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球団ヒストリー2.大盛況、そして勝利!

2005年8月16日夕暮れ。

鹿児島のメインスタジアム県立鴨池球場へ、長い列ができていた。

それを見つめる一人の男性。『欽ちゃん球団vs鹿児島の球団』の企画の発端となった、KTS鹿児島テレビ放送の丸山弘樹さんだ。

「一塁側がびっしり埋まっているのを見て、ゾクッとしました」

丸山さんはそう語った。

そもそも鹿児島で、プロ野球以外で人が集まるなんて考えられなかった。イベント運営のプロたちに聞いても「入らないかもね」「うーん、わからない」と、歯切れの悪い答えばかりが返ってきたそうだ。赤字も覚悟の上だった。

ただ、話題性は十分。

旗揚げしたばかりの欽ちゃん球団は当時関東でかなり話題になっていたし、その初の全国ツアーの皮切り?にもなっていた。

さらに、欽ちゃん球団を迎え撃つ一試合のために球団を立ち上げるというのは、当時のyahoo!ニュースにもなったそうだ。


「野球に関しては僕は素人」だと話す丸山さんに乞われアドバイザーとして関わったのは、広告代理店の國本正樹さん。前回の投稿で、大量に届く応募ファックスに「こりゃたいへんだ」と冷や汗をかいていたのはこの人だ。

元高校球児でもある國本さんは、この夜キャプテンとしてベンチ入りした。


もう一人、お話を聞くことができた。

実業団でのプレイヤー経験もある宮田仁志さんは、メンバー募集のCMにビビビときて即応募。37歳という年齢をものともせず入団テストに合格…したのは、まぁ私の素人考えでも当然ですよね。

結成当初のチームはどんな感じでした?と尋ねると、言い方は悪いけど…と断りつつ「寄せ集めのチーム。でもいい選手がいるから、おもしろいかもと思った」と話してくださった。


2004年の年末に企画が持ち上がってから約10か月。チーム結成からはわずか1か月。

「また野球ができる」という喜びを弾けさせた元野球少年たちの挑戦。欽ちゃん球団茨城ゴールデンゴールズと対戦するこの一夜のために結成された鹿児島ホワイトウェーブは、9000人の観衆とともに歓喜の声でゲームセットを迎えた。

しかも、5対1という理想的なスコアで。


3時間を超える長い試合ながら、欽ちゃんのマイクパフォーマンスで終始笑いが絶えず、また試合後の欽ちゃんvs定岡正二さんという監督同士の直接対決など、後から聞いて「行っとけばよかった~」と悔しがったのは私だけではないはずです。


こうして、関わったすべての人を笑顔にして、鹿児島ホワイトウェーブは一夜限りの試合を終えたのでした。

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