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#8 こぶしの中にあるもの

いったいどれ程の時間ぼくはハンドルを握り続けていたんだろう。握り締めていたこぶしを、今、静かに開いてみた。あのとき出会ったすべての人の感情が今もこの中に残っている。手の平からあの日のすべての感情が生々しく甦る。そしてその感情たちは記憶としてではなくぼく自身の感情となり、手の平からぼくの体の奥深いところに、細胞の一番深いところに沈殿されていく。

 
2011.03.11

 
夕方、ひとりの女性が乗ってきた。女性は後部座席に座るとすぐに電話をかけ始めた。「 泣かないでひろしちゃん、しっかりして、あなたが泣いちゃだめよひろしちゃん 」電話を切った女性は手にしたケイタイを見つめ、フーとため息をひとつつき、そして今度は自分がワッと泣き崩れた。

たぶん被災地にいる我が子を励ましていたのだろう。ラジオからはひっきりなしに速報が流れている。街は騒然としている。女性は大森に着くまでケイタイを握り締めながら泣いていた。
 

夜8時、麻布から乗ったサラリラーマンの行き先は千葉の佐倉だった。高速道路はもちろん通行止め、下の国道は渋滞がどこまでも続き、車は人が歩く程のスピードしか進まない。千葉方面へ向かう湾岸道路の信号はすべて消えている。照明のない真っ暗な歩道には、何人もの帰宅難民が下をうつむき行列をなし、幽霊のように腕を垂らしてゆっくりとゆっくりと歩いている。

舞浜近くの道路はアスファルトに皹が入り、その割れ目からは黒くドロドロになった液体が噴き出していた。溢れる液体は、固まることなくアスファルトを埋め尽くしている。たぶんこれが液状化現象というものだろう。歩き続ける人たちはその黒い液体など見もせずに、うつ向きただひたすら歩いている。

小便をするため車を降りたサラリラーマンは、用をたすと数メートル先に進んでいるぼくの車に戻ってきた。小便の間もその程度しか車は動かないのだ。ラジオからは安全を呼び掛けるアナウンスが幾度も流れ、ぼくとサラリーマンは何も喋らず、ただその緊張したラジオの声だけを黙って聞いていた。

結局、麻布から佐倉まで8時間かかった。車中、会話らしい会話もなかったが、ふたりはもう同志だった。ぼくとサラリーマンは互いの手をしっかりと握り合い、そして別れた。
 

車をUターンしてさて戻ろうかとしばらく走っていると、反対車線の歩道に座り込んだ男が手を振っていた。ぼくは慌てて再度Uターンしてその人を乗せた。どうやら男は都内からここまで10時間かけて歩いてきたらしい。家まではすぐそこだけどもうこれ以上歩けない、どうか乗せて下さい、と。

ぼくは「メーターは入れますけど料金はいりませんからね」と言って男の家へ向かった。なるほど、家までは確かに1キロもない距離だった。本当にありがとうございました、と男は涙を拭った手で1000円札2枚をぼくの手の平に乗せた。ぼくは湿った紙幣を握り締めた。


それが、ぼくにとっての3.11だった。
 

それぞれの3.11があり、それぞれの痛みがあると思う。しかし、人の痛みを人は知ることはできない。痛みは本人にしかわからないものだ。でもその痛みに寄り添うことはできると思う。握り締めたこぶしにそっと自分の手を添えることはできると思う。あのとき、手の平から滲みてきたこぶしの中のものは、もうしっかりとぼくの体の一部になっている。



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