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ドリーム・トラベラー第十一夜 ついに集団化したダーク・ピープル

飛行能力の獲得

 恐ろしい姉妹が現れ、泊まっていた旅館の部屋から逃げ出した。
 姉妹は「噛まないから」と囁きながら、黄色く細い蛇をわたしの顔に近づけてきたのだ。
 時刻は午前零時を回っていた。
 人が大勢いる場所なら安全だろうと思い、階段で大浴場のある二階へ向かった。  
 階段の踊り場にスチール製の物置が設置されていた。その扉が開くと、宿泊客らしい人々が五、六人詰め込まれていた。どうやらそれは、エレベーターらしかった。
 どうぞどうぞと促され、わたしはその物置風エレベーターに乗り込んだ。
 扉が閉まり、すぐに開いた。
 ほとんどの乗客が降機したので、わたしはつられて降りてしまった。
 エレベーターの外はいきなり屋外で、さっきまで真夜中だったのに、夕暮れに変わっていた。周囲には草むらしかない。何度も訪れたことのある沖縄のトウキビ畑のような景色だった。
 降りてしまったのが後の祭りだ。仕方なくぶらぶら歩き回ったが、何もないので元の場所に戻った。エレベーターのあった場所はただの草むらに変わっていた。
 実際にそんなことがあるわけないのだが、自分の記憶を頼りにすると、元の場所に戻れないのは現実世界でもよくあることだ。道を一本間違えるだけで、似たような違う場所に着いて途方に暮れる。初めて訪れる地では、わたしは必ずといっていいほどこういう目に遭う。だから、この時点ではまだ夢を見ていることに気付かなかった。
 エレベーターに乗り合わせた青年も迷ってしまったのか、先ほどから周囲をうろついて何か探している様子だった。
「すみません、旅館に戻る道がわからなくってしまったのですが、もしやあなたもですか?」
 青年は立ち止まり、話しかけられたことに驚いた様子でこちらを凝視した。まるで今までわたしの姿が見えていなかったかのようだ。
「いえ、僕は別のエレベーターを探しています。二階へ行く専用機があるんです」
 どうやら、エレベーターは出たり消えたりするらしい。
「探査は数ヶ月に一度で、毎回違った場所へ派遣されるものですから、地理勘がないのです」
 探査……派遣……そのキーワードに惹かれるものはあるが、何を言っているのか解らない。何の調査か訊ねると、月に一度この地を訪れる定期調査員ということ以外、何の調査をしに来ているかは口外出来ないという。
 彼は特に焦った風でもなく、のんびりマイペースにエレベーターを探し続けた。
 未知の場所で一人になるのは不安なので、彼の後についていった。彼は何度も振り返り、その都度迷惑そうにため息をついた。

 草むらの上に半透明の生物が浮かんでいた。まるで体内が空洞の魚のように、体内が透けて向こう側の景色を見せていた。水族館の水槽で見る深海魚のようでもあった。よく見ると、皮膚は半透明の草で編まれた籠に似ている。
「あ、あの、これは――」
「ああっ?」
 調査員から乱暴な相づちが返ってきた。
「このさかなは?」
 チッ! 調査員は舌打ちしてから道路脇に大きな唾を吐いた。人が変わってしまったようだ。話しかけてもまともな答えは得られそうにないので、わたしは問いを飲み込んだ。。
 喉が乾いてきた。ほんの少しの水さえあればと願った。すると、肩から水筒がぶら下がっていた。だが、キャップを開けた途端にカレー臭が漂ってきた。水筒の中身はカレーパンだった。細く捻り、棒状にして詰め込んであった。
「水筒にカレーパンなんか入れやがって馬鹿野郎!」
 大声で怒鳴ったが、調査員はいつの間にか遙か先へ進んでおり、わたしの怒声には何の反応も示さなかった。追いつこうと足早に進んだが、道の両脇から次々と人が現れ、彼と私の間に入り込んだ。
 彼らは戦闘服を着て、ライフルを携えていた。それはまるで戦地へ赴く兵士の群れだった。その異様な光景に圧倒されていると、調査員とわたしの距離は大きく引き離された。
「あの、旅館に戻りたいのですが、どうすればいいでしょうか……」
 兵士たちに訊ねたが、案の定、答えはない。
「我々は、あなたを守るために雇われたみたいだ」
 唐突な告白だったが、わたしはなぜか納得してしまった。「みたい」という点を除いて。彼らは自分の任務に確信を持っていないということらしい。
〝何から〟守るために雇われたのか、その答えは百メートルほど前方に現れた。
 陽炎のようにぼやけた五、六体の黒い人影。怒りと怨みと悪意を宿した眼差しだけがメラメラと妖しく輝きを放っている。
 ダーク・ピープルだ。
 わたしはようやく夢を認識した。これまでの出来事をはっきり覚えているということは、既に何パーセントかは明晰化していたのだろう。
 兵士に守られているわたしは、いつもほどの戦慄は感じなかったが、それでも野生動物に出くわしたかのような恐怖を抱いた。
 兵士の一人がライフルを発砲したが、ポン、とかプスッ、と射的のような間の抜けた音がしただけで、前方のダーク・ピープルには何の影響も与えなかった。それどころか、奴らは一体が二つ三つに分裂して数を増やし、距離を縮めてきた。
 兵士たちはライフルを放り出し、一目散に逃げてしまった。彼らはわたしを守ると言いながら、事態を悪化させただけだった。
 三十体ほどに増えたダーク・ピープル達との距離は、十メートルかそこらになっていた。わたしは目を合わせないように視線を下に向けた。奴らの姿が、これまで見た中で最もはっきり見えたからだ。輪郭はあくまでぼやけている。気体のように、背後の景色がうっすら見え隠れしている。やはり、完全な実体ではないのだ。
 もはや距離が近すぎて逃げられないことを悟ったわたしは、本能的に後退りするのがやっとだった。
 目を覚ます時が来たか――。
 いや、わたしは奴らの目的について仮説を立てており、それが事実だとすれば、目を覚ますわけにはいかなかった。

 仮説はこうだ。
 奴らは現実世界で活動するための肉体が欲しいのだ。こうして無防備に明晰夢の旅をする者を見つけて、肉体の持ち主より先に体に向かうのだ。留守になっている肉体が何処にあるのか奴らは知らない。だから、戻る寸前を狙っている。
 先を越されたら、わたしはどうなってしまうのか。これも仮説を立てている。一つの肉体には一つの精神体しか入れない。先を越されたら、このわたしという精神体=魂は弾かれてしまい、行き場を失うことになるだろう、という恐ろしい説だ。それから先は考えたくもない。
 ともかく、わたしが目覚めようとしない限り、現実世界に戻ろうとしない限り、奴らは何もしようとしない。だからといって、このままいつまでも明晰夢世界に留まることは出来ない。遅かれ速かれ目覚めの引力が発動し、目覚めに引っ張られた時、奴らがくっついて来てしまうのだ。今回は数が多すぎる。全員をかわすことなど出来そうにない。しかも、今回は大勢のダーク・ピープルが互いに競い合っているので、いつもより速度が早いかも知れない。
 ならば、夢世界の中で逃げるしかない。唯一、ここから逃げることが出来るとすれば、空へ逃げる以外考えられない。奴らに飛行能力はないからだ。

 飛行は久しぶりだ。空を飛べるのは明晰夢ならではの現象だが、明晰夢だからといって簡単に飛べるわけではない。バランスが安定しないのだ。あまり高く飛べたこともない。現実世界で、自分の体ひとつで飛んだ経験がないからだろう。大抵は歩いているのと変わらない高度で、目線の位置までしか上昇出来ない。天地左右の感覚がなく、安定感が悪い。ただし、進むスピードだけは自由になる。あっという間に市と県を跨ぎ、海を渡ったこともあるが、リアルな明晰夢世界での飛行は、風圧を感じることがない点を除けば、視界はスカイダイビング並みに恐ろしい。恐怖心が高まると、途端にスピードを失い、急降下する。
 過去の夢を思い返していたら、いつの間にか宙に浮かんでいた。やはり、高度は頭の高さだった。
 ダーク・ピープルたちがすぐ目の前に迫っていたので、わたしは焦って飛び立った。
 ふらふらゆらゆらして真っ直ぐ進まず、速度も歩いているのと変わらないほどだった。
 奴らの手がわたしの足首に触れた。奇妙な感触だった。夢とは思えない生暖かさを感じたのだ。
 わたしの中に眠る本能的な力が発動したのか、突然、高層マンションくらいの高さに上昇した。バランスをとるのは難しいものの、飛行機並みの速度で飛行が始まった。
 ダーク・ピープルたちから逃れたと思ったら、今度は飛行の恐怖が始まった。自分では上手くコントロール出来ないので、建物にぶつからないように飛行するのは運任せだったのだ。
 幸い、北に向かっていたので、高層マンションやオフィスビルは少なくなった。代わりに山脈が迫ってきた。何とかぶつからない程度のカーブを描きながら、わたしはいくつかの山を越えた。

 もはや恐怖は消え失せ、飛行の快楽に身を委ねられるようになった。ついに、夢をコントロール出来るようになったのだ。思い通りとまではいかないものの、わたしの意思が夢世界を動かしていた。
 コントロールの範囲を試すため、わたしはゆっくりと地上に向かって下降した。
 飛行の速度、距離感からして、秋田県あたりにいると予想した。すると、小さな神社が現れ、わたしはその庭に着地した。
 恐らく神社の神主だろう、箒を持った坊主頭の男が近付いてきた。
「何処から来た?」
 男はなぜか険悪な表情を浮かべていた。
「東京の方からだと思います」
 わたしはありのまま答えた。
「~の方から来ただと? 怪しい勧誘は断る!」
 違うと反論する気も誤解を解く気にもなれず、わたしはただ居たたまれない気分になった。
「ちくしょうめ!」
 神主らしき男は荒々しく箒を振り、砂利をまき散らした。

  唐突に目覚めたわたしは、まだ飛行の余韻に浸っていた。身ひとつで空を飛んだ感覚は何にも勝る万能感であり、忘れられないほどの快感だった。
 集団化したダーク・ピープルから逃れるため、火事場の力として飛行能力が発動したらしい。
 今後、何百、何千のダーク・ピープルが迫って来ようとも、飛行さえ出来れば逃げ切れる自信がついたのだった。







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