傾聴と共感と必殺の一撃を叩き込むこと、そんな精神療法 精神科専攻医の徒然草4

◯精神科を訪れる人々
 精神科を受診する人は様々な困り事を抱えてやってくることが常である。もちろん中には本人は全く病識や病感がない場合も多いが、その場合でも家族なり支援者なりが困って何とか本人を連れて受診に至る。そのような病める患者と接するのに重要な姿勢とは「傾聴と共感」であると我々は医学生時代から何度も教育されてきた。
 しかしこれは「うつ病患者に頑張れと言ってはいけない」というレベルのごく初歩的な題目に過ぎない。うつ病患者であっても治療が進んだタイミングでは本人が踏ん張って社会的生活に戻っていかないといけない時が来るように、精神科臨床ではとにかく共感と受容を示しておけばよいというものではなく、より豊富な種類のカードを切れるほうが診療はうまくいく。そこで今回は精神療法について専攻医の狭く少ない経験から考察してみる。

◯心を病む前と病んだ後
 好むと好まざるとを関わらず、本人に非があろうと無かろうと心を病んでしまった後には、病む前の生活や考え方を手放さないといけないことが多い。もちろん変わりたくない気持ちもよくわかるところだが、基本的には変化を受け入れるほうが治りは早いし、再燃もしにくい。激務でうつ病を発症した患者が同じマインドで同じ勤務状況に戻るよりも、職場環境を調整し自らも過労に陥らない働き方を心がけたほうが再燃しにくいというのは想像しやすい例といえる。
 思考の頑固さというのはそもそもそれ自体が精神疾患のリスクでもあるし、更に厄介なことに長引く精神疾患それ自体は元々あった柔軟性を奪い続け、いよいよ固着させてしまうこともよくある事実である。
 遷延する精神症状は本人の人格を侵食し続け、結果として病気の症状でこうなっているのか本人のパーソナリティなのか区別がつかない状態になってしまう。また、精神障害者として長年の空白期間ができてしまった後では、就労できる病状であっても採用されにくい困難な現実がある。精神障害も早期介入が重要である。

◯精神療法に流れるもの
 精神症状とは脳という臓器の機能障害であるため薬物療法が治療の根幹の一つである。しかし上述の通り精神科治療とは患者に変化を促すことでもあるから、様々な方法で患者の思考に働きかける必要もあり、その治療的な働きかけ全てが「精神療法」といえる。支持的精神療法だったり、認知行動療法、マインドフルネス、内観療法など様々な名称の付くものはあるがこれらは精神療法の一側面を切り取って構造化したものに過ぎない。診断名を与えることや、薬の説明をすること、一般的な経過予測をすることなども十分立派な精神療法なのである。
 では、どのように変化を促せば良いのだろうか。これには基本的な流れがあり、適切なタイミングで適切な働きかけをすることに尽きるのだが、重要なのは何よりもまず治療関係の構築という基礎工事をしっかり行うことにあるだろう。

◯治療導入、関係性の構築
 患者からすると、精神疾患というのは医者の匙加減で病気が作られているように思え、信用ならないものだ。あるいは、精神科というのは世間で理解してくれない苦しみを受け入れてくれるところだという過度に理想化された期待を持って受診するものもいる。このようにして精神科医は患者からの不信感や、理想化された期待をまず浴びせられるところから診療が始まる。このギャップを徐々に埋めていき、「自分が治療を頑張らないといけないんだ」ということを理解してもらうことを目指す。
 そのための下地作りとしてまずは症状の把握と並行して、とにかく患者の価値観、リズムや空気感を掴むことに専念する。「傾聴と共感」はこの段階で特に必要になると思われる。よく観察するよう心掛けていくと、次第に目の前の患者がどのようなポイントで医師を信用するのかが何となくわかるようになってくる。ある人は理論的な説明ができる医師を信頼するし、ある人は話し方の穏やかさや挨拶や表情などだったり、またある人は白衣を脱いだ一個人としての対話のような雰囲気を欲していたりなどである。なので、こちらも徐々にそれに寄せて振る舞うようにしていく。そうして治療関係を構築したうえで薬物療法や心理教育を進めていく。

◯間合いをはかって必殺の一撃を叩き込む
 ただし、これだけでは上手くいかないケースもある。治療法を提案しても様々な理由でそれを受け入れてくれないことはよくあるが、精神科医には職責としてそういった患者の治療意欲や動機を上手く引き出す関わりが求められる。この関わりとは患者とのリアルタイムでダイナミックに変動する一対一のやり取りをすることに他ならず、私はこれに武道の試合のようなイメージを持っている。間合いを読み、機を見て一気に懐に入り込んで必殺の一撃を叩き込む。そうして患者に白旗をあげさせ「とにかく先生の言う通りやってみます」と言わせることを目指す場合が時にある。
 ただこの一撃を入れるにはタイミングを伺えば良い訳でもない。傾聴と共感的な姿勢を用いて接近し組み合い、更にそこから相手の構えを崩す必要がある。構えを崩すために私は、一旦患者のしたい通りにさせたり、深刻さを強調して伝えたり、時には患者をあえて刺激して感情的な反応を引き出すこともする。とにかく手を変え品を変え、時に冷静に、時には人情に訴え、時には荒っぽくしてでも患者の感情を揺さぶる。あくまで信頼関係を構築することを重視しながらだが、このような働きかけをしていくと患者も様々な反応を見せるようになり、そのときの反応にこそ患者の病理が顕著に表れる。すかさずそこを捕まえ、一撃を叩き込むのだ。

◯病気なら治療に取り組むしかない
 必殺の一撃とは具体的に何のことかというと「直面化を促すこと」である。精神科の治療における直面化とはつまり病状に向き合うこと、病状に至った背景に向き合うこと、更にそこから再スタートを切ることであって非常に重要である。もちろん、精神科を訪れる患者は既に満身創痍に傷付いてしまっており、更に辛い現実と向き合う余裕なんてものは無い。しかし、そうであっても今現在治療や休養が必要なんだということは受け入れてもらう必要があり、それもれっきとした直面化と言える。「あなたは治療が必要なほどの病気なんだ」という一撃を加えるのだ。また患者によっては「薬では治らない」ことや「症状は消えない」ということだったり「自分の性根を叩き直さないといけない」ということだったりもする。そんなこと言っていいの!?と感じる人はまさに正しいが、それを言わないと治療が膠着し続ける場合もあり、必要なら十分な準備をしたうえで伝える。

◯僻地精神科医療の専門性ってやつなのか?
 とはいえ、私のこの考え方は主流といえるほどでもない。もしかしたら表現が不適切なだけの違いかもしれないが、やはり荒々しいし不要なクレームを生み出してしまうリスクも無視できない。恐らく、研修した地域の患者層が私にこのような方法を獲得させたと思う。既に崩壊した地域医療においてはお行儀の良い診療なんて通用しないからだ。丁寧な話し合いができる人物なんぞとうの昔に地域から脱出している。診察室で患者と家族の取っ組み合いが始まることもあり、そのときは私も飛びかかって制止した(多分まず人を呼ぶのが正解)。
 そんなこんなで上級医その他から、私が得意だと思われるようになってしまった領域や患者は虐待事例、触法事例、パーソナリティ障害、精神遅滞だったり、他院で診療お断りになった患者などのようだ。いや、確かに他の先生と比べれば自分はそのあたりの対応はきっと上手いだろうなとは思うが、大変なことには変わりないので損な評価である。上手くおだてられて便利に使われているようだが専攻医なんてそんなものだ。

◯楽な解釈に逃げない
 精神療法は人間同士の関わりである以上、医師側も患者の影響を受けることがある。その影響の結果の一つとはよく聞かれるような「自分も鬱にならないんですか?」というものでは無く、良くならない患者と関わり続けるのを苦痛に感じた末に、明確にはならないが最もらしい理屈で患者を解釈して満足するということが一つのパターンだろう。良い例がトラウマ関連疾患の拡大解釈ではないか。責任感に技術が追い付いていない若い医師は治らない患者をよく理解できないままに診療し続けることにストレスを抱えるので、過去に何かしらの出来事があれば飛び付いてしまう。こうして複雑性PTSDだの、成人の愛着障害(本来は小児期に限られる)といった診断名をつける。更に「トラウマ治療には患者自身のタイミングが必要なので、今は信頼関係を作ってその時期を待っている段階なんです」という理屈をつけてしまえば、膠着した経過もすっかり合理化され心穏やかに診療に臨むことができる。個人的には世の中のトラウマ診療とされるものは9割がた、このような実態であると感じている。
 ただ、やはり医師が患者側の影響を受けると治療は上手くいかないし、更に大きなトラブルに巻き込まれることもありえるので、よく気をつけたいものである。しかし厄介なことに自分ではなかなかそのようなことには気付けないので周囲の人の意見によく耳を傾ける必要がある。教えがいのある後輩として、支えがいのある医師として、相談のしがいのある主治医としてとにかく他人の意見を聞くことが重要なようだ。

◯ハートとハートのぶつかり合い
 精神療法とは即ち医師の患者に対する関わり方全てであり、訓練で獲得する専門技能である。ただいくら技術だと言っても、不真面目な医師が勤勉の美徳を患者に伝えることはできるのだろうか。不倫をしながら患者に安定した人間関係を大切にすることを指導できるのだろうか。
 精神療法は武道でもあるから、一瞬の攻防のうちに一歩前に踏み込めるのか、一歩下がってしまうのかは大きな差である。もちろん標準的な患者に標準的な関わりをする場合はそこまでのやり取りは要求されないが、それ以上のパフォーマンスを追い求めるならば咄嗟の態度に表れる日々の鍛錬が重要である。
 と、ここまで力んだ内容を記載したが、あくまでこれらは手札の一つに過ぎず、さすがに「余計なことはしないでとにかくいつもの薬と診断書だけくれ」という患者には踏み込まない。とにかく言いたいのは精神療法のプレイングは切れる手札の種類が多ければ多いほど良いということと、そのためにはとにかく対戦慣れして肚を決めていくことに尽きるということだ。


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