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連続小説 カフェー・宝来屋(福が来た)第一話

第一話「福の水揚げ」

 大正12年(1923)9月1日昼にそれは起こった。関東大震災である。死者・行方不明者は10万人を越えて明治以降最大の地震となった。

 口入れ屋の六さんは言った。「地震で店は潰れちまったんだが、すぐに建て始めてな。それでも材木不足で一年近くかかってやっと開店に漕ぎ着けたんだ」福は建物を見上げた。
 それは白い洋館を思わせる様な佇まいだった。周りの家が皆、家を建て直せずにバラックになっているから尚更この世の者でない輩が住んでいそうだと福は思った。
「カフェー・宝来屋」看板にはそう書いてある。裏へ廻って勝手口に行くと女がいた。六さんはその女に声をかけた。「女将、連れて来ましたぜ」
 この人が、この店の女将なのだと分かり福は慌てて頭を下げた。「顔を上げな」と女将はいった。年増の小柄な女だがその声は低く響いた。「ふん。六さん、ありがとよ」と言いい「ついて来な」と中へ歩きだす。福は六さんに頭を下げて後を追って行く。廊下を通り奥の扉を開けると、そこには天国があった。
 広い店内の前方と左側にテーブルを挟んだ長椅子二つで仕切った幾つもの席が作られている。右側は小高くなった所に豪華なソファーが幾つもある。壁には海に浮かぶ宝船が描かれていて、天井には大きく見事なシャンデリアが燦然と輝き、店内を一層豪華に仕上げている。
「どうだい、これがお前の仕事場さ。さぁ、二階に行くよ」と女将は入って来た扉の横にある階段を上がりだした。階段は壁に沿って造られていて白い手すり越しに店内がよく見える。天井が高いから見晴らしも良い。二階の廊下にたどり着き最初の扉を開けて女将は言った。「ここがお前の城だよ」中はベッドと鏡台とタンスが一棹だけだった。「いつも綺麗にしておくんだよ。ところで大事なことだから正直に答えな。お前、まだ未通女(おぼこ)かい?」そう女将に問われて福はコクリと頷いた。女将は「よし分かった。お前の水揚げは良い旦那を選んであげるよ」と言い「さあ、飯の支度をするから手伝っとくれ」と言われ福は女将と共に階下に降りていった。
 福は女将の指図通り飯を炊き風呂を沸かし掃除をして三日がたった。部屋の箪笥にはお仕着せの黒いメイド服が入っていた。百貨店の女給が殆んどメイド服になっているので、ここもそれに倣っているそうだ。貧乏で洋服を来たことがなく初めて着る洋服がこのメイド服だなんてと、福は悲しくて涙が出てきた。

 帳場に、ご隠居が来ていた。女将の茶飲み友達である。「福ちゃんはどうだい?」とご隠居が聞くと女将は怪訝な顔をして「珍しいねぇ、新入りに関心を持つなんて。気に入ったのかい?」と揶揄する様に言った。「おぉ、気に入ったね。あの娘は良い娘だ。若けりゃ水揚げに名乗りをあげるんだが」と笑った。
「それなんだけどねぇ」と女将が言った。「めぼしい人は都合が合わなくてねぇ。誰かいないかねぇ」と言う。「スーさんに聞いたかい?」とご隠居が聞いた。「スーさんかい?まだ若いからねぇ。無茶されると困るからさぁ」と女将は渋っている。「スーさんは大丈夫だよ、優しいから」と、ご隠居は言った。
 スーさんというのは宝来屋の常連で一条財閥の婿、一条傑のことである。跡継ぎのいないこの家は、わがまま娘の惚れた男を生まれもソコソコだったので渋渋承諾して迎え入れたのだが。この男、途方もない食わせ者で毎日を女と金使いに勤しむような輩だった。店一軒丸ごと貸し切って遊ぶ、そんな男だった。
 口入れ屋の六さんからスーさんに連絡を取って貰ったところ了解したと言ってきた。宝来屋の水揚げは御披露目である。招待客を集めて豪華にするのだ。もちろん、相手の旦那持ちでやるのだ。福に振り袖を仕立てると慌てる女将達の前に百貨店から迎えが来た。スーさんの注文で福にドレスを仕立てるそうだ。
 女将と共に円タクに乗って福は百貨店の高級婦人服売り場にやって来た。ドレスは三着用意されていて白基調に青、赤基調に黒、それに純白があった。どれか選べということだと思った福は「純白がいいな」と思わず口にした。採寸係りの人は「三着ともお仕立ていたします」と言った。エッ!これ全部着るの?

 純白のドレスを纏った福が二階から下りてくる。会場はシャンデリアとテーブルの上の蝋燭だけしか点いておらず、ほの暗いが階段には点点とランプが置いてあり足元に不安はない。
 福は小高いソファーで待っスーさんの元へ行き、スーさんは福を抱きしめ熱いキスをした。会場の出席者達は万雷の拍手を送る。それからは呑めや唄えの大騒ぎ。最後はスーさんが福を二階の部屋まで抱き抱えて行ってお開きになった。
 まぁ、招待客はタダで出来るので順番待ちで夜中もいた。一番人気のお春姉さんには十人も名乗りを上げたが抽選で七人にした。それでも朝までかかった様だ。福は部屋に入ってドレスを脱ぎ裸になった。
 床に座り両手をついて「本日は、ありがとうございました。不束者ですが、よろしくお願い致します」と言った。これは決まり文句。スーさんはウンウンと頷き「こっちに来てビールを注いでくれ」と言った。福は両手で体を隠したかったが女将から絶対にするなと言われていたので、思わず動いた手を止めた。
 スーさんはそれを見て「襦袢を羽織りなさい」と言った。福は言われた通りに壁に掛かっていた襦袢を取って羽織り「ありがとうございます」と礼を言った。ビールを注ぎながら「傑様は何故私なんかに、こんな大金を使ったのですか」と素朴な疑問を投げつけてみた。スーさんは「実はな……」と話し始めた。
 つまりこうである。以前から商売で取引のある口入れ屋の六さんに、旦那にとって財産になるから水揚げを引き受けなさいと言われたそうだ。六さんの進言には思う所のあったスーさんは分かったと引き受けたそうだ。「それだけなんですか」と福は信じられない様子だった。「いや、お前が気に入ったからさ」
 それからスーさんと初めての夜を過ごした。どこを触られてもあまり感じなくてスーさんを受け入れる時は痛かった。後は大丈夫だったが客を取った時どうすれば良いか聞いておくように言われた。女将に反対されて着れなかった後のドレスはくれるそうだ。流石に三回のお色直しは飽きるだろうと福も思った。
 水揚げは、こうして滞りなく行われ無事に終了した。しかし福の女給生活は始まったばかりで、これから覚えることも沢山あります。話術やベッドで男を夢中にさせるテクニックなど経験の無い福にとっては大変な事ばかり。でも、皆が通ってきた道ですから大丈夫でしょう。
 福は自分の居場所を見つけました。

お春姉さん:いいかい、男は馬鹿の下手くそで全然感じない事をしてくるんだよ。それでも感じたフリをして喜ばせれば何度でもやって来るんだ。いいかい見てな『あっあぁ~ん、はぁ~ん』ってなもんだ。やってみな。
福:えーっ、難しいなぁ。『あっああ~、はっああ~』
お春姉さん:お前はターザンか!

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