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【怪異譚】完成されないレクイエム

1.18世紀後半  オーストリア

 時代は18世紀後半、オーストリア、ウィーンでの話である。M・シュミットという音楽が自室で首を吊っていたところから話は始まる。
 音楽家といっても、彼の作品は当時は全く評価されず、生活は困窮に貧していたため、それを苦にしたものとして、その時は完全に処理された。

 問題は彼の机の上にあった書きかけの楽譜を彼の音楽仲間のC・ハイデガーが見付けたことであった。それはレクイエムであったが、それまでのシュミットの作品とは全く異なっていた。
 彼の作品は友人の目から見ても、売れなくて当たり前の凡庸なものであったが 、その作品だけは別人が作ったとしか思えないほど怪しい美しさを放っていた。
 それは楽譜を一見しただけで分かるほどだった。

 ハイデガーはその作品を友の遺品として譲り受けた。そして、その作品に少し手を加え、完成品にした上でシュミットの葬儀の時に自ら演奏した。すると、それまで晴れ渡っていた空が、にわかに曇り始め、一筋の雷光が、シュミットの棺桶を直撃し、さらに続いてハイデガーを直撃した。

 ハイデガーは即死、シュミットの棺桶は黒焦げになった。その後、幾つかの楽団が、ハイデガーが完成品にした、このシュミットのレクイエムを演奏しようとしたが、ホールが火事になったり、指揮者が突然死ぬなどの事故があいついだため、誰もそれを演奏しなくなった。というところで第一幕は終わる。

 青天の霹靂などと記すと、非常に出来過ぎている感もあるが、少なくともこのレクイエムの周囲に多くの犠牲者が出たことは確かであり、当時の人々の日記にも記されている。

2.20世紀末 オーストリア

 第2幕は時代を下って1970年代、またもやオーストリアでの話である。
 ザルツブルグの大学の研究室でF・フォン・カウフマンという学者が死没した。死因は心臓麻痺である。カウフマンの年齢を考えると、それほど珍しいことではないのだが、一点奇妙な所があった。その表情が、かなりゆがんでいたのである。
 それは、とても心臓の苦しさだけではないような恐ろしい表情(その顔を見た同僚は「世界の終わりを見たような表情」であったと表現している)をしていたのである。カウフマンは自らの机にうつぶせになって死んでいた。その机の上には書きかけの論文の原稿と古い楽譜があった。

 論文は『音楽の呪術生について』と題されたものであった。カウフマンの専門分野は音楽心理学と呼ばれるもので、一時、話題になっていたアルファー波と音楽の関係や、音楽が人間の心理にどのような影響を与えているかを観察するものであった。
 彼の主な著書にはヴィヴァルデイの協奏曲によって快復したパラノイア患者の記録を記した「『四季』の奇跡」やゲーテの創作心理に音楽がどのような影響を与えたかと言うことを考察した『ファウストは何を聴いたか』などがあるが、この論文もその類のものだと、発見された直後は考えられた。しかし、内容が証されるにつれて、この論文の恐ろしさが明らかになっていたのである。

 論文は三部構成になっている。第一部では、文化人類学的見地から、音楽と呪術との関係を考察したものであった。それはカウフマンの今までの研究とは異なるものの従来の学説をまとめたものに過ぎず、それほど目新しいものではなかった。
 第二部は第一部でまとめた呪術的音楽の物理学的効果の探求である。たとえば音楽と植物の生長の関係、あるいは雨乞いの音楽で実際に雨が降るかなど。前者は現在盛んに研究されているし、後者もいささかオカルスティックではあるが、従来の研究の枠組みを破るものではない。このように一部、二部を読む限りにおいては、カウフマン自体の専門からすれば、かなりの冒険ではあるが、一般的にはそれほど目新しいものではない。むしろ、専門領域からはみ出しているためにカウフマンはかなり押さえた書き方をしているという感もある。

3.レクイエムに隠された秘密

 問題は第三部である。この章には「音楽の呪術生としての具体例-シュミットのレクイエム」という副題がつけられている。そう、カウフマンもやはりシュミットのレクイエムに呪われた一人であり、彼の死処にあった楽譜とは「シュミットのレクイエム」だったのである。
 記し忘れていたが、カウフマンの論文を最初に発見した友人も間もなく他界した。その後、論文を保管していたカウフマンの大学でも不幸が続いたので、現在はザルツブルグの教会に楽譜と共に保管されているという。

  問題のカウフマンの論文、第三章の前半はシュミットのレクイエムの影響がどのようなものだったかということを歴史的に検証したものである。このことに関しては簡単にではあるが前記したので省略する。
 後半は楽譜を見ることによって、それを心理学的に分析するというカウフマンの専門分野での解析である。しかし『楽譜を見る限りでは、作者のシュミットがいささか分裂症気味のようでもあるが、聴者に関して言えば影響は全く考えられない』という、いささか拍子抜けの感がしないでもない結論を出している。しかし、カウフマンは第一章、第二章で得た新しい知識を使って驚くべき結果を発見した。

 カウフマンは楽譜を詳細に研究することにより、幾つかの奇妙な点を発見した。ご存じの通り、1オクターブは7音である。これに半音をつけると14音となる。
 普通は、コードがあるので、全ての音に半音をつけることはないであろう。ところがシュミットの楽譜には全ての音に半音がついていたのである。しかも音域がかなり広いのである。
 2オクターブ以上も音域が広がる作品はかなり少ないのではないだろうか。しかもこれほどまでに不揃いな音の集まりであるながら、それでも一見しただけで怪しい調和を保っているのである。このことは、何を意味しているのだろうか。

 そしてカウフマンは発見したのである。カウフマンはまず、この曲に使われている音が全て合わせると29音であることを発見した。これはドイツ語のアルファベットに一つ足りない数である(つまり英語のアルファベットより3音多い数である)そして、音を一つ一つアルファベットに変えていくと、どうやらエスツェットがssになっているらしいこと、つまり2つの音で一つのアルファベットを表しており、これ以外は全て一つの音は一つのアルファベットと対応していることを発見したのである。
 そして、その発見から新たな事実が判明した。シュミットのレクイエムは一つの意味を担っていたのである。解読すると『悪しき思いに見いだされて・・・』で始まるこの言葉は、実は黒魔術の呪文の一つであり、悪魔を呼ぶ言葉であった。
 シュミットのレクイエムにはこのような謎が隠されていたのである。

 ところで思い出して欲しいことは、シュミットの楽譜もカウフマンの論文も未完であるということだ。つまり、この音楽についての謎は完全には解かれていないのだ。
 カウフマンも謎を解いたと言っているが、結局は「世界の終わりを見たような表情」で他界した。つまり、この楽譜の謎を解いて完全なものにし、悪魔を自分のものにした者は誰もいないのだ。
 結局、この楽譜は完成されないのかもしれない。
 音楽とは、非常に完成されたものである。そして、完璧なものに対する人間そのものの不完全性、欠落性、そのようなものをこの楽譜の話は端的に暗示しているような気がする。
 それでも、この話を聞いて、興味を持ち、この楽譜の謎を解きたいという人は、ザルツブルグの教会まで行ってシュミットの楽譜とカウフマンの論文を借りればよろしい。
 私は責任を持たないが。

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