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科学と浪漫の大爆発:海野十三について

こんばんは。月に一度の別冊夢想ハウス.にこにこです。
2023年もいよいよ年の瀬を迎えようとしていますね~。
年内最後の朗読配信、12/15(金)は海野十三の「仲々死なぬ彼奴」を読みました。

👆ここで毎月朗読してる📚ぜひ聴きに来てね🍻


海野十三作品、初挑戦でした!
恥ずかしながら全く読んだことがなくて…瀉葬文幻庫が『火葬国風景』を上演していた時に気になって読んだことがあったんですが、他の作品は読んでなかった。
前回読んだ蘭郁二郎に出会い調べていくうちに、彼が海野十三に導かれて怪奇探偵小説→科学小説へ舵をきった、という関係性がわかり「あ、海野十三と深いつながりがあったんだ!」と発見。

では次は海野十三を読んでみようかなと短編を漁っていると、かなりユーモアに富んだ奇天烈な作品がいくつも見つかりました。
中でも今作「仲々死なぬ彼奴」は滑稽な語り口が印象的で、死のうと思って壮大な仕掛けを作っておきながら、「唐突に死んではたまらない」と思ってハアハアしながら同時に「死に遅れたら一大事…」と思っている、なんて描写は笑いながら胸がギュッとするいじらしさを感じた。たまに作者がピョコンと自我をあらわしてくるところも好きだ。
空気男」も同様のテイストで迷ったんだけど…。こちらもいずれ読みたい!

蘭郁二郎作品の傑作『穴』に出会ったのは2020年12月6日…そんな前なの!!
そうだそうだ、この時はストロベリーソングオーケストラの映像作品『怨ライン呪い屋✂黒百合鋏美』シリーズが1話ずつ公開されている最中で。
私が担当した第6話の公開前に、3夜連続でおどろおどろしいテイストの作品を朗読してたんだったね。
懐かしい…3夜連続とか当時の自分頑張ってたな。
来年、久々に夏の怪談週間とかやってみようかな…。

👆『怨ライン呪い屋✂黒百合鋏美』シリーズ(第一話)📺



文壇デビューと横溝正史

海野十三は早稲田大学を出て逓信省の電気試験所に勤務しているというエリートでありながら、まだSFが確立する前の日本で科学的知見を活かした探偵小説を書いていたという凄い人だ。
でも文章にはエリートっぽさはなく、むしろユーモアたっぷりで奇天烈。なんだか笑ってしまうようなオチがあったりする。
大の麻雀好きで、ペンネームの由来は麻雀の運と実力の差を訊かれて「運の10さ」と答えたからと言われているらしい。ダジャレ…もう面白いやん。

彼は最近このnoteでも触れている雑誌「新青年」で探偵文壇デビューした。
当時「新青年」編集長だった横溝正史「海野十三氏の処女作」にこんなエピソードが書いてある。
同誌の編集者・延原謙氏は、早稲田大卒→逓信省電気試験所に勤務していたという、海野十三の先輩にあたる人だった。
海野十三が勤め先の機関紙に書いた「しゃっくりをする蝙蝠」という作品が面白いからと横溝に紹介し、気に入った横溝が海野に執筆を依頼。
そうして完成したデビュー作「電気風呂の怪死事件」掲載時、横溝は2つのとんでもないミスをしたそうだ。

①校正を依頼した人が何を勘違いしたのかほとんどの文章を直してしまい、もはや海野十三の文ではなくなっていた。書き直せとは頼んでないのにな、と思いはしたが〆切が迫ってるしその方がスラスラ読めたのでそのまま工場へ渡した。

②電気試験所はお役所であり副業はすべきではないので、本名ではなく海野十三というペンネームでこっそり活動していた。なのに横溝は、目次制作の担当者に作家名を訊かれた時、うっかり本名を答えてしまう。
本編ページはペンネームなのに目次には本名が載ってしまい、勤め先にばれた海野十三はめっちゃ怒られた。

なにこのびっくりエピソード?!このコンボはいくら新人とはいえ大半の人が怒るやろ…。
それでも海野氏は文句も言わず、相当優しい方だったらしい。凄い…。
横溝編集長もさすがに「その当時、海野氏のお顔を見るのが辛く、お会いするたびに、そびらに汗をおぼえていた」と締めくくっている。そうやろうな…。
しかも戦後、岡山に疎開したまま家がなく途方に暮れていた横溝だ。東京に出てきていた息子が海野十三に挨拶に行くと、「お父さんに家を買うようすすめなさい」と何十万とタンスから出してきて渡したらしい。それで横溝は成城に家を買い東京に戻ることができたのだそうだ(海野十三wikipediaより)。めっちゃ優しい…。「生涯敵を作らなかった」とも評されている。

幻の小説「しゃっくりをする蝙蝠」

さて、横溝正史も気に入った件の「しゃっくりをする蝙蝠」ですが、すでに科学性とユーモアが存在していたという。
ただ、出版されておらず「幻の小説」となっているようだ。読んでみたい…!あらすじがこちらのページに紹介されていたよ。

…いや、結局どういうこと!?という顛末なのだが…ほんとうに独特のユーモアセンスやな。

江戸川乱歩と深夜の散歩

江戸川乱歩とも交流が深かったそうだ。
ここに、2014年5月23日の徳島新聞の切り抜きが載っている。2014年、海野十三没後65年をうけて行われた講演会の内容がざっくりとまとめられていて、二人の探偵小説に対する考え方がみえて面白い。

「深夜の都会を散歩する」という共通の趣味があるのも素敵だ。
横溝が家を買い東京に戻ってきた翌年、海野十三は結核のため亡くなる。
乱歩は海野十三の告別式で弔辞を読み、「深夜の海野十三」を発表したそうだ。

今から二十年近くも前の話、海野君が「新青年」にはじめて連続短編を書いた頃、早稲田裏の戸塚の私の家へよく遊びに来てくれたものであるが、私はその頃深夜の浅草公園をうろつき廻る病癖を持っていて(随筆「浅草趣味」)海野君にこれを話すと、同君も広野の如き深夜の都会を歩くのが好物の由で、是非一度一緒に散歩しましょうということになり、ある春の夜、深夜の銀座からはじめて(当時タクシーが非常に廉かった)浅草の闇をそこはかとなくさまよい、遂には両人とも殆んど馴染みのなかった吉原へ車を飛ばし、登楼する気はないので、郭内の町々を、めぐり歩き、吉原土手を徘徊して、名物の徹夜の馬肉屋へも入る気はなく、何とはなしに夜明け近くまで深夜の東京を満喫したことであった。その夜であったか、別の時であったか、二人だけで向島の何とかという宿屋に泊り、一緒に風呂に入り、寝そべって身の上話を語り合ったりした。海野君について最も印象深い思出である。その頃の同君は意気なハンチングをあみだに被り、颯爽たる美青年であった。彼の名作「深夜の市長」が出たのはそれから間もなくであったと思う。

江戸川乱歩「深夜の海野十三」

良いエピソードやな…。
海野十三は徳島生まれ。徳島には、江戸川乱歩による碑文が刻まれた海野十三文学碑があるらしいが、そこには海野自身のこんな言葉も書いてあるそうだ。

「全人類は科学の恩恵に浴しつつも、同時にまた科学恐怖の夢に脅かされている。恩恵と迫害との二つの面を持つ科学、神と悪魔との反対面を兼ね備えている科学に、われわれはとりつかれている。かくのごとき科学時代に、科学小説がなくていいであろうか」

恩恵と迫害、神と悪魔。
科学がこの二面性を持つように、私にとって科学と浪漫というのはある種の二面性であるように思われる。なんとなくここまで書いて、それは今作の金属ソジウムと水の大爆発のようで、意外なところを粉微塵にしてしまう強力な作用をもたらしているのかもしれない。
こんな独特のユーモア、独特の探偵小説は初めてだなあ!と新鮮に戦前の作品を味わっているのも、この作用の爆風がいまもなお心に届いているからかもしれないなあ。なんて思いながら、沢山読みたい作家をまた見つけてしまったのでした。

来年徳島に行く予定があるので、文学碑絶対に見に行こ♬


次回予告:1/12(金)21:00~小酒井不木「犬神」

さあ、2024年新年会配信は…タイトル通り、日本の古き良きおどろおどろしい雰囲気のお話をしようと思います。
小酒井不木も、前述した2020年の連続配信「血の盃」で出会い、大好きになった作家。
不木は医学博士でもあり、医学の知見をもってして探偵小説、怪奇小説を書いていた。今回の科学の知見とはまた違う、冷静なまなざしの怖い話をぜひ、味わってください。



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