【ふしぎ旅】寝覚ノ床
「木曽路はすべて山の中である」
島崎藤村「夜明け前」の一節であるが、まさしく木曽川の傍ら、国道19号線は山の中を走る。
そんな中、やけに河原の石が大きいなと思いながら行くと、当然異様な風景が現れる。
切り立った岩に囲まれ、上流だというのに穏やかな水面。
岩の色も白くなまめかしくどことなく自然の風景と言うよりは人工物のようにも見える。
近寄って見ると、小さな公園ほどはあろうかという岩原で、まるでどこかの庭園のようだ。
ここは、俳人正岡子規をして「誠やここは天然の庭園にて・・・・・・・仙人の住処とも覚えて尊し」と言わしめ、木曽八景の中で最も有名な、国の史跡、名勝天然記念物「寝覚の床(ねざめのとこ)」である。
この「寝覚めの床」の奥の方に小さな祠がある。
ここにはある有名な人物が祀られている。
誰であろうか。浦島大明神、そう浦島太郎が祀られているのだ。
実はここ「寝覚めの床」は浦島太郎が最後にたどり着いた土地という伝説がある。
こんな山奥に、なぜ浦島太郎の伝説が残されているのか、と不思議に思う方もあるだろう。私もそうであった。
浦島太郎は子供にいじめられていた亀を助け、そのお礼に、海の中にある竜宮城に連れられて、玉手箱を土産に帰ってきたら300年が過ぎていて・・・という話だったはずだ。
しかし、だ。この話では語られていない物語があるというのだ。
浦島太郎は竜宮城から帰ってきて、京都の「天の橋立」に降り立つ。
竜宮城から帰ってくると、彼を知っている者は誰一人としてなく、また我が家もなくなっていたので、そこに住むことも出来ずに、途方に暮れてあちこちをさまよい歩いたあげく、この木曽の山奥にたどり着いた。
木曽の山奥で、なんとなく釣りをしたり、村人に竜宮城の話をしたりして、フラフラと過ごしていたのだが、ある日、土産にもらってきた玉手箱を開けてみると、あっという間に三百才の老人になってしまい、ビックリして目を覚ました。
夢から目を覚ましたということで、ここを”寝覚めの床”というようになった。
京都から木曽の山奥にきた理由が「途方に暮れてあちこちをさまよい歩いた」というところにいい加減さを感じるが、その強引さが逆に真実がかっている気がする。
この浦島太郎が祀られている祠にいくまでは、かなり困難を要する。自分の背丈以上ある大石ばかりがある河原を歩き、最後は5m以上もある大岩を登らなければいけないのだ。
一般観光客で、ここまで来る人はよっぽどの物好きで、国道沿いの展望台から見る人が多いとか。つまりは私は物好きということだ。
さて「寝覚の床」で浦島伝説の跡をもっとも数多く残しているのが、「寝覚の床」の傍らにある「寝覚山臨川寺」だろう。
臨川寺の由来は、今から約1200年前のこと。
玉手箱を開けた後、どことも無く姿を消した浦島太郎。
はたして、その住居跡を見ると、竜宮城から授かってきた弁財天の尊像や遺品が残されており、これを祠に収め寺を建て、その菩提をとむらったのが始まりとか。
なるほど、してみると乙姫様は弁財天であり、いわば神様であったと。
その神の世界を訪れた浦島太郎がどのような体験をしてとしても不思議ではないわけだ。
浦島太郎にまつわるところとしてこんなものが寺内にある。
一見するとただの池だが、実は、この池、玉手箱を開けた浦島太郎が、この池の水面に写る老人を見て、自分が変わり果てた姿になったことに気づいたと言われている池である。その名も「浦島太郎姿見の池」
1200年も前にあった、こんな小さな池が現在に残っているとされているというところが面白い。
しかしこの臨川寺の私にとってのメインスポットは、「浦島太郎姿見の池」ではなく、この宝物館である。通常の寺の宝物館のように縁起絵巻なども展示されているのだが、それ以上に驚くものが、展示されている。
浦島太郎が使っていたという釣り竿である。これで木曽川の魚を釣っていたわけだ。浦島の大将とか釣りキチ浦島とか呼ばれていたかもしれない。
安達ケ原の鬼婆などもそうだが、いささか安易にすぎないかとも思う。
ともあれ、国の史跡名称天然記念物「寝覚の床」は美しい観光地であり、同時に怪しげな浦島伝説を残す所でもあり、一度訪れる価値はあるであろう。
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