ひとりぼっちを嫌い恐れていた私
私は寂しかった。
ひとりぼっちが嫌で嫌でたまらなかった。
中学1年生の時、私はクラスに友達が一人もいなくて、お弁当を一人で食べなければならない為、お昼休みが大嫌いだった。
私は一人で食べる自分を恥じていたのだ。
この屈辱感は今も私を苦しめる。
思春期の私は極端に孤立する自分を嫌い恐れていた。
焦って友達を作ろうとして、登校時におはよう!とクラスメートに挨拶すると、その女子は他の女子達と私を嘲笑い、堂々と無視してくれた。
この出来事で私は一気に自己肯定感が下がり、殻に閉じ籠るようになった。
かなり長い期間、私はお弁当をひとりぼっちで食べていた、周りからクスクスと笑われながら、でも母が愛情を込めて作ってくれたお弁当を、絶対残さない!と決めて、屈辱感で全く味がしないのに、がむしゃらに食べきった日々。
そんな私に転機が訪れて、あるグループが仲違いして分裂した為、一人の女子が私に近づき、一緒にお弁当を食べようと誘ってくれたのだ。
でもその女子はとても意地悪な性格で、私はどうしても好きにはなれなかった。
そうしていつの間にか分裂していたグループがまた集まり、大人数でお弁当を食べるようになった。
私は分かっていた、このグループに私は必要無いのだと。
でももう二度とひとりぼっちにはなりたくない!だからそこにとどまった、グループの女子達も誰も私に外れてとは言わなかった。
でも地獄のようなお弁当タイムはその日から始まった。
一人の女子がデザートに、砂糖漬けのスライスレモンを出してきたのだ。
グループの女子達は歓声をあげた。
そして次々とそのデザートを口に入れ、あまりの美味しさに絶賛の嵐がわき起こる。
デザートを持ってきた女子が、私にも取るように勧めてくれた、でもその口調には明らかに『本当はあげたくないけど』という本音が隠されているのを見逃さない私。
私はその本音を汲み取り、それに非常に高いプライドがあった為、私はいいからと断った。
グループの女子達が顔を見合わせて何かを共有しているのを感じた。
それから毎日、暗黙の了解でグループの誰かがデザートの砂糖漬けレモンを持参するようになり、私だけ取り残される屈辱のお昼休みが展開された。
もう嫌だ!この地獄から脱け出したい!!と私は限界を迎えていた。
だから自分で考えて、私もデザートを持参してみんなに振る舞おうと思った。
母にレモンを買って来てもらい、不器用な私は一生懸命レモンをスライスしてタッパーに入れ、砂糖をふりかけ冷凍室で凍らせた。
でもその出来映えはちっともオシャレではなく、野暮ったくてみっともなかった。
レモンはスライスではなく、厚切りになっているし、こんなカッコ悪いものをみんなの前に差し出すなんて、絶対にできない!
一応学校に持ってきたものの、私はどうしても勇気は出ず、結局そのまま家に持ち帰ったのだ。
母に心配をかけないように、家で一人でそのぬるくなったレモンの砂糖漬けを食べた。
レモンは厚切りで皮が硬くて苦い、ちっとも美味しくない、こんなものをみんなにあげなくて本当に良かった、私ってめちゃくちゃ惨めだと涙が溢れ一人で切なく泣き続けた思い出。
私はその光景を今でも鮮明に覚えている。
私の集団の女子達への陰湿なイメージは、あの頃に確立したのだと思う。
だから私は群れるのが苦手だ。
私はひとりぼっちを惨めなことだと決めつけていた。
宇宙の法則で、元々この世界は私だけが存在している鏡の世界で、他人に見えるあの人もこの人も、実は自分の一面を見せてくれている、全て自分の一人芝居だったのだと知った。
そう、真実は最初からひとりぼっちだったのだ。
な~んだ!そうだったのか!と凄く気が楽になり、思春期の頃の私に教えてあげたくなった。
だからこうして記事にしてみた。
今でも時々ひとりぼっちの寂しさでいたたまれなくなる。
そんな時は、私が私に寄り添い優しくハグをする。
もう大丈夫、私は自分をひとりぼっちには絶対にしないと決めたから。
ここまで読んでくださって感謝します。
幸せをありがとうございます✴️
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