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【ふしぎ旅】八房の梅

 新潟県阿賀野市(旧京ヶ瀬村)に伝わる話である

 昔、小島に佐五郎という正直な百姓が住んでいた。
 ある年、新発田の方からみすぼらしい姿の坊さんが、この村を訪ねてきた。
 村の人達は見向きもしなかったが、信心深い佐五郎は、この坊さんを呼び止めて家にあげ、お経を読んでもらい、説教を聞いているうちに、すっかり感激し信者になってしまった、
 この坊さんは、承元元年(1207年)の念仏宗教の弾圧によって、越後へ流刑にされ、赦免後各地を行脚していた親鸞聖人だった。
 聖人はたいへん喜び、十字の名号を書いて佐五郎夫婦にあたえた。夫婦はますます信心を厚くし、聖人を崇敬した。
ある日、佐五郎は
「貧しくて何もおもてなし出来ませんが、召し上がってください」
と言って、梅干しをお膳につけて出した。
 すると聖人は、それを食べたあと、梅干しの種を庭に植え
 「後の世のしるしのために残し置く
 弥陀頼む身の便りともがな」

という歌を詠んで立ち去った。
 この梅干しの種子は翌年芽を出し、やがて大きな木になった。
 そして紅色の花を咲かせ実をつけた。
 この梅は八重咲で一輪の花から八つの実を結んだ。
 後にここに八房山梅護寺という寺が建てられた。
 後年、この寺を訪れた蓮如上人が
 「八房の梅のみのりもおちおちて
 末に残るは弥陀の一実」

という歌を詠んだ。
 現在、この梅の大木は枯れてなくなっているが、その根から芽を出した二代目の木はこの不思議な仏徳を伝えている。
 この木は昭和二年、国の天然記念物に指定されている。

小山直嗣『新潟県伝説集成下越篇』 
八房の梅

八房の梅は先に紹介した逆さ竹と同じく、越後七不思議の一つである

 越後七不思議は親鸞聖人にまつわる話だが、食事にまつわる話が多い。
 八房の梅を含め七つあるうちの4つ(八房の梅、焼鮒、三度栗、つなぎガヤ)が食事にまつわる話である。
 それも焼いた鮒がよみがえったとか、焼いた栗を植えたら芽が出て育ったとか、一度命を失ったものが新たに命をいただくという話が多い。
 八房の梅も、もとは梅干しの種であった

 食事とは命をいただくこと。
 動植物に限らず命を有していること。

 ということが、親鸞聖人の教えの根底にあったからであろうか。
 だからこそ「死んだ人間を生き返らせた」とか「海を割った」「杖を挿したら清水や温泉が湧き出た」などの派手な奇跡でなく、ささやかな食事という命をよみがえらせるという「不思議」が語り継がれているのだろう。

梅護寺

 梅護寺は、訪れてみると、そこまで大きくはない。ありふれた地方の寺院である。
 本堂があり、細やかな庭園がある。
 親鸞聖人の奇蹟ということもあり、その像がある。


親鸞聖人像

 寺の庭の大半が八房の梅が植えられた梅園であるが、それもそこまで大きくはない。

八房の梅 庭園

 近くに、これも親鸞聖人にまつわる数珠掛桜という桜の木があるのだが、梅の咲いている時期に行ったので、まだ咲いていなかった。

八房の梅 数珠掛桜両後旧跡 碑

 八房の梅は、八重咲で、それも梅としては珍しくあるが、実のなりかたが房になって結実するという梅にしては珍しい実のつき方をするらしい。
普通の梅の木が、どのように結実しているか、あまり注意をして見ていないので分からないが、たしかに房になるほど実ってはいない気がする。
 たわわに房状になって実る梅は、当時の人達にとっては、変異種というよりは豊作のシンボルとなったであろう。
 現在より、農作物の出来が天候などに左右される時代にあって、”豊作”こそは、まさに人智を超えた”不思議”そのものだったのである。

八房の梅

 ”人を超越した力”で魔物を屈服させるような”法力”などでなく、梅干しの種を地面に植えたら、たわわに実る梅の木が生えてきた、という穏やかでいて、しかし確実に生命を紡ぐそんなささやかな”不思議”の話こそが親鸞の教えの在り方を示すものなのだろう。
 そこに何を感じるかは、個人の心の在り方となるのではあるが。

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