2016.9.16 cakesウラ話〜自尊心は内に秘めよ〜
こんにちは、外科医の雨月メッツェンバウム次郎です。
今回のケイクス連載は、こんなお話を書きました。
「合コンでも先生と呼ばれ、寿司屋でも先生と呼ばれ医者は喜ぶ」
この記事には、私が合コンや寿司屋などで「先生」と呼ばれ、あれこれごちゃごちゃ考えた挙句、ま、いいか、呼ばれてへらへらしていようか、となった経緯が描かれています。
もう少し抽象化すると、「自尊心と自分のありかたの対立に苦しんだが消化した」となります。お読みの皆さんも一度は自覚したことがあるかもしれませんが、この自尊心ってとってもやっかいなシロモノ。そこで今回は自尊心についてお話を致しましょう。
結論をいそげば、「自尊心とは内に秘めておくもの」です。これには二つの意味を込めています。
1、自尊心はちゃんと持っておいたほうがいい
2、自尊心は極力外に出すな
という2点になります。これについて検討します。
1、自尊心はちゃんと持っておいたほうがいい
まず一つ目。自尊心はちゃんと持っていたほうがいい。これは皆さんご同意いただけるのではないかと思います。が、自覚的に持っている人はあまりいないという感触を私は持っていますヨ。
「自尊心」を言い換えると、「自分はこれだけ凄い」「自分はこれだけ人より優れている」となります。これを持っているかいないかで、物事の達成率がかなり変わってきます。受験にせよ、TOEICにせよ、仕事の売り上げにせよ、恋愛行動にせよ、です。
大学受験の結果なんていうのは、結果が出るかどうかのなかで大きなウェイトを占めているのが「自尊心」ではないかと思います。私も受験では苦労しましたが、歯を食いしばって勉強して結果を出すやつというのはみな高い「自尊心」=「自分はこれだけ凄い」→「だから俺は、私はこれくらいできるはずだ」を持っていました。この辺、心当たりがある方も多いのではありませんか。勉強中にすぐ休憩に行ってしまう人、朝一番に来れない人、眠気や遊びの誘惑に勝てずそちらに行ってしまう人。こういう人たちは、「自尊心」が低い結果自分を律することができないのです。
いい高校を出ている人がなぜいい大学に入るのか。それはもともと頭が良かったから、とか親が存分に教育にコストをかけたから、という理由よりも、「私は名門・◯◯高校所属なのだ」という「自尊心」の要素が少なからずあると思います。
「これだけ名門に、県ナンバーワン高に行っているのだから、最低でも早慶・一橋・東工大には行かなければ」そんな思いが受験生の背中を押し、勉強させて結果を出させるのです。ですから、そういう学校では生徒の「自尊心」を植え付けるような教育を(教師が自覚的にか否かはおいておいても)するのですね、曰く「君たちはこの◯◯に入ってきたのだから、社会のリーダーとなるべく勉学に励むとともに人格を涵養しなければならない」と。
私は医学部に入った時にこのような訓示を受け、いたく感銘を受けたのを覚えています。このような訓示とは、「君たちは晴れて医学の扉を叩くことを許された、数少ない者たちだ。これからの世界は、医師たる君たちがリードしていく」というような、honorに満ちたものでした。これを聞いて、ぼろぼろの穴だらけの汚れた毛布のようだった私の名誉は回復し、強く「自尊心」を自分の中に形成したのを記憶しています。これは、私の「生半可な努力ではいけないし、あらゆる戦いには勝たなければならないし、すべての仕事は人よりはるかに高いクオリティでやらねばならない」という誇りに変わりました。
つまり、「自尊心」を持つとすぐにそれは「誇り」というものに形を変えるのです。そしてその「誇り」こそがあなたにいい仕事をさせ、競争に勝たせ、素晴らしい結果を出させるのです。
ですから、「自尊心」は持っていなければなりません。
そして面白いことに、「自尊心」の根拠は何でもいいのです。ちょっと名門の家の出身だというだけで高い「自尊心」を持ち、それを誇りとしていい仕事をしている人だっています。小学校の頃リレーの選手だった、マラソン大会で7位入賞した、俳句が佳作に入選した、バレンタインで一度に5個以上もらったことがある、まつげが長いと言われる、禁煙ができた・・・そんなシンプルなことでもじゅうぶん「自尊心」の根拠になります。
本当になんでも良いのです。ちょっとした成功体験、ちょっとした褒められたことなどで良いのです。その誇りで人間は生きていけるし、いわゆる「限界状況」(戦争で捕虜として捕まった時のような、精神と肉体の限界的な状況)においても美しい英雄的行動ができるのです。
2、自尊心は極力外に出すな
しかしながら、自尊心が垣間見えると普通は人に嫌われます(笑)。これが不思議なところで、ちらりとでも見えてしまうと案外ムカつくんですね。まあ、ドヤ顔な人ってだいたい鬱陶しいですよね。私も上に「自尊心を持っている」という話を書いたことによって、「うわー」という根拠のない嫌われ方をしているかと思います。
ですから、自尊心は極力外に出してはいけません。人に見られてはいけません。ただ唯一出して良いとしたら、それは「結果」で出すべきです。例えば人前で漢字が読めなくて赤っ恥をかき悔しかった、自尊心が傷つけられた時、漢字を猛勉強したとします。その時に「私は漢字に詳しくて」なんて言ってはいけません。見せるのは「漢字検定1級(超難しいです)」に合格したというその事実だけ。その結果だけで、自尊心をガツンと印象付けるのです。
私は以前、「実は自分はとても凄い仕事をしていて」と初対面の男性に言われたことがあります。いつかcakesにも書いたような気がしますが・・・あまりの馬鹿馬鹿しさに彼とは一生付き合わないことにしています。が、たしかに彼は世に認められた良い仕事をされている。その内にもつ自尊心をおでこに「俺凄いんです」と書きさえしなければ、良い友人になれたような気もします。
自尊心は内に秘めて、メラメラと燃やしましょう。しかし人前では、「別になんでもいいんですけど」と普段は言っておきましょう。しかし、「別になんでもいい」わけがない、そんな人が出すはずがない結果を出しその事実で自尊心と誇りを内外に示しましょう。自らに戒めをこめて、書いておきます。
しかしなぜ他人の自尊心を見ると、嫌悪感が沸くのだろうか?
幾つか理由は考えられますが、「自分の持つ自尊心を言い当てられたような気がする」という同族嫌悪と、「人前で自尊心をむき出しにする下品さ」への嫌悪と、多少の「こいつ凄いな」という嫉妬が入り混じっているのではないか。そう思います。
ですから、結論として「自尊心とは内に秘めておくもの」と申し上げておきましょう。秘めておく、しかし行動でそれを発露させるのです。
この記事は「200円投げ銭記事」とさせていただきます。投げ銭してくださった方のために、このタイトル写真のミスコン「ミスグランドジャパン」に行き、なぜ私が大感動したかというお話を少し書かせていただきます。cakesにも少し書いたのですが、この大会は「ミスユニバース」「ミスインターナショナル」などと肩を並べる規模で、実に世界100カ国近くが参加する大会です。その日本代表を決める大会でした。
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