見出し画像

【不純空想科学・BL小説】虹の制空権 第二部 3章 センベロ?


~半獣人×人造人間BL•SF小説~

油と脂で、さわると離れられなくなりそうなカウンターにノイルは肘をついた。
その肘に、ツァオレンの肘もくっつきそうだ。反対側の肘も、これまた隣の客につきそうでノイルは、みっちり詰まったサンドバッグみたいにはりつめた筋肉の塊の半獣人の肩をちぢこまらせた。
人間たちが、パズルのピースのごとく収まり、オレンジに煙った光に満たされるそこは、小さな立ち呑み屋だった。
客たちのざわめきとラジオからのスポーツ中継の絶叫は、やまぬ驟雨のようだ。
カウンターの中では、煙草をくわえた店主が鉄板に向かい、てらてら輝く肉をこてで炒めている。
おそろいの白いTシャツを身に着けて並ぶ半獣人ノイルと人造人間ツァオレンの前には、細かな水泡の浮かぶ琥珀のジョッキと、プチトマトが乗るサイコロみたいな冷や奴の豆皿があった。
「…ツァオレンさん」
ノイルは隣で煙を吐き出す人造人間に話しかけた。
「なに?」
「自分、こういうところじゃなくても、家でもご飯、食べれます」
周りの客たちの前にもたくさんの皿が並ぶが、とてもおなかが満たされるような量でも、品でもない。どれもこれも、ままごとのようだ。
「食べにきたんじゃないんだ。喋りにきたの。人間はこういう所でアルコールを飲むんだよ。で、喋るんだ。できるかぎり、くだらないことを喋れ。そうしたら、元気になる」
「…喋るのが苦手だったら、どうすれば?」
「得意とか苦手とかじゃないんだ。人間ってのはたいがい、喋るのが好きなもんだよ」
「…」
喋ろうと、マスクの下でいったん開きかけた口を、やはり、とじた。
喋るよりも、食べる方がずっと得意だ。ノイルは目の前の豆皿を太い指でつまみ上げ、マスクを引き下ろした。
無精ひげに覆われた口元が赤く裂け、舌が突き出ると、それ自体が生き物のように、さっと小さな冷ややっこを巻き取って、また口の中へ戻っていった。
この様子を目にしたカウンターの中の店主は、落としそうになった煙草をあわててくわえなおした。
「くだらないこと…じゃ、聞いてもいいですか?」
「さっきからずっと聞いてるよ。俺には聞かない方が難しい」
ツァオレンはカウンターから手を外し、煙草の灰を足元へ落とした。この店は床全体が灰皿とされている。
まわりの酔客らは、自分たちの話に夢中だ。半獣人と人造人間のお二人様に気をとめる者はいない。
「…共同炊事場の、やかんのお茶って、飲んでもいいんですか?」
「いいよ。入ってればな」
「シャワー室って、使っちゃいけない時間ってあるんですか?」
「ないよ。空いてたらいつでも使え」
「うちのアパート、門限ってあるんですか?」
「門限は自分の心の中に持っとけ」
「掃除当番ってあるんですか?」
「汚れてるって思ったら、思ったヤツが掃除しろ」
「もし、部屋の鍵をなくしたらどうなるんですか?」
「鍵はなくすな」
「すみません、くだらないことじゃなくて、重要なことを聞いてしまいました」
「そうだね」
「じゃあ、本当に、くだらないこと、聞いてもらっていいですか?」
「いいよ」
「…いや、やめときます」
「うん、それでもいいよ」
ぐい、とツァオレンはジョッキをかたむけた。
人造人間の体はアルコールをすぐに分解する。喉だけは人間のように上下させ、あっというまにジョッキは空になった。
「いや、でも、やっぱり聞いてもらえますか?」
「さっきから、ずっと聞いてるよ」
「…あの、自分、あんなことしたのって、はじめてだったんですけども」
「なに?あんなことって?」
「だから、自分…ちゃんと覚えてないんですけども、その、誰かと最後までしたのってはじめてだったんです」
大きな毛深い両手で握ったジョッキの水滴を拭いながら、うつむいてもごもご喋っていたノイルは、ついに隣のツァオレンを見た。
濃い睫毛に縁どられる黒々と濡れた切れ長の瞳が心もとなく揺れ、傍らの相手へと視線を流し、顔色をうかがった。
そこにはアイシールドがなかったとしても、動揺のかけらも浮かべていない、いっそすがすがしい、人造人間の顔があった。

独り寝の夢の中でなら、誰かと体を重ねたことはある。
彼を招く誰かをとらえ、抱き、抱いて、抱いて、抱きしめて、押し開き、やがてその人はノイルの熱情を受け入れる。
だが、現実には、この半獣人の自分を受け入れる誰かが、何者かが存在するはずはなかった
まして、人間の女性など絶対にありえない。
まず、サイズ感からして釣り合わない。
実は、彼は獣人である父よりも、はるかに巨大な体格に成長してしまっていた。
記憶にない父だが、遺品の軍服を手に取ったことがある。獣人ながら、その功績から重要な式典に出席することも許され、軍服が仕立てられたのだった。
それは、小さな服だった。いや、人間と比べれば小さくはない。しかし、彼の体は到底入らない寸法だった。
父が、母と並ぶ写真も持っていた。父は精悍な人間の男に見え、小柄な母より頭ひとつ分くらい背が高かった。でも、その程度だった。
彼から見れば、人間の女など華奢すぎて、触っただけで壊しそうでおっかない。誰もかれも、ワレモノ注意と貼られているような存在だ。
そんなことの合意が得られるわけもない。傷害致傷だ。蛮行だ。
自分は、どうそそのかされようが、そんなケダモノの所業はしない。絶対にしない。
この街に出てきて生まれてはじめて仕事に就いたのだが、その職場で獣化してしまい、同僚女性に襲い掛かったことがある。まわりの男性職員らが総出で力づくで抑え込み、何とか未遂に終わった。
正気の時には絶対にそんなことはしない自分だ。だから、なおさら、獣化がおそろしい。
いずれにせよ、他の誰かと交わることは、到底無理とあきらめていた。
それが、ついに、本懐を遂げてしまった。
それだけならまだしも。
あろうことか、よりによって、この存在感の軽薄すぎる人造人間とは。
隣のこの男の、唇に絶えず浮かんでいる微笑みの、薄っぺらいこと。
後にも先にも、どんな夢にも出てこない相手だ。
大いなる罪悪感と自己嫌悪の裏に、落胆が、なくはない。
これが詩織ちゃんだったら、いや、詩織ちゃんでなくとも、もう少しましな誰かならよかったのに、とがっかりしてしている自分に気づき、さらにそんな卑しい自分が許せなくなるスパイラルにはまる。
「…あの、本当に、すみませんでした」
ゆるしがたい自分への罰として、ノイルはあらためてツァオレンに謝罪した。
「いいよ。別に、何かされたわけじゃないし」
「いや、何かしたでしょ」
「ま、何かはしたな、確かに」
「…恥ずかしいです。穴があったら入りたいです」
ノイルはうつむき、ジョッキをのぞきこんだ。
「確かに、穴があったら入れたいって風だったわ」
「はい…ええ!?どういうことですかっ!」
うろたえてツァオレンを見たノイルは、その後ろに立つ人間に気づいた。見覚えのある男だった。
「おい、ジンガイ、挨拶とかないの?」
男は、ツァオレンの肩をつかみ、振り向かせた。不快な呼気の匂いがした。
一人ではなかった。後ろに連れを従えていた。同じように赤らんだ顔の、穏やかならぬ風体の男らが4人、狭い店内に立っていた。
男たちの細かな体の揺らぎに、ノイルは剣呑さを感じ取った。
「おれの金、抜きやがってさ」
後ろの男もツァオレンの前に顔を突き出した。
「泥棒だよな。もう、お前なんかとやらねえぞ、いいのかよ。煙草、買えなくなるよな」
ノイルの喉に一気に嫌悪感が込み上げた。
思い出した。それは、はじめてツァオレンの部屋を訪れた時、彼にまたがっていた男だ。ツァオレンの「客」だった。
「あのお金は、約束してた分でしたよ」
ツァオレンの答えは丁寧で優しく、場違いだった。
「仕事してねえのに、金取っていいわけないだろう!ああ!?金の分だけ、働けよ」
顔を突き出してきた男が唾を飛ばした。
「あやまれや、こら。調子乗るなよ、ジンガイが。ま、今回は許すからさ、土下座しろ、ここで」
「いつも、すぐしてんじゃん、土下座」
後ろにいた顔色の悪い男が笑い声をあげた。
ツァオレンは短くなった煙草を足元へ捨て、ポケットから煙草の箱を取り出した。
「煙草なんか、吸ってんじゃねえぞ!」
男が煙草の箱を激しい勢いで叩き落とした。故意にか勢い余ってか、男の手はツァオレンの頬をはたき、アイシールドが飛んだ。
咄嗟にツァオレンは顔をそむけ、目元を手で覆った。
ノイルは慌てて床のアイシールドを拾った。24時間、同居相手が装着しているアイテムだ。
人間たちの嘲りを浴び、カウンターの小さな椅子に収まっていた人外は流れるような動きで立ち上がった。
一瞬、男たちの笑い声が、しんと止まった。
(第二部 4章に続く)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?