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クロコダイルへのこだわり。


序章

我が家では、少し前まで『アカメカブトトカゲ』という、小型のトカゲを飼育していた。おそらく、飼育期間は約5年ー・・・一般的にあまり丈夫ではないと言われているこの種の生き物を飼育下で5年以上生かしてあげられたのは、その子が丈夫だったのか、それとも私が爬虫類飼育にある程度慣れてきていたからなのか、それはまだわからないでいる。

トカゲ飼育のはじまり。

トカゲという生き物と最初に縁ができたのは、数年前、私が体を壊してしまい、とあるサービス業を退職して自宅療養していたときのことだった。ある日、用事があって出かけようと思い、玄関の扉を開けたその瞬間、・・・一匹のカナヘビの子供と出会う。気温もかなり下がり始めた、冬の始まりだった。

当時私は爬虫類がとても苦手で、「なぜこの子がここにいるのか」「いったいどうしたらいいのか」と、少々混乱してしまい、一度家の中に戻って考え事を始めてしまう。そして、「苦手だけど・・・でも、放っておいたらあの子はまもなく寒さで死んでしまう。助けられるかどうかわからないけれど、保護してみよう」と思い立ち、買い物にでかけたついでに必要なペット用品をかき集めた。

トライアンドエラーの毎日。

そこからは『はじめて』の連続だったので、エサは何がいいのか、温度はどれくらいを保てばいいのかなど、わからないことが出てくるたびにネットで情報を漁った。そうして飼育にも慣れてきたころ、少しずつその幼体が大きくなり始めて、私は自分の心が安定していくのを感じていた。

ちなみに、このカナヘビの子を保護するにあたって当時実家に電話したときに(念のため)報告をしたわけだが、ものすごい反発を食らったのを覚えている。まず、「理解不能」とか「意味不明☆」などというようなことを言われたのは間違いない。私もなぜその子を飼育しようと思ったか、よくわからなかったし、ただ・・・わかっていたのは「あの場面で放置していたら、あの子は確実に命を落としていた」ことだと思う。

死別の悲しみ。

実家からなかば変わり者扱いされつつも、『カナちゃん』と名付けたそのカナヘビの世話をするのは私の日課になり、いつしか外出先から戻ってその小さな生き物の様子をうかがうのが一つの楽しみになっていた。

しかし、それはほんの数か月ー・・・やはり生粋の野生の生き物、えさの与え方がよくなかったのか、温度、湿度管理ができていなかったのかはわからないが、ある日突然体調を崩し、カナは天国へ旅立ってしまう。もともと小さな子供だった、体力もそんなになかったのであろう・・・と頭で理解しようと試みるも、やはり心は大変なショックを受け、私はしばらくの間ペットロスに陥ってしまった。

運命の出会い。

少し気持ちが落ち着いてきたころ、ふと「ペットショップに行ってみようかな」と思い立つ。理由はよくわからない。今考えてみると運命だったのかもしれない。現在は閉店してしまったそのショップで、私はある意味奇蹟的な出会いを果たす。『アカメカブトトカゲ』ーcrocodile skinkーと呼ばれる、まるで小さな怪獣のような生き物に一瞬で目を奪われ、飼育を開始することに決めた。わずか20センチ弱の体には少しアンバランスなゴツゴツしたその背中と、あざやかなオレンジで縁取られた大きな瞳がとても魅力的だった。

爬虫類の飼育は『初めてではなくなっていた』ので、温度や湿度の管理など、ある程度のことはわかるようになっていた。しかしこのトカゲ、はっきりいってものすごい引きこもりさんである。とにかくシェルターから出てこない。餌を与えれば一応食べてはくれるのだが、すぐにまた隠れ家に戻ってしまう。

いろいろブログを読み漁ってみたが、皆さんおっしゃる通り「まるでシェルターを飼育しているようだ」と。『陰気なトカゲ』・・・確かにな・・・と、横目でシェルターの奥に隠れて動かない(しかししっかりと生存はしている)小さな生き物を、ため息交じりに眺めたものである。

調べてみたところ、どうやらあまり人前に姿を見せる種ではない、とのことなので、無理せずストレスを与えないよう、気長に飼育することに決めた。彼女が自らシェルター外に出てきたのは、飼育を始めて1か月を過ぎたころのことのように思う。私もそれまではひたすら「刺激を与えないように」部屋を少し暗めにして、できるかぎり見ないようにして気をつかいながら過ごしていた。

小さなパートナーのいる日々。

外に出てくるようになってからは、『クロコさん』との長い付き合いが始まる。外出先から戻ってくると私の顔を確認してお出迎えしてくれる。-この種はそんなに積極的ではなかったはずだが?と思いつつも、とてもうれしかった。私のTwitterアカウントが@chi_crocodileとなっているのも、この子の名前の一部に由来している。それほど、私はこの小さな生き物を溺愛していた。

出かけるとき、特に宿泊を伴うようなときはエアコンでの温度調整を忘れずに設定し、自分の体調管理もそうなのだがまずクロコさんありきの生活となっていった。この子は状態もとてもよく、えさも喜んでよく食べてくれてまるまると太っていたので、私は安心して飼育することができた。今考えてみると、彼女がたまたま丈夫な個体だっただけであり、その生命力に助けられていた部分はかなりあったと思われるが。

飼育年数が経過するにつれ、彼女の存在は私の精神安定剤的な役割を果たすようになり、依存はしないまでもなくてはならない存在になっていた。このころには実家の家族も諦めモードに入っていたのか、あるいは私が飼育しているこの個体に興味を持ち始めたのか?いろいろと話を聞かれるようになり、一定の理解を得られたことに対して私はとてもうれしく思っていた気がする。

ふたたび死別、そしてペットロス。

小さなドラゴンと呼ぶにふさわしいその生き物は、およそ5年間もの間、私に大きな癒しと安心感を与えてくれた。しかし飼育を始めたころから成体だったと思われるため(体がかなり大きかった)、「あとどれくらい生きるのだろう」と考えてはいたが・・・いつしか彼女の鱗につやがなくなりはじめ、だんだんと元気がなくなっていった。

できるかぎりのケアはした。しかし、気づくのが遅かったのだろうか。弱り始めてからは餌を食べなくなるまでがあっという間だったように感じる。生き物は餌を食べなくなったら長くはない、と思っているので・・・私はその時、クロコさんとの死別を覚悟した。

そして、彼女は本当に静かに息を引き取り、-私に迷惑をかけることなく旅立っていった。最期まで、よくできた子だったと今でも思う。春を目前に控えた、ある寒い朝のことだった。急激な気温変化に耐えられなかったのだと思う。あの日、暖房はフルで使っていたし、できる限りのことはしていたので、それは彼女の寿命だったと受け入れている。

いろいろな思い出があり、今でもその生き物のことは忘れたことがない。なので、私はまだTwitterのアカウントをそのまま『crocodile』のままにしている。執着しているわけではないが、様々な気づきと新鮮な驚き、生きていることへの感謝を教えてくれたこの生き物に対する、ある意味リスペクトのような感情があるのだとおもう。

これが、私のTwitterアカウントの名前の由来である。たぶん、いろいろと落ち着いてきたらまたどこかで出会うのであろう。その種の生き物と。なので、時間を見つけてはイベントの情報収集をし、飼育用品も処分はせずにきれいにしてとってある。

あの子の死を、どうやって乗り越えたのかは自分でもよくわからない(まだ乗り越えてはいないかもしれない)。当時は自責の念に駆られて相当落ち込んだし、一緒に過ごした時間が長い分、立ち直るまでにかなりの期間を要したように思う。・・・やっぱりまだ、完全には立ち直っていないかもしれないな・・・

しばらくのあいだは、ケージも片づけることができず、彼女が生活していたその空間を眺めてはぼーっと考え事をする日々が続いた。それほど、ともに生きてきたパートナーを喪った衝撃は大きかった。

きっかけはたぶん、本当に些細なことで・・・ある日ふと「片づけよう」と思ったのだろう。それは、単に気持ちの整理がついた、とかそんな簡単なことではなくて。でも、いつまでも同じところで立ち止まっていないで、次にいかないと、と思ったのかもしれない。心は傷ついたままだけど。

実はまだ、同じ種類のトカゲの画像を見ると心が痛む。かわいいし、また飼いたいとおもう。人生は短い。立ち止まってはいられないから前に進みたい、ーうしなった悲しみよりも、少しだけ前向きな、そんな気持ちの方が勝ったのだと思う。

新たなご縁を探して。

ドラゴンの子供、だったよなあ・・・」いまでも、クロコさんの姿を時々思い出しては、そのように思っている。家に慣れてからは本当に活発な、それこそ、ダスキンさんが来てもまったく臆さないような子であった。むしろ、ダスキンさんを威嚇する勢いさえあった。また、隙あらば脱走を試みようとするのでヒヤヒヤしたことも一度や二度ではない。まるで忍者のようだった。引きこもりはいったいどこへ?

今までに何度かイベントでその種のトカゲと遭遇しているので、また落ち着いたら出かけてみようと思う。新しい出会いを求めて。

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