ケンムンを探す旅 @29 2017.10.27 ~ 10.30
Facebook に投稿した「カケロマ日記」を、なるべく忠実に再現したいと思います。なのでところどころ方言表記もありますが、敢えてそのままにしときます。方言がどういう意味なのかを想像しながら読んでくださいね。ただ誤字脱字等は訂正しておきました。
果たしてケンムンとは会えたのか。それとも・・
カケロマ日記 ①
10月27日 12:00 加計呂麻島に上陸
宿泊予定の「来来夏ハウス」から2日前に電話があった。「台風の影響で諸鈍シバヤはさっき中止が決まりましたよ、どうしますか?」「もちろん行きます」わんは即答した。
諸鈍シバヤを観られないのは残念だが、わんにはもうひとつの目的があった。ヤマケンが遭遇した加計呂麻のケンムンに、わんも会いたいのだ。シバヤが中止になって、ケンムンたちもさぞや寂しがっていることだろう。そしてまもなくやってくる台風・・わらぶんきゃをわやくっくゎ出来ないケンムン君は、きっとわんを誘ってゆらいに来るに違いない。焼酎と紙コップとゴザもちゃんと用意している。
さてさて、この3日間でケンムンはわんに会いに来てくれるだろうか。ただ、気張ってはいけない。キバるとケンムン君も警戒するだろう。すべてはケンムン様の赴くまま、気の向くまま、自然の流れに身をまかせよう。そう、テゲテゲに。
行きたいとこは沢山あるが全くの無計画。なにしろこの台風のなか、加計呂麻島に来たこと自体が無茶というものだ・・
カケロマ日記 ②
13:50 花富
ここに1番最初に来たかった。嘉義丸のうたを復元した唄者の朝崎郁恵さんと、その原曲を作ったお父さん辰恕さんのシマだ。
まさかとは思ったがちゃんと家が残ってた。もちろん今は誰も住んでおらず畑も荒れていた。墓所も探したが、辰恕さんのお墓はここにはないらしい。
カケロマ日記 ③
15:00 伊子茂
花富へ向かう途中に「西家の石垣」という看板があったので帰りに寄ってみたら、なんと琉球石垣ではないか。
秋名の琉球石垣ほど立派ではないが、これもちゃんとした琉球石垣だろう。ただ残念なのは奥にいくほど積み方が雑になって、最後の方はもはやただの「野積み」になっている。これはやはり島っちゅのテゲテゲ手抜き工事か、それとも後から補修で積み直したのだろう。
門から中に入ると、荒れた庭にボロボロではあるが立派な屋敷があった。武家屋敷か、それとも部落の富豪者の屋敷か。 雨戸を開けるとすぐに廊下があって、その奥に「オモテ」があって、脇に「トゴラ」があって、と奄美独特の家構えを想像する。もちろん雨戸を開けるわけにはいかない。
それにしても、こんな短期間に2つもの琉球石垣に遭遇するとは。だから行き当たりばったりの旅は面白い。ふと気がつくと、降り続いていた小雨と強風が花富と伊子茂ではピタリと止んでいた。ケンムンの気配はまだしない。
カケロマ日記 ④
23:00 生間「来来夏ハウス」
雨は降っていない。天を見ると雲もない。ただ、風が吹き荒れている。焼酎をもって浜におりたがあまりの強風・・10分で断念した。この2本の焼酎はケンムン君に会うまでは封を切らない。わんはそれまでビールで我慢する。もともと焼酎あんまり飲まないけどね。
真っ暗なベランダに出てひとりビールを飲みながらケンムン君を待つ。海の向こうには名瀬の灯りが見える。名瀬はこうして見ると大都会です。わんが気付かないだけで、ケンムン君はもう既にわんのすぐ後ろでニタニタ笑いながら、一緒にあの海の向こうの大都会を眺めているのかも知れない。
明日は姿を現してくれよ、ケンムン君
カケロマ日記 ⑤
2日目 10:00 諸鈍
引いていく白い波の軌跡が美しすぎる。
カケロマ日記 ⑥
2日目 12:00 呑乃浦 震洋隊基地跡
台風は徐々に強くなってくる。浜におりると震洋艇の格納壕があるはずだが、この雨風の中では浜におりれない。山には弾薬庫の壕もあると思うがそこにも行けず。艇は炸薬を積んで敵艦隊に自爆衝突するためのものだ。敵の目につきにくい大島海峡沿いには、こうした格納壕や弾薬庫の跡がいくつもあるそうだ。
その震洋隊長だった島尾敏雄の文学碑もここにある。誰かが「死の棘」は重いと言ってたが、島尾敏雄はまずこれを最初に読んでみたかった。まだ数ページしか読んでないが・・確かに重い 笑
カケロマ日記 ⑦
2日目 13:30 西阿室
安脚場の戦跡へは崖崩れのため最初から行くのは断念していた。三浦のマベパール戦跡も入口がわからず断念。朝のうちは割とおだやかだった天候が次第に荒れだし、もう嵐になっている。小さな崖崩れが3ヶ所、海岸沿いは横なぐりの雨と強風。
そして西阿室に着くと川が氾濫していた。今日ここに泊まるのだが大丈夫か? ケンムンの気配はまだしない。しかし、ケンムンの棲み処っぽいガジュマルの木は発見した。
カケロマ日記 ⑧
2日目 18:00 西阿室にて
荒れ狂う風の音が心地いい。昨日は気持ちが昂ってなかなか寝付かれなかったが、今日はゆっくり眠れそうだ。でも、寝不足くらいの状態がケンムン君もわんの中に入りやすいのかも知れない。
わんもヤマケン同様、霊感とは全く無縁の人間で、これまでケンムンはおろか幽霊さえも見たことがない。しかし、今回のこの加計呂麻の旅では何故かケンムンに会えるという妙な確信があるのだ。その根拠は、と聞かれても勘としか答えようがない。わんの勘はたいがい外れるけどね・・
そして実は、不思議な出来事は昨日のうちから既に起こっていた。
最初に行った花富を投稿して、その後わんはすぐ隣の伊子茂へ向かったのだが、その投稿の位置表示がなぜか「神奈川県茅ヶ崎市」になっていた。仕組みがよくわからないけど、これ自動で表示されるの?(チェックインは自分で選択して加計呂麻にした)
そして生間の宿でビールを飲みながら休んでいたら、友からメールが来た「きのう加計呂麻の海で水死体が上がったので気をつけて」と、そのニュース記事も添付されていた。
読んでみると、水死体が上がった海は昼に行った「伊子茂」の海で、亡くなった人は「神奈川県横浜市」の人だった。伊子茂の海のすぐ近くで投稿したわんの場所が「神奈川県茅ヶ崎市」と表示され、その前の日に伊子茂の海で亡くなった人が「神奈川県横浜市」の人だったのだ。
伊子茂のケンムン君がわんの投稿にいたずらしたのか? そして、伊子茂から生間まで付いてきたケンムンは、昨日は姿を現さなかったが、だからわんの後ろでニタニタ笑っていたのか? 何かが繋がっている。何かが起ころうとしている。ヤマケンもケンムンに遇うまでに、こんなような不思議なできごとが繰りかえしあったのだろう。
この「神奈川県茅ヶ崎市」の表示、消し方がわからないが、たぶんこの加計呂麻島を離れた時には消えているんだと思う。
つづく。
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