見出し画像

 今から7年前。なっちの高校の入学式の時、久しぶりに和服を着ました。母が誂えてくれた孔雀模様の付け下げです。

 私は一浪ののちに看護大学に入学したので、2年生の1月が成人式だったため、看護学部の一大行事『戴帽式』と重なってしまい、地元の成人式には出られませんでした。

 よって、振袖は着ませんでした。その時には、卒業したら結婚しようと思っていた人もいて(4年後本当にその人と結婚した時は自分でもびっくりしたけれど(^^;)振袖というものを一生着ない気がして、両親に振袖の誂えを断りました。

 そんなわけで、母が誂えてくれたのは、淡いグレーとほんの少しブルーも入った地に、孔雀の羽に少し朱の入った、帯次第でいくつになっても着ることのできそうな付け下げ。その付け下げも、大学卒業式の袴に合わせて着たほかは殆ど袖を通す余裕もないまま結婚・子育てに突入。なっち育てでそれどころじゃなくなってしまってすっかり記憶の彼方、タンスの肥やし…💦

 そして月日は流れに流れ、なっち15歳の春。その頃には、私と一緒に歩いていても私にぶら下がることもなく、一緒に穏やかに歩いたり座ったりできるようになってもいましたし、もうそろそろ私の袖を破るようなこともあるまいと思い切って入学式に着てみました。すると何とか、悪戯されることもなく、引っ張られることもなく、汚されもせず、無事に一日を終えることができました。

 この日、和服を着てみて、幼いころから日舞をほんの少し習い、もともとは和服が大好きだったことを思い出しました。この日以来また和服の魅力に取りつかれ、時々折を見つけては和服を楽しむようになりました。

 実はこの時はまだ着付けも中途半端にしかできませんでした。小学生のころに半幅帯でお稽古の時に着ていただけの着付けしかできません。襟も抜けないし、お太鼓も結べませんでした。でも、最近はYoutubeもあるし、雑誌もあるし、本当に便利。独学で学べるし、隠し技もいくらもあります(^▽^)/見様見真似ですが何とか自分で着られるようになりました。

 かしこまった席に着ていくわけではなく、普段のお出かけやお正月などの普段着にできればよかったので、自分のやりやすいように、着やすい方法でどんどん着るようにしました。

 着物が着たいがために、もう一度日本舞踊を習いに行きはじめ、ついには市民会館の舞台にまで出していただくようにもなりました^^;


 和服は言わずと知れた日本の民族衣装です。四季のある日本という国で、季節を先取りしながら生地・柄・模様や素材の味を楽しみ、見る人の心を和ませ、また素材と絵羽と織り方の違いだけで、正装にもなり野良着にもなりうる素晴らしい衣装文化。

 着物のことを知れば知るほど魅了され、普段着の小紋や紬などはいくらでも欲しくなってしまいます。とはいっても、欲しいからとおいそれとお誂えを買えるわけもなく^^;

 しかし、そこはイマドキ。オークションやフリーマーケットでも買えるご時世。リサイクルショップやネットショッピングも利用しました。お嫁入りにご実家がお持たせになったのを着る機会もなく手放されたのでしょうか、仕付け糸のついた大島などがお安く手に入ることもありました。

 舞台観劇が好きな私は、劇場にもいそいそと着て出かけました。日舞のお稽古の日は、朝からお太鼓を結んで、せっかく着たのだからと一日着物で過ごしてみたり。着物で歴史ある場所を訪ねてみたりしました。美術館や博物館も意外と着物の似合う場所です。

 反物の幅に鋏を入れずに誂える和裁の手法は実に見事で、縫ったり解いたりしながら洗い張りをし悉皆屋さんの業でいくらでも何度でも美しく蘇ります。本人が年をとっても体形が変わっても着られるだけでなく、時代を超えて母から娘へ、娘から孫へと受け継ぐこともできる和服。

 歴史ある民族衣装だからこそ、着物を愛するあまり『着物警察』なる方々が時にうるさくおっしゃることもあるようですが、知識は知識として知っておいて、実際着るにあたっては、今の時代に合わせた季節感や機能性で自由に着てもいいと思うのです。だって『衣装』ですから。お洋服だってこんなに毎年毎年流行があってみなさんで美しい在り方を常に探していますものね。(実は、私自身はあまり現代風に着るのが得意ではないのですが、決して否定派ではありません(o^―^o))

 

 着物を着るって、実際のところ結構面倒です^^;着物を選んで、帯を合わせて、小物を合わせて…選ぶだけで、着るまでにすでに10分以上かかっていることもあります。

 そして、着るための手順が多いし、洋服のように1.2分でパパっと着られる訳じゃありません。普段着の半幅帯であっても、たとえ浴衣でも3~5分くらいはかかります。

 それだけ一生懸命に着ても、”ああ、今日はここがうまくいかなかった…”と思ったり、思ったより自分の顔色に合わなくて落ち込んじゃったり。

 そんなことを繰り返しながら上手になっていくんでしょうけど、一つ一つになんとも時間がかかります。でも、その時間こそが余裕をもって日々を過ごしているようで好きなのです。

 和服を着て出かけようと思うと準備に取り掛かるのが早くなります。朝も早くから起きることになったり、お化粧を早めに始めたりして、『時間がかかるという前提』で物事を準備します。すると、万が一何か不測の事態に陥ってしまっても、着物を着るはずだった時間で対応できるのです。もちろん、着たかった着物を着ることができなくて残念なのですけれども、行きたかった場所に辿り着けなくなるとか、予定変更を余儀なくされるとかっていう事態が少なくなったように思います。

 また、和装の場合、頭のてっぺんからつま先まで、小さな小物一つに至るまで細かく用意をして何一つ欠けても結構不便なんです。足袋を履かない訳に行かないし、帯板一つ忘れても芯地を探し回って大変です^^;襟芯を忘れた時なんて、『昔の人はどうしてはったんやろ』って本気で頭を抱えました。紐一本無くったって本当に不便です。

 そんな準備を一つ一つイメージしながら整えて、そのことに集中することで心を落ち着けていく。そんな大切なプロセスなんじゃないかって気もするんです。

 そうして着た着姿は、背筋が伸びてピンと心もしっかりする気がします。

 

 家事・育児・仕事・・・追いかけているのか追いかけられているのかわからぬほどに目まぐるしい日々を過ごし、ふと立ち止まって考えてみたとき、こんなふうにちょっとした余裕を持ってみたら人生の色が少し変わったように感じた、そんな感じ。

 しなくてもいいようなことかもしれないけど、ひとつひとつ集中して丁寧に生きてみたら、なんか心が整った。

 余裕なく走りまわっているだけよりも、ふりでもいいからゆっくり味わって過ごしてみると、案外人間の心は『私、余裕~』って騙されるのかも。

 だから、せっかくある日本の四季に合わせて和服を着、四季折々の風景を愛でつつ歩き、ちょっと余裕を持てているふり(?)をすることも人生には大切なことなのかも…と思ったりするのです。

 


笑顔が増えるための活動をしています。 いただいたサポートは、稀少疾患であるアンジェルマン症候群の啓蒙活動、赤ちゃんから高齢者まで住み慣れた地域で1人でも多くの方が笑顔になるための地域活動の資金として大切に使わせていただきます(^^)