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癌と寄り添って生きていく


麻酔から醒めた。
右腕から延びている点滴の管から透明な液体が、ポタリとおちた。硬いベッドの上で仰向けになり、目の前で静かにおちる透明なものを見ながら、僕は7年前に観たあの映画を反芻していた。


2つ目の窓
 
まず、冒頭の海のシーン。轟々とうねりながら押し寄せてくる巨大な波、爆音と一緒に堤防をも砕かんばかりの勢いで迫ってくる波、波、波、・・・・ 圧巻の波
 
画面が真っ暗になった。
 
シーンが変わり、カミソリを手にした爺さんが、逆さまに吊るされた白いヤギの前に立っている。爺さんはおもむろに逆さになったヤギの首にナイフを入れ切り裂きだした。滴るヤギの真っ赤な血は下に敷かれたゴザに落ちてゆく。そのゴザの上を小さなカニがゆっくりと歩いていく。
 
雲の間から大きな満月が顔を出した。浴衣を着た島っちゅたちがチヂンを叩き、シマ唄をうたい、八月踊りを踊っている。ただひたすらに、いつまでも、叩き、うたい、踊りつづける。
 
この始まりの3つのシーン。これだけで奄美大島の全てがそこにあった。
 
「ヤギの血抜き」は内地っちゅからしたら残酷極まりないかもしれないが、自然界の尊いイノチを喰らって我々ニンゲンは生かされているんだという、大自然とイノチを尊ぶいわば奄美大島の儀式のようなものだ。島っちゅはヤギを愛し自然を愛し、大自然の中でヤギのイノチをありがたく頂いている。冒頭と中盤にも登場する血抜きの儀式は、この映画の象徴なのだと思う。
 
そして奄美大島の象徴といえば、激しく照りつけるティダ(太陽)だ。しかし、そのティダは杏子の母親が見上げたガジュマルの樹の枝葉からこぼれるわずかな陽射しだけで、そのわずかな陽射しだけでもかなり強烈なのだが、本当のティダはガジュマルの向こう側に隠れている。逆にティダよりも印象的なのがお月様だ。冒頭の八月踊りの時にでた満月、昼間でも見える白い月、いろんな場面に月がでる。太陽は「生」であり「動」であり、月は「死」であり「静」であり、海は「動」であり樹は「静」だ。
 
杏子の母親が息絶えるとき、シマの人たちはサンシンを弾き、シマ唄をうたい、八月踊りをはじめる。そこには「生と死」も「静と動」も同居している。母親が死んだあと、外の風が少しずつ強くなっていく。やがてその風は台風となり、ガジュマルの樹を揺らし海を荒れさせる。「死と動」さえもこの世界は同居しているのだ。台風が去り「静」の世界にもどった。荒れたガジュマルの枝を重機で伐採していくと、そこに初めて眩いばかりの光を放つ本物のティダが顔をだした。でもそれもほんの一瞬で、またすぐに月が登場する。しかし、その月は満月ではなく半月よりもやや膨らんだ月だった


「2つ目の窓」を観た1年後、僕は故郷の奄美大島に戻った。一度あの島を離れ、大嫌いだったあの島を捨て、ニつ目の窓から故郷のあの島を見ていた。そして故郷に戻り三つ目の窓を開けた。故郷は変わらずそこにあったが、あの時、少年の時、ひとつ目の窓から見た奄美大島はもうそこにはなかった。大嫌いだったこの島をもう一度ひとつ目の窓から見るために、僕は島の隅々を歩いた。

決して変わらないものがあり、少しずつ変わりゆくものがある。そして、失うものがあり新しく得るものがある。これまで半世紀以上生きてきて、失ったものの方が得たものよりもはるかに多いような気がする。でも今、失った代わりに新しく得たもの、新しく僕の中に入ってきたものは、全てがかけがえのないものだ。だからこそ、そのひとつひとつを大事に堆積したい。

 
 
奄美に戻って3年目、つまり3年前の2018年の秋に僕は膀胱癌を患った。

上皮質癌なのでステージ0のほんとに低レベルの癌だ。痛みもなければ、手術も表面のガン細胞を取り除くだけの簡単なものだった。でも痛みがなく自覚症状がないということは、再発しても気が付きづらいということだ。なので3ヶ月毎の検査が必須になるわけで、この3ヶ月毎にくる憂鬱の方がよっぽど辛いものがある。

この部位の癌の再発率は50~70%と非常に高い。実際、今回で2度目の再発だ。もはや癌の摘出手術は僕のライフワークとなりつつあるようだ・・・。でも、今でこそこんな冷静に構えていられるが、癌についてなんの知識もなかったあの時、癌を告げられた時の動揺はかなりのもんだった。

3年前、最初の手術が終わり入院生活は1ヶ月に及んだ。それが長いのか短いのかはわからない。1ヶ月後、見上げた空は12月だというのに夏のように眩しかった。変わらずそこにある大自然。高い天は真っ青に輝き、吹く風も匂いも纏わりつく空気も、なにも変わらない。ただ太陽の光線だけが眩しくて、それは変わりゆく僕の体と意識を強く射した。


いつ再発するかわからない、いつ上皮質から筋肉層に癌細胞が侵入してくるかわからない、いつ循環器を侵してくるかわからない。それが必ずしも死に繋がるわけではないが、死は常に僕に寄り添うようになっていた。別に四六時中それを意識しているわけではないが、もう僕の深いところに死はしっかりと根を張っている。四つ目の窓を開けると、そこから死がいつも僕を見ている。そしてその先には巨大な奄美大島がある。

僕も奄美大島も、そしてニンゲンも自然もすべてのものは死と背中合わせで、死と生は常に同居している。静かに、時に激しく、太陽と月のように、白い波と赤い血のように、静かに激しく脈をうち、それは変わることなく奄美大島と僕の中にある。



というわけで、今回の癌退治も無事に終わりました。入院はほんの1週間、20日までゆっくりここで療養したいと思います。1回目の再発が術後9ヶ月目、今回が18ヶ月目、たぶん次回の癌ちゃんのお目見えは36ヶ月後になるだろう。可愛いガンちゃん、また3年後に逢いましょう。



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