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【ふしぎ旅】二荒神社
新潟県小千谷市に伝わる話である。
昔、蓮華谷に弥右衛門という百姓が住んでいた。弥右衛門にはお妙という美しい娘があった。
このお妙が風邪がもとで寝込んでしまった。
弥右衛門は医者や祈祷師に見てもらったり、信濃川の魚を食べさせたりして、看病につとめたが、病気は重くなるばかりだった。
ある日、弥右衛門が、お妙に魚を食べさせようと、いつものように網を持って信濃川へ行き、漁をしたが一匹もかからなかった。
そのうち日も暮れようとしたので、もう一回だけと、網を打ったところ、木の「ころ」が一つかかった。
引き上げてみると神像だった。
弥右衛門はこれを持ち帰って神棚に安置し、毎日拝んでいたら、お妙の病気が日ごとに治っていった。
この霊験あらたかな神様は、その後に家の鬼門の方向に堂を建ててまつった。
これが二荒神社のはじまりだという。
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二荒神社は、今も街中にひっそりとあるが弥右エ門が住んでいたという蓮華谷という住所は現在存在しない。
どうやら、元町の湯殿川沿いの地形を蓮華谷と呼んでいたらしい。
たしかに五智院のあたりからだと、二荒神社がちょうど鬼門となるあたりだ。
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しかしこの弥右衛門というもの、娘を医者や祈祷師に見てもらったり、鬼門の方向に堂をつくり祀るなど、百姓と言われつつ、かなり裕福で知識もあったのではと思わせる。
江戸時代につくられた小千谷陣屋の場所も、やはり蓮華谷であったらしいし、この地域はかなり格式の高い場所であったのだろう。
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そもそも祀った堂が、二荒神社という名前であったり、地元では「にっこうさま」などと呼ばれていることから栃木県日光の二荒山神社からきていることは明らかである。
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また、この神社の成立が室町時代後期と考えられるということから、日光東照宮が出来る前の話で、将軍様にあやかってという類の話ではなさそうだ。
なので、弥右衛門という百姓は、江戸時代での単なる農民という意味の百姓でなく、それ以前の時代のもっと自治的な地区のリーダー格で、侍とそう差はなかったかもしれない。
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二荒神社は、訪れてみると街中にある小さな神社だ。
信濃川を見下ろす高台につくられている。
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敷地は広いが社殿は小さいし、境内も目立ったものはない。
もっとも、中越地震の時に鳥居が倒れたりと被害が大きかったようなので、そのせいかもしれない。
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石碑や祠はあるが、それほど古いものでもなさそうだ。狛犬が江戸末期に作られたということなので、それが一番古いか。
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さて、伝説にある神像であるが、調べてもなかなか見つからない。
無形文化財にも指定されている祭礼(巫女爺(みこじい)人形操り)などは出てくるのだが、神像に関しての情報は皆無である。
社殿の中をのぞいてみたのだが、暗くてそれらしいものは見えなかった。
川に網をかけたら仏像や神像がかかったという伝説は、他地域でも少なくないので、この話もそのような話が混じったのではないかと思う。
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