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愛溢れる障害児支援の支援者さんたち。 16歳のなっちに『女子高生らしい体験を』

 

 障害児福祉の歴史は、実は意外と浅い。(と、思っています😅)

 今でこそ、障害児にはできるだけ早い時期から専門職種による関わりや療育が必要であると謳われ、就学に於いても熱心な教育指導や学校選択の機会があり、就学後も18歳高校卒業の年齢まで、両親の就労支援の必要性も相まって児童発達支援事業所や、放課後等デイサービスなど障害児支援の福祉事業所はとても増えました。でもそれらがいつ頃から法整備されたかというのは案外知られていないと思います。

 ■ここで近年の障害福祉の歴史をざっくりと、本当にざっくりとまとめてみました。

 我が国では戦後、「生活保護法」に位置づけられた救護施設等における取り組みをはじめとして、その後、「身体障害者福祉法」、「知的障害者福祉法」、「精神保健福祉法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)」といった障害種別に定められた法制度が成立し、それぞれに拡充が図られてきました。ノーマライゼーション理念の高まりも相まって1993年には障害者基本法へさらに拡充を見せましたが、障害福祉というのはその間ずっと措置福祉でした。つまり、選べる自由のある福祉ではなく与えてもらう福祉でした。(しかしそれは障害福祉だけでなく、介護保険法以前の高齢者の福祉も似ています。)

 その『与えられる福祉』が『選べる福祉』になったのが2003年(平成15年)、『支援費制度』の頃です。

 この『支援費制度』により、サービスを利用者が自ら選択し事業者との契約に基づき利用することによって利用者本位のサービスをめざすものとなりましたが、財源確保が難しくなるなどの問題が生じ、『支援費制度』の理念を継承しつつ、これら課題を解決するため、2006年(平成18年)からは『障害者自立支援法』が施行されました。法改正がなされるたびに、障害程度区分を人が判定することの是非や応益負担応能負担などの金銭面での負担のあり方が変化し、様々な課題が浮き彫りになっていきました。その後、何度かの改正を経て2012年(平成24年)〜『障害者総合支援法』という名称になっています。

 そして、この2012年(平成24年)に『児童福祉法』としてできたのが『放課後等デイサービス』『児童デイサービス』などの障害児の余暇活動や放課後保障です。たった8年前です。(これらが児童福祉であり、障害福祉でないところがポイントです。)

 それまでも支援費制度や障害者自立支援法における障害児のためのタイムケア事業や児童デイサービス事業(一時預かり的なもの)は地域によってはありました。でも、私が記憶している限り、私が住んでいる自治体にはその存在すらありませんでした。契約したくても相手がいないのです。結局、近隣市町にあるものを利用するにも至らず、私たち夫婦は自身の就労支援を障害福祉に求めることは諦め、母である私が職を転々とする道を選んだのでした。

 というわけで、【ざっくり】言うと、障害児に特化した支援の始まりはもしかしたらついこの間で、しかも障害福祉法ではなく児童福祉法で、平成24年かもと私は思っています。


 ■我が家としては、2012年(平成24年)にやっと、当時中学生のなっちも放課後等デイサービスに行けるようになりました。学校が終わる14時40分にデイの車が特別支援学校に迎えに行ってくださり、デイで支援者さんの適切な支援を受けて放課後を過ごし、17時ごろに自宅に送って来てくださるという夢のようなサービス。夏休みも朝から夕方まで通うところがある!今なら当たり前かもしれないけど、当時は、連れて行かなくてもいい、迎えにいかなくてもいいっていうだけでも夢みたいな話です。

 それまでは、特別支援学校の4月に決まる送迎バスルートにより、一喜一憂。なっちが何時に近所のバス停に帰宅するかで私の仕事は激変していました。15時30分に帰ってくるなら15時まで病院で働けていたけれど、14時50分に帰ってくるようになれば、その職は失いました。

 また、これまでは私たちの仕事の都合でどうしても預けなければならない時には、成人のための福祉施設を間借りする形で日中一時支援やショートステイをお願いしていました。成人のための施設なのでこども・就学児については皆さん不慣れです。子猫のように走り回り、奇声を上げ、手を出し、引っ張り、噛みつくなっちに手を焼いた職員さんに、親の育て方が悪いと言う誤解を受けたり、なっちの人格を否定されたり寂しい悔しい思いもたくさんしました。

 そんな私たち一家にとって、職員さんに児童のための知識も経験もあって、行動障害のお勉強もされていて、温かな保育士さんもいる『障害児のための福祉』に出会えたことは本当に夢のようだったのです。

 ここでは、なっちが困った行動をしても、なっちが悪いとは言われません。親の育て方のせいにもされません。こんなことも、福祉施設では初めてでした。

 『なっちゃん、理由もなく小さい子に手を出したりなんかしませんよ!』
 『なっちゃん、○○ちゃんにおもちゃを貸してあげてました』
 『なっちゃん、なんでもよーくわかってますよ』
 『今日は少しイライラしているようでした。体調悪いんかな?』
 『お家で何か変わったことありましたか?』

 と、彼女らの支援は口先だけの綺麗事なんかじゃなく、本当に本人中心。何があっても、なっちに何が起こっているか、どうすればなっちが穏やかに過ごせるようになるのか、笑顔を守れるのか、そんな発言しか聞かれませんでした。なっちもそれがわかっていたのでしょう。どんどん表情も穏やかになり、余計な悪さも悪戯もしないのです。自分が大切にしてもらっている事を肌で感じていたのだと思います。

 それまでお世話になった何箇所もの施設で、先方の勉強不足や経験不足以前に、『ご迷惑をかけぬよう』『お利口でいてくれなければ次からこの施設のお世話になれない』などと、私たち親は預け先がなくなることの恐怖に気が気じゃなかった時代があったのも事実。なっちらしさを本気で追求してやれず、福祉施設に遠慮して気兼ねしてお世話になっていた時期があったのも事実なのです。

 ごめんなっち。私は、なっちに寄り添いちゃんとなっちのために支援することの大切さ、親としてのその希望を、遠慮してしまってちゃんと伝える強さが持てなかった。

 でも、この愛溢れる障害児のためのデイサービスのお世話になって、障害児支援者さんの支援のあり方を見せていただいて、それによりなっちの笑顔がこんなにも豊かに守られていることを知ってはじめてなっちをなっちのまま愛することの本質を思い知らされました。そしてその大切なものを守り抜くために自分がきちんと勇気を持って言うべきことを言う必要があるのだと、親の私が気づいたのでした。


 ■さて。

 そんな放課後等デイサービスの職員さんたち。週末は1人で外出できない障害者さんの移動支援のヘルパーさんも兼務されていたのですが…

 なっちが高校生になった頃、若い支援員さんたちが、今度は、

 『お母さん。なっちゃん、土曜日に移動支援でお出かけしてみるのはどうでしょう?』『なっちゃんに、女子高生らしい楽しみも味わってもらいたいんです』と、提案してくださったのです。家族ではない人の支援でお出かけするということです。

 なっちに女子高生らしい楽しみって??

 この子、何をしたいと思ってるんだろう?

 健常な女子を育ててこなかった親には想像もつかない話です。自分の女子高生時代は遠い昔だし😅

 我々親は、できるだけ外食を避け、公共の乗り物に乗らず、公共の場所を避けてきました。それはなっちを人目に晒したくなかったからではなく、これまでの人生で社会の中では色々疲れる出来事もあったので説明も面倒で世間にご理解いただく労力もそう毎回毎回使う元気がなかったためでした。そう、ただのズボラです。

 なっちは、最重度障害者ゆえ2人介助が必要である旨の申請をし、支援者さんが2人同行してくださって、近隣市町に電車やバスで出かけ、神戸でローストビーフ丼が美味しいお店に並んでみたり、パンケーキに舌鼓を打ったり。コスプレでプリクラを撮ってみたり。

 綺麗な海を見に行ったり、お山の空気を吸ったり。ローカル線で出かけたものの、帰りは電車が来るのを待つよりも歩いたほうが早いと何駅分も歩いたり(^^;;

 その頃撮ってくださった写真はどれも弾ける笑顔です。なっちもですが、支援者さんも。そうなのです、彼女らは自分たちも心から楽しんでくださっていて、それがなっちに伝わっているようでした。なっちはお世話をして欲しいんじゃなくて一緒に遊んで楽しんで欲しかったんですよね。

 その年齢に応じた貴重な体験をたくさんさせてくださり、なっちの心に豊かで温かいものをたくさん残してくださり、なっちの笑顔を守ってくださった熱い想いの温かな支援者の皆さんへのご恩は決して決して忘れません。

 今も同じ法人さんの生活介護に通所させていただいていて、当時お世話になった彼ら彼女らと同じ志を持った方々のあたたかなハートに包まれて、なっちは幸せな人生の時間を更に積み重ねていっています。

 今は、少なくとも制度上は【選べる福祉】です。私たち親亡き後は施設に入るしか選択肢がない時代とは違います。もちろん施設入所が悪いわけではありません。でも、今こんなに輝いた日々が地域の中にあるのに、私たち家族に仕事や都合があったり、病気をしたり、入院したり、逝ったりしてなっちと一緒にいられなくなったことだけで入所するのはとても残念なこと。生活介護や重度訪問介護のヘルパーさんのご支援もいただきながら、少しでも長く、この温かな支援者の皆様に見守られて住み慣れた地域での生活が続いていけばありがたいなぁ、と心から願っています。




※障害福祉の歴史については、社会福祉法人全国社会福祉協議会HPより、引用部分があります。

https://www.shakyo.or.jp/index.htm  


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