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玄人好み


#エッセイ部門
「To be crushed or not to be crushed,that is the Question.(クラッシャられるべきか、クラッシャられないべきか?それが問題だ)
/シンサークルクラッシャー麻紀」

女を武器にのし上がる悪女志願

たぶん、もう10年以上前になるかと思うけど
やたらビジネス本のコーナーに銀ホス(銀座ホステス)や小悪魔的や悪女のような男性を女の魅力で虜にしてのし上がる女性作家の本がすごく流行っていた。
例にもれず、私もその手の本を興味本位で数冊買って読んでみた。

ただ、私の場合はそれを参考にして自分を魅力的にするとか、モテたいとかそういうのではなく
どちらかというと自分はどのぐらいのレベルなのか(だった)のか?を調べてあらためて認識したいためだった。イヤな女!

その出版されている作家の女性たちがさすがに手が届かないほど外的にも内的にもハイレベルなのか?この女性たちと自分はどれほどの差があるのだろう?みたいに思うじゃないですか?

だけど一通りすべて読破して感じたのは
「私ってホント恵まれていた。」

平成初期、
世の中はまだまだ景気がよくて世間全体がたぶん私の知らない日本経済は羽振りが相当よくて浮かれていた時代。

その頃
私はまだ関西に住んでいた。

生まれも育ちも関西だけど関西人っぽくなかった私は高校を卒業したら本社が東京にある会社と縁を持つことが今後絶対必要になると考えた。これは直感的に。

同世代の郷里の友人たちの中には意外とそういう人がひとりもいなくて
同郷の友人たちの中では私はかなり
「ブッ飛んでいた」。

だから就職は本社が東京にある大手アパレル会社に入って地元で5年半勤めあげた。
これは運も味方してくれてこの職歴が次のステップに繋がる事をよく知っていたので
同期の社員の中にはこの会社の独特な社風に耐えられなくて次々辞めていくからさらに重宝がられてそれなりに評価もされた。
20代前半のまだまだお子様の私がそのへんのおなじ世代のOLには考えられないほど貰っていたし優遇されていたけどそれでもまだまだなにか足りなくて
いろんなことをやってみた。

たとえば高級パーティーコンパニオンだとか、
高級クラブのホステスとか。

とにかく、やるからには大義名聞としては

「高級で高給取りであることで
女として自分を試したいの!それも副業で!」

当時の就活にはリクルートから毎週出版されていた「とらばーゆ」が教本で
信じられないけど高級クラブに限定してその手の職業のページもあった。いつも「へー。どんなのかな?時給3000円以上って。」

だから、まずは市場調査といきましょう。
履歴書を書いて電話して面接のアポを取ると私の知らない業界の扉がホントに目の前で開いた。

髪の毛を少し派手めに巻いて
白っぽいスーツに10センチのハイヒールをはくと今は亡き祖父に成人式の祝いに贈られたプチダイヤが胸で妖しく輝いた。

北新地のモナリザの微笑

あれは忘れられない、面接の時にカウンターに横並びに座ったプロのママさんに巻いた髪の毛を触られながら「かわいい人ね、がんばってみる?」バーテンダーの黒服の男性がグラスを拭きながら下を向いて笑顔になっている。

「名前がね、本名ではあまりにも妖艶やね、
もうちょっと大人しい名前がいいから麻衣ちゃんはどう?」当時ちいママだった娘の恭子ママが「かわいいわぁ!麻衣ちゃん、ぴったりやね!」

私はその時から北新地の「麻衣」になった。

北新地の「麻衣」はスタート時給未経験で3000円だった。
同伴ノルマ一切ナシ。終電に間に合う11時上がりで仕事帰りで8時出勤でも夕食付きで制服まであった。まるで合唱団のような白いブラウスに黒いロングスカートだけど後ろのスリットがかなり深く、ある意味ミニスカよりもセクシー。

男性相手に接客なんてぜんぜんわからないしゴルフも政治経済もわからない。
だけどただ微笑んでいたらいいと言われた。

よく「話術」とか会話力が言われるけど私はその苦労がまったくなかった。
かえって、出しゃばらないほうが品が良いという評価でたくさんの名刺を貰うようになったら黒服の男性が私の名刺を「麻衣」で作ってくれた。
「お客様に配ればいいの?」ときくと「麻衣さんが気に入った男性だけに差し上げてください。」

いくら常連でも気に入らなければ名刺をあげない。
もしかしたら、だけどもし本気で夜の世界に生きる道を選んでいたらそれなりに向いていたかもしれないと感じた。それはやりたいか?どうか?ではなく事業としての話で。

バニーガールとジェリービーンズ

銀座ホステスの本の中ではふたごやのますい志保さんの本は中でも楽しく読めた。
「男を虜にする作法」とかよかった。
ますい志保さんは初デビューがバニーガールだったらしく私はあの衣装はよっぽど自信がないとムリだと思う。ますいさんはきれいでご自身でも「ドヤ街出身だから度胸がある」みたいなことを書かれていてすごく実業家タイプの遣り手だと思った。
私はそこまでの欲がないし、やる気もない。

昼間の本業で積んだ職歴だけど
昼間の仕事の重要性を語るならそれは夜の仕事とは違う「酒が入って酔った人を相手にしていないビジネス」という常識がどうしてもある。相手がしらふだと手厳しい。

酒が入るというのはどうしてもプライベートの延長線になるのは私のやってきたことがその道ではまったく違うということなだけで別の世界の出来事として捉える。

ある時北新地駅でお姉さんたちにアドバイスされたように次々に声をかけてくる引き抜きのスカウトマンに無言で笑顔で笑って会釈でスルーするとそのスカウトマンは大きな声で
「失礼しました!」と頭を下げる。

どの世界でも独特の流儀があって
私はそういうのは決して嫌いではない。

「郷に入れば郷に従え。」

ところで私が1年ぐらいいた北新地を辞めた日はどんな日だったか?というとほんの数日出勤して6万円の給料を貰いに新地まで行った。雇ってくれたママさんには母親が病気になったので看病するためだと言って
本当はその頃から私の本業がかなり変革があって色々打診されたからだった。
今はどうかわからないけど当時は夜の仕事のお給料はすべて銀行振込みではなく手渡しが常識だった。

よくほかのお姉さんと
「現金手渡しだとバックレようにもバックレられませんね!」と大笑いした。

私はその給料を貰いに行った日はじつは空港に向かう途中に北新地に寄った。
エレベーターの中で他のお店のお姉さんたち数人とお客様と一緒になったけど私の着ていた旅行に行く洋服があまりにもそのビルに合わなくてお客さん達が普通な私を見て「このお姉さんがいい!」と大声で言い出してお姉さん達が困りだした。
私はにっこり笑って会釈してエレベーターを降りて貰った6万円のバイト料を財布に入れたら
会社から行くヨーロッパ研修のために私を待っていてくれる同期の社員の仲間のいる空港のホテルに幸せな気持ちで急いだのでした。

Tuesday“火曜日生まれの女“

写真の日本酒のラベルは4年前の子年に山下達郎さんのお嬢様が書かれたもの。
鬼頭郁子さんの汐留サロンにて。












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