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字幕付き期間について思うこと

 おはようございます!


 いつも昼過ぎか夜に投稿することが多いのですが、今日は訳あって午前中の投稿になります。ちょっと重い内容になるかもしれませんが、以前からずっと思うことがあり、今回はそのことについて話していきたいと思います。


 皆さんは、気になる映画を観に行く時、上映時間や会場などについて事前にHPなどで調べていくことが多いかと思います。


 私もそうです。今回気になる映画があって観に行きたいと思っているのが、「ぼくが生きてる、ふたつの世界」⇩(詳細は下のリンクへ)

 
https://youtu.be/rEtUKCaTUHQ?si=HreOhcQfRSnqN6Zb
 


 上映情報をいろいろ調べていく中で、日本語字幕付きで観られるのが明日までだということがわかり、急遽今夜観に行くことにしました。明日の夜はすでに予定が入っており(オンラインワークショップ)、観に行くのは、今日しかないという状況なのです。


 
 このことに、今すごくモヤモヤしています。モヤモヤしている原因は、、

★日本語字幕付きが期間限定であり、しかもその期間も短い。
★日本語字幕付きの時間帯が夜のみ。


 聞こえない人たちにとって、この映画の内容はとても身近なものになっています。聞こえない両親の元で育てられた聞こえる息子の生き様(実話)が、本として出版され、それが映画となって今放映中で、話題になっています。


 聞こえる人たちの方が、観たい時間などを自由に選んで楽しめるということが当たり前になっている、この環境については、ずいぶん前から不満に思っていました。


 7年ほど前の話になりますが、私の大好きなジブリ映画についても、地元では字幕付き対応になっていなくて、どうしても観たかった私は、電車と地下鉄で2時間半ほどかけて観に行ったこともあります。


 この時も、聞こえる人たちは、今自分のいる地元で観たい映画を観ることができるのに、なぜ聞こえない人たちは、観たい映画を限られた条件の中で時間もお金もかけて観に行かなくてはならないのだろう?


 しかも、字幕付きで観られる時間帯も少なく、期間も短く限定されている状況で、この状況に不満を感じている聞こえない人たちもたくさんいるのに、なかなかこの状況が変わらないのはなぜなのだろう。


 洋画には、英語など外国語のわからない日本人のために、ほとんど字幕がついているのに、音声による情報が得られない人のために字幕付きで、上映期間中に自由に観られる環境にないという、この状況にモヤモヤします。


 まぜこぜの社会、多様性を生きる社会、「誰一人取り残さない」という持続可能な社会の実現が謳われるようになってから(SDGs)10年近く経つけれど、聞こえる人と同じように情報を得られる手段として字幕をつけることがそんなに難しいのだろうか?



 洋画には、ずいぶん前から字幕がついているけれど、邦画に字幕をつけるのは費用面から難しいという理由に納得できないし、ずいぶん前から聞こえない人たちから「字幕をつけてほしい」という声はたくさんあがっているのに、状況があまり変わらないことに久しぶりに憤りを感じたのでした。


 
 中学高校時代、映画を観るのが好きで、よく観ていたのが、ジャッキーチェンの映画や洋画だったなということを思い出しています。邦画は、映像から想像はできるけれど、出演者のセリフやナレーションの内容が全くわからないので、想像だけで楽しむのには限界がありました。


 夜まで少し時間があるので、気持ちを落ち着かせてから片道車で30分ほどかかる映画館に行って、字幕付きの映画を楽しもうと思います。バスや電車などの交通手段のない地域なので、どうしても移動手段は車になり、夜道の運転、気をつけて行ってきます!


 もちろん、この問題について、このままにしていくつもりはありません。何らかの形で声にして伝え続けていき、自分にできることは何か考えていきたいと思います。


 聞こえるも聞こえないも関係なく、誰もが笑顔で安心して暮らせる、優しい社会づくりをしていきたいというのが、私の大きな夢です!!


 このことについては、また時々noteで話題にしていきたいと思います。その時はよろしければ、読んで頂けると嬉しいです。



 私のモヤモヤに最後までつき合って下さり、ありがとうございました🌈
 今日も佳き1日になりますように🌷