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これが私の生きる道

大学生の時に、僕はちょっと好きな人がいた。同級生でサッカーが大好きな松坂桃李に似たイケメンのYくんだ。

彼はとにかくサッカーが大好きだった。

それはそれはサッカーが大好きだった。

授業中もサッカー雑誌を見ていた。サッカーのカードも集めて、寮に帰ってからはウイイレをやって深夜まで過ごす日々だった。

医学部のサッカー部には入らずに、大学のサッカー部に所属して毎日部活に参加していた。彼はとても輝いていたと思う。

でも、成績は全く輝いていなかった。

むしろ、毎回テストもヤバイ事になっていたし、ノートもちゃんととらないから、いつもノートを人に借りてまわっていた。

でも、僕はそんなYくんが好きだった。バカっぽくて、憎めなくて、そしていつも医者なんかなりたくなーい!サッカー選手になりたい!って素直に発言し、先生の前でも夢はサッカー選手!って言ってのける姿に好感が持てた。

Yくんは同級生の中でも微妙に浮いていた。話す内容がサッカーの事ばかりだからだ。

もちろん、僕もサッカーなんて興味もなく、ルールも知らないからYくんの話には全く興味がなかった。

しかし、ちゃんと聞くフリだけはしてあげていた。だからなのか…Yくんは僕がサッカーが好きだと思っているみたいだった。

スペインの選手は~
フランスの選手で~
ウルグアイの選手は~

これがずーーーーっと続くのだ。Yくんは特にウルグアイが好きだった。ウルグアイの選手の話をする時はキラキラしていた。ワールドカップの時はウルグアイの国旗を羽織って授業受けて怒られたりしていた。



そんなサッカー大好きなYくんは実家がクリニックをやっていて、仕方なく医学部にやってきたのだ。自分は医者にはなりたくないと常々言っていた。

にしても…実家の財力がある人たちは、僕にいろいろなものをご馳走してくれた。大親友のSくんも、このYくんもご飯に行ったらいつも奢ってくれていた。

Yくんに関してはSくんと違って変な強要が無いから、とってもありがたかった。僕からしたらサッカーの話を聞くだけで美味しいごはんが食べれる良いバイトだ。

しかし、その日は違っていた。

大学4回生の春だった。

京都は春でも十分蒸し暑い。そんな蒸し暑い日に王将に行った。その日のYくんは最初からチューハイを頼んで飲み始めていた。普段はそんな事ないのに、なんか今日のYくんは荒れているように見えた。

僕はラーメンの餃子セットを頼んで、黙々と食べていたけど…何かある雰囲気は感じ取っていた。

Yくん「この夏で部活引退なんだ…」

王将のやたら濃いチューハイを飲み干して彼は言った。

もっとスゴイ悩みが出るのかと思ってけど、そうでもなくなんか拍子抜けした気がした。

Yくん「それで、この夏はサッカーに集中したいんだ…勉強なんかしてる場合じゃないし、今しかないし、後悔したくないんだよ!!」

彼の情熱はすごかった。医学部で勉強なんかしてる場合じゃなかったら何をしてる場合なのか…

Yくん「親に言ったらめっちゃ怒られてさー。ちゃんと勉強しろって言ってきて、なーーんも理解してくれないんだよ!」

あー。それで今日はなんか荒れてるのか…

Yくん「留年しようかな…」

えっ…サッカーのために?部活でサッカーするために?

Yくん「それくらい本気!それで、とりあえず留年しないように頑張るけど、なんとかサポートしてくれない?」

サポート?

Yくん「そうそう、とにかく勉強のサポートして!ノートとか試験対策とか実習とか宿題とか!」

えっ…全部やん…。自分の勉強でも精一杯なのに、人の世話までするのは…かなり荷が重い…。

Yくん「お願い!なんでも、好きなの食べていいから!」

あっ…やられた…Sくんの時に学習していたのに…タダより高いものはないんだ…みんな見返りもなく人に施しをしたりしないんだ!なんで、なんでこんな簡単な事を学習しなかったのか。

Yくんは直接的には言ってないが、今まで飯を散々食わしてやっただろって雰囲気を醸し出していた。

ただ、無理だ…4回生にもなって科目はさらに増えて、やる事もいっぱい!なんてもんじゃないんだ…自分が潰れてしまう。

僕『さすがに…人のサポートまでは…』

Yくん「鶴でも恩返しできるんだから、頼むよ!!」

僕『わかった…なんとか、頑張ってみる…』


今まで散々Yくんの金で飲み食いしてきたんだ。これを今清算しなければ、今後何を要求されるか分かったもんじゃない。やはり人に貸しなんか作ってはいけないのだ。


それからの僕はすごかった。春から夏にかけて飛躍的に成績は上がった。毎日毎日深夜まで勉強して、人一倍実習も頑張り、授業もしっかり聞いた。

その間、Yくんはサッカーに集中して、授業中は寝てるかサッカーの事を考えているようだった。そんな彼に授業の要点や試験対策ノートを作って説明したり、過去問を調達してきたり、同級生で優秀な子に分からないとこを教えてもらっては、それをYくんに教えた。

そんな事をしていたら、そりゃ自分の成績が上がるのは当然だった。自分でも驚いた。今まで僕の成績もパッとしなかったが、なんか勉強のコツを掴んだみたいだった。

人に説明する事で余計に理解が深まったのかもしれない。

そういう意味ではYくんに少しだけ感謝している。


そんな激動の夏が終わり、彼は無事にサッカーで燃え尽きたみたいだ。引退試合も満足のいくもので、日焼けで真っ黒になっていた。

これで、これで後は勉強に集中してね…そう思って彼の夏休みの宿題を添削したものを返した。

そして、Yくんは医学部のサッカー部に入った。医学部のサッカー部の引退は6回生の夏。

僕はそれ以降、Yくんとご飯に行っても絶対に割り勘にしている。


そんな彼も無事に卒業ができて、今では立派な医者に…

ならなかった。

なんと、彼は医学部を卒業して医師免許を取得してから厚生労働省に入ったのだった。まぁサッカー選手になると言ってブラジルに行ったわけではないから、良かったのかもしれない。

Yくんが卒業して東京に行く際に、友情の証としてウルグアイの国旗を託された。

その国旗は今でも捨てられず、僕の部屋に飾られている。僕の部屋に来る人は必ず聞く。この国旗って何?と。その答えはこのnoteを読んで欲しい。






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