でもしっかり消化できる世の中になっていた。ようするに余力が出るほどラクだった、辞めたいワケがない。余力がある私は休日に他のバイトも始めたし、2012年から起こりだした集団ストーカーや霜見さんの事を調べるにも積極的になった。「霜見さんの話や音声による嫌がらせの話を他でしたら横浜そごうでも働けなくなりますよ!」そう言った精神科医のいう通りホントにあっけなくクビになった。でも相談したお店の店長さんは親族一同バリバリの創価学会員の幹部だった。口で言うよりレポート用紙に書いて渡したらすごく真剣に読んでくれた。そしてお父様の弟にあたるおじ様が神奈川県警にいると言われたので私にとってはとても話す事に意味があった。

店長さんは数日して「もう!呑気だよ!」と怒って私にこの話を絶対他でしないと約束して、と言われた。他で話したら一生精神科送りになると言う。私は他でバイトを始めたのはもしかしたらホントにクビになるかもしれないと思ったからだった。週1で最初はランドマークタワーの中にあったアクアグラツィエに裏での雑用の仕事を始めた。2015年の3月に急に東商マネキンから「抵触」だから、といわれてある日出勤する前に百貨店の入店証やロッカーのカギなどを渡してほしい、挨拶はしなくていいといわれて東商のコーディネーターにそごうの前で言われた。あの日の事は忘れられない。

ひとり力のひとり文春

店長さんにもお店の方にも百貨店の社員さんにも私の事はどのように伝わっているのかわからないけどそれからしばらくして横浜そごうのエスカレーター前で社員さんと少し話す機会があった。とても困ったような感じだったけどものすごく真剣に答えてくれた。そして横浜そごう内にあった前にアルバイトした事があった花屋の会社のフラワーアレンジメント教室に通われていたお客様がハロッズの顧客だったのでよく私はジャニーズの話でお相手をした、そして花弘(花屋)の話でも盛り上がって横浜そごうを辞めた後もその花屋のフラワーアレンジメント教室でお会いして状況を色々教えてくれた。

確かに少しずつは手応えがあると感じる。だから2015年から副業で始めたバイトが本業にシフトしてそして、パーティーなどに行ってみるのはたぶん少しは何かできたのかもしれない。

最近?

そういえば太田光代さんがツィッターをフォローしてくれたけど私がその花屋のスタッフと芸能人と写っている写真を送ったらブロックされた。悪いと思うし、太田さんの事は好きだけど私はいつもその先が知りたい。すぐそこにあるような気がするのにどうして深追いができないのかそれも知りたい。

太田さんの立場がなくなるのをわかった上で私はやる。だから今でもいい人だと思っている。

2019年の暮れのクリスマスパーティーでの太田さんは気にかかる。桂由美さんに紹介してくださる時に一瞬サッと手を放したのが、私の事でなにかあった?

あの日は私にとってはその前の年のクリスマスパーティーも偶然がもたらすギフトのようだった。

そして、また話はもどるワケだけど。

ああ、敏腕刑事に読んでもらえたらなぁ~

saloonfreak/さんどりあん

https://note.com/dressstyle7/n/n3526428b1961



https://note.com/dressstyle7/n/n72f582a81841