「いろはを数える時は登って。」
弱虫ペダルの、手嶋純太が初夢に出てきた。
純太は、凡人。努力で登る、自転車競技のクライマーだ。
彼が出てきたということは、
「今年はコツコツと、誤魔化しの効かない努力を積み重ねろ」というお告げなんだと解釈して
勝手に今年の抱負を「人より努力する」にした。
単純で当たり前の物事を、ちゃんとやる
という、前提が危ぶまれ続けた2020年の悪夢は
ようやく終わった。(年の区切りで、終わった気になりたいだけだけど)
去年はTwitterに非常に救われた。
ストレスを全て書いて発散した。
でも、本当はカッコ悪いから書きたくない。
特に、自分のアカウントは一応作家アカウントなので
愚痴の文字はノイズになる。
なので、今年はnoteに吐き出す事にする。
書くと落ち着くし、
キーボードでパチパチと
文字を打っていると気分が軽くなる感じがするから。
書く内容は、あまり重要視してないから
これから見つけていきたいとのんびり思ってる。
年始最初の映像作品は、
スマホに魚眼レンズつけて長回しで撮影した実写映像。
撮影は自撮り棒でやっていたから目立った。
車で通りかかった老人が、車を停めて声をかけてきた。
「カッコいいね!」と。
「はあ、」
「投稿とかしてるの?」
「はい。まあ」
「YouTubeやってる?」
「やってないです(嘘)」
「その棒、カッコいいね!どこで買ったの?」
「三百円コインズですよ」
と
適当に返事してたら、車を降りて寄ってきた。
「私は70歳なんだけど、YouTubeチャンネルでカワセミの動画とかアップしてるんだ。年甲斐もなく。中々観て貰えないね、YouTube。良かったらみてね!」と
チャンネル名の書いてある名刺をくれた。
『僕の作品動画だって、二桁の再生回数のばっかりだけど、
この人の”見て貰えない”という数の基準は一体いくつぐらいなのだろう』とぼんやり考えた。
ここは田舎だから、撮影が趣味らしき同類を見つけて嬉しかったのかもしれない。
「あとで見ますね」
といって別れた。
東京で、何度もやったやりとり。
懐かしかった。
皆、誰かに観てほしくて
名刺や名前を渡す。
その瞬間に、「特別感」を互いに味わい
ひととき、満足する。
大きな胃袋を満たすのは、大変な作業だけれど
ひとときでも満たせたら、嬉しいんだよな。
観る習慣、を作って頂けるくらい
配給する力が
自分にあるのか?
あの老人がいう「見て貰えてない数」より、自分の今持っている再生回数は
上だろうか、下だろうか。
そんなことはどうでもいい。
暗記したいと思っている般若心経の一節、を心の中で唱える。
あーだこーだ、楽なルート探してる暇はなく
ここからは手嶋純太にならって
「登るしかない」。
ノイズの無い見晴らしのいいとこまで登って、見たことない景色をみたいから。
2020年1月1日 ppp