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言葉の力って素晴らしい!

今回は、先日書いた石原慎太郎さんの「私という男の生涯」の続きです。

先日書いた記事で、死というテーマを感じたと書いたんですが、自分の中でいまいち納得できていなかったので、再度書きます。

老いに絶望しながらその気持ちを赤裸々に書く

石原慎太郎さんが脳梗塞になり、幸いにも早期の発見で大事には至らなかったものの、軽い障害が手にのこり、死というものを意識し、自伝を書こうと思い立ったと書かれています。だんだんと体が言うことをきかなくなることに対し、嘆き、ある意味絶望に近い思いを抱くようになるので、死を暗示させるというのはあながち間違いではない。

ただ、本当に思ったことはそういうことではなくて、言葉の力は偉大だなということです。つまり、80も過ぎ、脳梗塞を患い、僅かながら障害を抱えるということはどういうことなのか、そしてどんな気持ちを抱えるのかはなかなかわかりません。それはなぜかというと、そのような状況に陥った人が文章を書くということをする人はほとんどいないからですね。

老いに対して絶望を感じながら、その気持ちを赤裸々に書いていくということがなんと貴重なことかと思いましたね。

話題の人がどんな思いを持っているのか

それから、話題を集めている人がその時どんな思いを持っているかは知りたいと思うことが多々ある。周囲から見て想像するものの、違うということがよくあります。政治家のときどんな思いだったのか、知事のときはどうだったのかなど、本当のところを知るところができます。

これもひとえに石原慎太郎さんが偉大な作家だからですね。やはり、言葉の力は偉大ですね。

「天才」という作品も驚き

ちょっと前の作品になりますが、田中角栄の生涯を描いた「天才」という作品があります。これ読んだとき驚きでした。なんと一人称で書かれてるんですね。つまり、全編田中角栄の視点で描かれています。

つまり、田中角栄がどんな思いだったのか、想像しながら、憑依しながら書いたのは素直にすごいですね。これもひとえに大作家としての言葉の力があったからでしょう。

今は動画の時代と言うけれど

今は文章ではなく、動画の時代だと言うけれど、(いや、メタバースの時代かwww)まだまだ文章も捨てたものではないなと思わされました。というか、文章は文章のよさがあり、動画は動画のよさがある、ただそれだけの気がします。

「「私」という男の生涯」を読んで、言葉の力を感じたというのが本当に感じたことというお話でした。最後まで読んでくれてありがとう!

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