★読書愛好会(85)

哲学の授業で「教養とはなんですか?原稿用紙三枚以内にまとめなさい」という課題が出たので必死にレポートを書きました。

身近な人のことを考えると部長はかなり教養がある人だと思いますね。たくさん本を読んでいるし、知識が深くて幅広いです。

一方、父はあんまり教養がないです。(笑) 

でも、自分の仕事に関してはたいへん博識です。営業のプロなんだなあ、といつも思います。あまり教養はないけれど何らかの専門家として一流という人、世の中にはたくさんいるんでしょうね。

林マスターも教養がありますね。いろんな本を読んで常に勉強しています。話が非常に面白いし為になります。

杉並学院のゆかり先生も物知りですが教養人か?と考えると少々疑問が残ります。知識の深さ、幅広さはどうなのかなー、と。

博識と教養はちょっと意味合いが違いますよね。知性発達のゴールが博識なら、この世で知性No.1は百科辞典、あるいはGoogle社ということになってしまいます。物知り=知性の最終ゴールではないだろう。

そもそも僕は教養人になりたいんでしょうか。自己の知性の発達は熱心にやりたい。しかし、そのゴールは教養人なのか。

結局、教養という言葉の定義が曖昧だからこのような迷いが生じるんだと思いますね。教養は「教えて養う」と書きますので何らかの知識を得たあとに、それを牛みたいに何回も咀嚼して自分の頭で意味を考えて、自分の言葉で話せるようになる、自分の血肉にする、これが教養かな。

あちこちから名言を集めてきてそれをメモした時点で満足しているような偽の知識人は決して教養のある人とは言えないんでしょうね。「名言をたくさん知っている人」と「名言に賛同してその意味するところを日々実践している人」は明らかに違います。ファッションみたいに、自分を美化する道具に知識を用いるのは避けたいです。

いろんな知識を得るのはあくまで第一段階、それを深めていくのが第二段階、自分の言葉で話せるようになるのが第三段階、それを実践するのが第四段階、という感じでしょうか。

知識から見識へ。知識を血肉にする。知識を利用して新しい知識を生み出す。これを僕は目指したい。

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