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【✒️0002】留学を日本に決めた決定的な○○

こんにちは。

初めて書いた前回の記事を読んでいただいた方、ありがとうございます。ちょっと緊張しながら書きましたが上手く書けていたのでしょうか。https://note.com/dreamcafeowner/n/n5c4b5a9c837e

今回の記事は前回の続きを書いたものですので、お時間ある方はまたゆっくり読んでいってください。

留学を「日本」に決めた決定的○○や、来るまでにやったこと。ハプニングを紹介する回にしてみました。
もしこれから留学を考えてらっしゃる方、なにかやろうと思ってもう一歩勇気が出せない方がいましたら、過去同じ道を歩んだ人の体験談としてなにかひとつ励みになれたらと思います。

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育ってきた環境やちょっとしたきっかけで私は、高校卒業したら海外に行ってモノづくりをする。と夢を抱くようになりました。

そう決めてみると、なんだかワクワクしてどんどん気持ちがエスカレートしていく。

夢をもう一段詳しく

そこからはもうひとつ詳しいビジョンを考えていくことにしました。「海外(どこの国?)に行ってモノづくり(なんの?)をする」の()の部分。

まだ親には内緒。どんな反応をしてくれるかわかりませんが、人に言ってイメージできるくらいのビジョンが固まるまではまわりの干渉など障害はなるべく少ない方がいい。そう決めて先ず取りかかったのは、

何がしたいか

でした。
前回の記事で書いたように、親友の影響で日本のサブカルチャに触れたのは大きなきっかけでした。いろんな世界観に触れるゲームやアニメに触れていたことから「アニメーター」または「ゲームクリエイター」になると目的を絞っていきました。

ひとつ、スキルを身に付ける

子供の頃から絵を描くことには多少才能があって、学校で行われる美術コンテストでは何度か受賞をしてきた経験もあったのを励みに、今後の夢のスキルのひとつとして本格的に絵を習いにいきました。

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そして、早くも挫折しました。

ワクワクした世界観を視覚的に産み出す素晴らしいスキル。出来上がった誰かの作品を眺めて感動するのは容易いけれど、自分でその感動作を産み出すにはあまりにも気が遠くなるような努力が必要でした。なにより3,4時間も同じ席に座ってひたすらまっすぐな線をキャンバスが真っ黒になるほど描かされたり石膏デッサンをするのは辛くてしかたがありませんでした。
絵を描く方の素晴らしさと尊敬の気持ちが芽生えた時期でもあります。

それでも絵が描けるのは今後かならず役に立つ。そう思って留学に来る直前まではしっかり続けていました。

やってきた運命の出会い

そんな毎日のお絵描き生活を続けながら、ネットサーフィンで様々な作品について調べていたら、ついに出会ったのです。海外に留学して「これをやる」という

運命の作品との出会い。

これは、日本のゲーム「Final Fantasy10」に出てくるゲーム内のイベントムービーです。(当時と全く同じ動画は見当たらなかったので同じシーンを新たに見つけたものです)
日本人ならFF(Final Fantasy)は大体の方が知ってるくらいの有名作ですが当時の私にはこれがどこのなにに出てくる映像なのか知る余地もなく。FFや制作会社のスクウェア・エニックスの存在すら知りませんでした。

ただただ人物の美しさや動きのしなやかさ、背景、エフェクト、シチュエーションから読み取れるストーリー、音…全てにおいて感動を与えてくれた美しい作品。これを20年前に作ったと考えると、その技術力や表現力のすごさに今でも頭が下がります。

調べた結果、「これは日本のゲームに出てくる映像らしい」ということがわかったのです。

これがゲーム?!
よし。ゲームを作る人になる!

また一歩進んだ瞬間でした。
(実際はゲームを作る技術とムービーを作る技術は別なので映像づくりに進んでも正解だったかもですがw)
実はゲームを作る人になると決めた理由はもうひとつあって、幼い頃からなりたい夢がとても多かった子だったのでリアルでは全て叶えないとしてもバーチャルでなら。ゲームのなかでならスポーツ選手にも画家にもパン屋のお姉さんにもなれる(シミュレーションできる)!そんなカワイイことをずっと思っていたのです。

ふと目にした作品から大きな転機になる。あなたの作っているその作品もいつか誰かの人生を大きく変えてくれるきっかけになるかもしれない。
やはりモノづくりって素晴らしいです。

なにをするかが決まったら次は「どこで」でした。
当時ゲーム業界の市場は1位がアメリカ、2位が日本と言われていて
この2国に狙いを定めて自問自答してみました。
アメリカ:遠い。英語はみんなやってるからやりたくないなぁ~
日本:近い。日本語はまだわからないけど面白そうだし、そういえば親戚が一人東京にいるんだった。

理由はいつだってシンプル。
深く考えたって確かなことはわからないのだからやってみるしかない。ダメならそこから変えればいい。

ということで、

日本に留学してゲームクリエイターになる

という明確な目標ができました。
高校2年のときでした。

やりたいことはやる

父と母に勇気を出して思いを伝えました。
話は真剣に聞いてくれました。だけど、お父さんとお母さんには、やりたいことばっかりやってきただけのご飯も一人で炊けない末っ子が海外に行って何を?!!と思われて強く反対されました。
でもやりたいことはやらないと気が済まない性格なので鬼のように怖かった父ラスボスとどこトン戦いました。

そして…
産まれて初めてお父さんにビンタをくらいました。

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お父さんはボディビルダーをやっていたムキムキマッチョマンだったのでその分厚い手のひらと力で頭がぐらつくほどでした。
付けていたピアスがちぎれて血が出たので
今だ!と思って大袈裟にキレ出して部屋に引き込んだら、お父さんが薬をもっておどおど扉をトントンしてたのをいまだに覚えています。

そんなこんなした末、「3年間だけ!」という約束でついにお許しが出ました。

と思いきや、隠れラスボスの母が登場。
やはり心配なので母自ら先に日本の東京に行って3ヶ月間暮らしてみると言い出し…

家族全員ポカーン。
いままで長年食堂の仕事しかしてこなかった母は遊びも友達に会うのもみたことがないのに、日本語がしゃべれないのはもちろんのこと、母と海外ってどう頑張ってもマッチしなすぎてどこから突っ込んだらよいかわかりませんでした。

でも母も、一度やると決めたらやらずには気がすまない性格。もう止めることはだれにもできず。娘のこれから暮らす町を一足先に偵察に行くことになったのでした。
母の東京偵察の話はまた機会があったらゆっくり紹介することにします。

まとめ

私が日本にくると決めた決定的○○は、何気なく目にした日本のある企業の作ったゲームの映像。どこから何がご縁になり背中を押されるかは本当にわからないものです。様々な出会いに感謝。ただその出会いを産み出すためにはいろんな方向に動いてみないとですもんね。
物事をシンプルに考えて、心がさせるがままに楽しい方を選んでこれからも突き進みたいと思います。


次回は、日本にきて4ヶ月ぐらいで起きたショッキングな出来事で覚醒した話を書いてみようと思います。

よかったらまた読んでやってください。
最後まで読んでくださってありがとうございました。

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