私の劣等感の正体
私はこの地球に劣等感を感じる為に生まれてきたのだろうか?
そう思えるくらい、常に劣等感が私を苦しめてきた。
私が苦手なことが、他のみんなは簡単にできてしまう世界、私はどんどん取り残され焦ってばかりの半生だった。
私が憧れ努力してもできなかった事は主に2つある。
車の運転と社会人として働くこと、この2つは異なるようで実は似ていると気づいた。
私は運転免許証を取得はできたけれど、実際には運転してはいけないタイプのれっきとしたペーパードライバーだ。
運転してみたからこそ、全く車の運転には向かない性質だと気づけたのだ。
私が運転できたらどれだけ生きやすかっただろう!と思えるシチュエーションは山ほどあった。
周りからも責められた、何で免許証あるのに運転できないの!?と、その度にいたたまれず情けなくなった。
これは働くことにも言える。
私は20代の頃は社会人として働いていた経験がある。
でも毎日、私はなぜここに働きに来ているんだろう?と違和感を持っていたし、私のこの仕事は、誰に需要があるのだろう?と疑問だらけで、ちっとも楽しくなく、虚しくてたまらなかった。
私が劣等感を強めたのは、明らかに子ども達が幼稚園に通い出してからだ。
元夫の意見を採用して、私立の幼稚園に通わせたので、車での送迎が当たり前だった。
その時私は知ったのだ、運転できないペーパードライバーの私って、かなり珍しい存在なんだと。
世の中のお母さんは、ほとんどが車の運転ができる、始めはペーパードライバーのお母さんでも、必要にかられて運転できるようになる、そんな光景を目の当たりにして、私は劣等感の塊と化したのだった。
そして子どもが幼稚園を卒園して 小学校に入学すると、次の段階の新たな劣等感が私を苦しめることになる。
お母さん達がみんなパートや就職をして、社会に出て働き始めたのだ。
家事や育児が大変な上に外で働くなんて、世の中のお母さん達はそんな神業を使えるのかと驚いた。
私には到底無理だった。
子ども達が無事に育つ為には、母親である私の責任は重大だと思っていたから、それに加えてあんなにも違和感しかなかった社会に出て働くなんて、考えられないことだった。
なんでみんなそんなに余裕あるの?外で働く上に、ママ友とのランチ会や、学校の委員活動もこなすスーパーお母さんもいる!!それに比べて私ってどんだけポンコツな母親やねん💦💦と劣等感の海に沈み込んだ気分だった。
この記事でハッキリ認めようと思う。
私は車の運転ができない、外で働くことができない人間だ。
私が得意なことは外では通用しないことが大半で、やっぱり私は生まれる前から専業主婦を選択していたことがハッキリしてくる。
どうしても世間の人々と自分を比較して、私はなんて役立たずなダメ人間なんだと劣等感を感じてきたけれど、それは当然で、宇宙の導きによってわざと劣等感を感じるように仕向けられていただけなのだ。
劣等感が悪と決めつけ嫌っていた私。
劣等感は私の魂が感じたかった感情の一つだった!
だからこれでいいのだ。
私はみんなに合わせなくて良かった。
この世界で唯一無二の私は、敢えてみんなとは違う性質に生まれて、私は特別なんだと感じたかったのだと思う。
カッコ良く車を運転して、颯爽と働くお母さんに憧れ、自分を卑下してきた私を、やっと卒業する時が来た。
私を彩る為にあった劣等感に感謝して手放そう。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️