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伴走する心理学

『誰のためのデザイン?―認知科学者のデザイン原論』が日本で出版されて、今年で32年が経つ。使いやすい情報システムをデザインをするうえで、普遍的な人間の心を理解することは避けては通れない。
一方で、心理学は胡散臭いとか、頼りないとか、本当に科学といえるのかといった不安感を抱かれることもままある。
そこで、コンピュータに影響を受け、UIデザインに活きる心理学について、その歴史から活用まで紐解いていきたい。

心理学の略歴

まず、心理学とは、科学的な手法に基づいて人間全般の心や行動について研究する学問である。平たくいえば「人間というのはこういうものだ」ということを理解しようとするものである。

そもそも「心」の歴史は古く、 古代ギリシャの哲学者アリストテレスまでさかのぼる。
そうした哲学を起源としながら、19世紀に発展した生物学や物理学などの理論と手法を借りて、心理学が成立したのは1879年といわれている。
これは、この年にヴィルヘルム・ヴントがドイツの大学に心理学実験室を設立したことに由来する。心理学は哲学とは異なり、実験を行い、客観的な根拠に基づいて議論する。

アリストテレス没後から2022年までの年表
エビングハウス曰く「心理学の過去は長いが、歴史は短い」

ヴントの実験室では、当初は人間の意識を解明することを目指しており、内観法(実験参加者に光や音などの刺激を与え、どのように感じたかを言語化して報告してもらう方法)を用いていた。
また、構成主義(心はどのような要素から構成されているのか)や、機能主義(心はなんのために存在するのか)といった学派があった。

20世紀に入ると、構成主義に対して、人間の知覚や記憶について解明し、全体性や構造に重点を置いたゲシュタルト心理学がドイツで誕生した。
また、1920年代にはアメリカを中心に行動主義(外から観察できる行動に基づいて考える)が台頭した。
さらに、ヨーロッパを中心にフロイトやユングらが精神分析を発展させたのもこの時期に当たる。

しかし、行動主義と精神分析が主流であったこの頃の心理学に二つの変革がもたらされた。
一つめは、「過去の経験にとらわれた機械的で病的な存在」と見なされていたこの頃の人間観に対して、マズローやロジャーズが起こした「成長可能性のある健全な個人」という人間中心の考え方をもった人間性心理学の波である。
そして二つめは、1950年代からコンピュータと情報理論の発展に影響され盛り上がった認知革命である。
心をブラックボックスと見なして人間の内的プロセスを切り捨てていた行動主義に対して、心を知的な情報処理システムとしてとらえる認知主義と認知心理学の台頭であった。

以上、かなりざっくりと振り返ったが、心理学はこのような約140年を経て学問として体系化されてきた。

認知心理学と認知科学の違い

ところで、認知心理学と認知科学との違いは一義的には定義されていない。
とはいえ、認知科学は特に情報理論の観点から、心理学のみならず情報科学や言語学、人類学、 社会学なども飛び越える、より学際的な分野ととらえられる場合が多い。

心理学の概要

心理学は大きく二つに分けることができる。
人間の心や行動の原理を解明しようとする基礎心理学と、そこで得られた発見や原理を現実の問題解決に活用しようとする応用心理学である。
基礎心理学と応用心理学の区別は厳密ではなく、また、応用心理学は基礎をベースとしながらより実用に近い。

基礎、応用、実践まで広がる心理学
基礎心理学から実践まで下位領域が広がる

基礎心理学

知覚心理学、学習心理学、生理心理学、比較心理学、発達心理学、パーソナリティ心理学、社会心理学など

応用心理学

教育心理学、臨床心理学、産業心理学、犯罪心理学など

実践

心理学の考え方や発見は、学校や病院、会社など現実のさまざまな場面で実用化されている。

心理学とデザイン

心理学は実に多様な下位領域が広がっているが、情報システムのUIデザインをはじめITサービスの領域においても幅広く活用されている。
特に親和性の高い領域として、UIデザイン、UXリサーチ、マーケティング、デザインマネジメントについて見ていこう。

UIデザイン

パスワードを設定するUIの良い例と悪い例
ユーザーのワーキングメモリーに配慮したUI

UIデザインと認知科学の関係については説明不要かもしれないが、改めて整理する。

まず、システムを利用するユーザーが人間である以上、人間にとって容易に理解し操作できることは、システムの使いやすさ(ユーザビリティ)に直結する。
そのため、人間全般がどのようなものの感じ方や考え方をするかという知識は、デザイナーにとって使いやすいシステムをデザインするために役立つ。

認知科学とUIデザインの関係についてより詳しく知りたい場合は『ヒューメイン・インタフェース―人に優しいシステムへの新たな指針』『ソフトウェアの達人たち―認知科学からのアプローチ』をおすすめする。

それに、UIをデザインするデザイナーも人間であり、チームでデザインをすることも多い。そこでは、自分自身の心や集団が陥りやすいバイアスに気づき、より良くデザインをするためのヒントを得ることもできる。

UXリサーチ

そして、UXリサーチには心理学の研究法を大いに用いることができる。特に、ユーザーに対するインタビューやシステムの品質の評価において、実験心理学の質問紙法、面接法、観察法といった調査の手法や技能は役立つ。

たとえば、『価値を生む心理学―人と製品・サービスを結ぶ科学』では、心理学が人間中心設計の推進にいかに関与するかを書き上げている。
自動車会社での事例として、世間では女性は自動車の運転が下手だと見なされることが多いが、運転支援のサービスを検討するなかで、性別ではなく個人の認知情報処理機能と運転との関連を見出した。

「女性だから運転が苦手なわけではない」ことは、社内外のヒューマンファクターを扱う者は皆、以前から薄々と感じていたことであるとは思う。しかし、それを正しく証明する術がなく、それを実証する人がいなかったのだ。

『価値を生む心理学―人と製品・サービスを結ぶ科学』 p.149

この事例では、心理学の手法を持ち込むことで運転者を正しく理解することにつながった。

マーケティング

さらに、近年のITサービス市場の成熟に伴い、プロダクトが人々のニーズを満たし、受け入れられるかを調査し改善につなげるプロダクトマーケットフィットの必要性が高まっている。プロダクトマーケットフィットの調査や評価の手法は開発が進んでいるが、ここでも消費者心理やプロスペクト理論は参考になるだろう。

また、行動経済学(経済心理学)の知見から、ユーザーに望ましい行動を取るよう後押しする「ナッジ」というアプローチも注目を集めている。

デザインマネジメント

最後に、デザインマネジメント(デザイン経営)や組織開発においては社会心理学、産業・組織心理学を活用しない手はない。

19世紀末から発展したこの領域は、工場労働者の仕事効率や、戦場での兵士の作業効率を高めるため活用されてきた。
その後、1920年以降になると、作業条件と作業能率の関係が研究され、グループ・ダイナミックスやリーダーシップ、学習する組織など、様々な組織観が展開されてきた。

最近では、デザインマネジメントが企業の価値向上や産業競争力につながるとされ、いかにデザインを主軸とした企業戦略をしていくか、いかにデザイナーの力が上流から発揮されるようにしていくかが鍵になっている。
このような、ダイナミックな経営スタイルへの変革においても、産業・組織心理学のこれまでの発見は役立つだろう。

これからの心理学とデザイン

1950年代の認知革命以降、認知科学とコンピュータ、認知心理学とデザインは切っても切れない関係にある。
そして2022年現在、Web3.0の時代といわれ、AIやブロックチェーンといったテクノロジーの著しい発展や、それに伴うDXやITサービスの競争激化、SDGsはじめ行政によるデザイン思考の導入など、世界は加速度的に変化しつづけている。

いずれにせよ、テクノロジーが人々に貢献し、ビジネスの成長を後押しするものとしてデザインへの注目はますます高まっている。しかしながら、いまだにその力が十分に活かされているとはいえない。

そこで、人間の心を研究してきた心理学と今日のデザインとの関係性をいま一度見直し、結び直すことを試してみたい。

まず、デザイナーをはじめ、ものづくりに関わる人々が心理学に興味を持つことが第一歩になるだろう。なお、学ぶべきはナントカ効果ではなく、科学的に人間の心を知ろうとする心理学のパースペクティブである。そうすれば、私たちは正しくユーザーに向き合うことができる。

そして、デザインの現場において心理学の理論を活用する一方で、「なぜこうなるのだろう」という疑問を好奇心に変え、心理学に生き生きとした風を吹き込んでいくこともできる。
もし今後、実務から湧き上がる素朴な疑問があったら、noteを書いたり最寄りの学会にレターを送ったりしてみよう。もしかしたらそれは同じように誰かがつまづき、解明を必要としている課題なのかもしれない。

実践としてのデザインと疑問、理論としての問題提起と研究発表のサイクル
デザインドリブンな理論と実践のサイクル

私は心理学の理論と実践のサイクルによって、デザインで人々を力づける未来が創られていくことを期待している。

参考文献

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