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お勧めする勉強方法1:自分の言葉で解説を書く

以前,ある学生と就職や留学や研究について話をしていたときに,研究者としての基盤を築くための勉強の仕方が話題になった.

自分の経験から,勉強方法は人それぞれで,自分に合った方法を見付けるのが良いと思っている.それでも,中途半端な知識しか身に付けられない人が少なくないのも事実なので,私自身が実践してきて,良いと確信している勉強方法を2つ紹介したい.

1つ目は「自分の言葉で解説を書く」という勉強方法だ.

理解した気になっているだけ

誰かが本を読んで何かを理解したと言っても,私はほとんど信じていない.その人が理解した気になったことは認めるとしても,かなりの確率で,それは理解したのとは別物だ.理解した気になるのは比較的簡単だが,本当に理解するのは難しい.そして,自分が理解したかどうかを見極めるのも難しい.実際,理解するとはどういうことかを理解していない学生は多い.もちろん,学生が企業人になったら自動的に理解するとはどういうことかを理解できるわけではないので,企業人でも勘違いしている人は多いに違いない.

論語の為政篇に超有名な章句がある.

子曰.由,汝に之を知ることを誨(おし)えんか.之を知るを之を知ると為し,知らざるを知らずと為す.是れ知るなり

由(ゆう)は孔門十哲に数えられる弟子で,字を子路(しろ)という.勇猛で質実剛健だが軽率な面もあったようだ.その由を諭して孔子が言ったのが,この言葉だとされる.自分が知っていることは知っている,知らないことは知らないと,きちんと区別できて初めて知っていると言えるのだと.

下村湖人,「論語物語」,講談社,1981
論語の本は解説も含めて数多くあるが,この下村湖人の著作は「物語」として論語が書かれていて読みやすい.オススメ.

テストで合格なら十分というわけではない

大学受験も含めて,合格すればよい(単位が取れればよい)という基準で勉強してきた(している)人は多いだろう.しかし,そういう基準だと,何事についても完全に理解する必要はなくて,要するに8割くらい理解すればいいのでしょ,ということになる.

これを全否定はしないが,そういう中途半端な勉強で得た知識は,研究も含めて,ここぞというときに役に立たないかもしれない.徹底的に理解したものでないと,その先へは進めないからだ.

では,きちんと理解するためには,どうしたらいいのか.

自分の言葉で解説を書く

私の場合,何かを勉強するときには,それについての解説を自分で書く.本を読んで理解した気にはなれても,きちんと理解できていなければ自分の言葉では説明できない.理解せずに解説を書こうとすれば,必ず行き詰まる.もし行き詰まらないとしたら,根本的に自分の言葉に対する理解と責任感がなさすぎるのだろう.そこまでレベルが低い状態は,ここでは対象から外しておく.

何かを勉強して身に付けたいなら,解説を自分の言葉で書くのがよい.

私自身,どうして勉強のために解説を書くようになったのかと思い返してみると,私が修士課程在学中に,当時のボスが手書きした解説資料をいくつか見たからだと思う.なるほど,このようにして勉強するものなんだと感じたのだろう.あるいは,そのボスから,解説を自分で書くようにと諭されたのかもしれない.記憶が定かではないが,とにかく,修士課程在学時以来,いくつもの解説資料を作成してきた.

先の学生に見てもらおうと,書き溜めた自作解説を机に並べたところ,「固有値とジョルダン標準形」とか,「微分方程式と特性曲線」とか,「カルマンフィルタ」とか,「フィードバック制御下でのシステム同定」とか,大昔に書いた懐かしい自作解説が出てきた(トップの写真).他には,分析機器の使い方をまとめた自作マニュアルなども.

もちろん,解説記事を書くのは簡単なことではない.理解したつもりになっていても,いざ書こうとすると,書けない.きちんと理解していないからだ.その都度,解説書を読み,それでもわからない部分を他書で調べ,微積分や線形代数などの数学書にまで遡り,何とか事典や何とかハンドブックを所狭しと広げて,徹底的に突き詰めて考える.無茶苦茶時間がかかる.でも,そうして初めて,なるほど!と腑に落ちて,自分の言葉で説明できるようになる.

このように解説資料を作成していくことで,様々なことを自分なりにきちんと理解することができて,そして何より理解する方法が身に付いて,研究者としての自分の基盤が形成できたと思う.あの努力がなければ,研究は「砂上の楼閣」みたいなものにしかならなかっただろう.

そのようなわけで,学生には,自分の言葉で解説を書くことを勧めたい.

© 2020 Manabu KANO.

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