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「誰かの先生になる」という覚悟

晴れて、研修医になった。
いよいよ、私の医師人生が始まる。
そんなキラキラした感情はものの数週間でズタボロになるのであった。


はじめて研修するのは【呼吸器内科】に決まった。
13年目くらいのベテラン医師2名が指導医だった。

一人は、仲間由紀恵似の美人女性医師。いつも冷静で優しくてすぐに私の憧れの先生になった。
もう一人は、口下手であまり目を合わせてくれない羽生棋士似の男性医師。それなのに、飲み会が大好きで飲むと豹変しすぐ脱ぐ。全裸でカラオケを熱唱するセクハラ野郎だった。
どちらの先生も、診療に熱くてとても好きだった。

(こんなスタートを切れる私は恵まれている。)

はじめて受け持つ患者さんを割り当てられた。
私の担当患者Aさんは原因不明の片側胸水の精査目的で入院した高齢男性だった。

研修医のはじめの頃は本当に使えない。
学生から肩書が”研修医”に変わっただけのほぼ素人である。
採血すらまともにできず、なんなら病院という場所に慣れるのに必死なくらいだ。
病院の独特の匂い、優しいのか性格悪いのか読めない看護師さん、聞こえてくる救急車のサイレン、、すべてに気疲れする日々。

家はただシャワーに入って寝るだけの箱。
滞在時間=睡眠時間ってくらいに、帰宅して速攻寝る→起きる、出勤。
けれど、周りもみんなそうだったし上級医はもっと過酷に戦力として働いていたから、帰って寝られるだけ恵まれていると感じていた。むしろ申し訳なく感じていた。

私はAさんに毎朝挨拶と診察をしに病室へ顔を出した。
それくらいしかできなかった、とも言える。
けれど私は、唯一医者らしいこの時間が一番嫌いだった。

「Aさん、おはようございます。くんぱすです。」
「、、、」
「眠れましたか?」
「、、、」
「胸の音聞かせてください。」
「、、、」
「ありがとうございました。」
「、、、」
「失礼します。」
「、、、」

早く部屋を出たかった。
やるべき診察だけしてそそくさと部屋を後にする私。
何も話してくれない無表情のおじいさんにどうしていいか分からず、できるだけ会いたくなかった。
(他の患者さんはもっとフレンドリーに話してくれるのに、、なんで、、)


初めての当直の日。
こんなときに限って心肺停止の患者さんが搬送されてきた。
救急隊が心臓マッサージをしながら患者さんが運び込まれてくる。
ドラマでみるあの光景だ。

(まじか、、)

大勢で取り囲み、処置台に移る患者さん。
何もできず邪魔にならないよう身をかわす私。

(なにか、なにか私にできることはないだろうか。)

真っ白に塗り替えられた頭の中で、必死に頭に入っているであろう心肺蘇生のプロトコールをほじくりだす。
頭と身体が全く連動しない。
処置はテキパキと進められ、隙をみて2年上の先輩医師へ声をかける。
「私にできることはないでしょうか。」

「そんなの自分で考えなよ!」

明らかに苛立った表情と声色で一蹴された。

慌ただしく行き交う医療者の中に、素人は私だけだった。



そんなある日、Aさんが初めて話してくれる日が訪れた。
不本意な形で、、


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