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変わる力

 わが子のために、可能であれば、少しでも良い環境をと願うのが親です。ロンドンに住むイギリス人の友人は、以前、娘の学校のために引っ越し、所属する教会も変えました。子どもの教育のために、評判の良い学校のある校区にわざわざ引っ越すということも聞く話です。まるで孟母三遷の現代版です。中国、戦国時代の思想家である孟子の母親は、お墓の近くに住んでいた時、孟子が葬式の真似ばかりするので、市場の近くに引っ越しました。ところが、今度は物売りの真似をするので、学校の近所に引っ越しました。すると孟子は礼儀作法を真似するようになったので、そこに居を構えたという有名な話です。

 環境によって人は変わる、影響を受けるということは学問的な研究結果を提示せずとも、多くの人が体験しており、納得することです。しかし、自分さえよければ、周りの人を考えることも必要ないという考えの親のもと、一流校、一流大学、一流企業というエリートのレールだけを走ってきた人には、社会的弱者と言われる人への心を持つことは難しいかもしれません。

 社会でエリートとして活躍している人の中には、自分は一生懸命勉強した、努力したから今があるのだ、機会は皆にあり、努力しない人間が悪いのだ、と自分のことだけしか考えないという人もいます。その人はたしかに一生懸命努力したのでしょう。しかし、努力することを可能とする恵まれた環境や、もって生まれた資質もあったはずです。小さい時から習い事、塾、家庭教師、書籍、参考書と、勉強のためならばお金を出すという家庭環境があったのでしょう。負け組みと呼ばれる人たちの中には、自分だって勉強をしたかった、しかし、その環境がなかったという人がいます。家庭の事情で教育を受ける機会が閉ざされた人もいます。勝ち組の人の中には、そのようなことを理解できない人がいるのです。

 受験勉強をしている子どもに「勉強さえしてくれればよい」と家のお手伝いは一切なし、という育て方は問題です。勉強は大切ですが、家族の一員として日常的にお手伝いをするのは当然のことです。お手伝いを通して、人のためにすることの喜び、大切さを学ぶのです。感謝もうまれます。時には失敗をするでしょう。相手がいることですから、自分のしたことがうまく伝わらないこともあるでしょう。そのような体験を通して、自分が変わっていく、成長していくのです。

 大人はそれまでの人生において、すでに価値観が形成されており、変わるのが難しいという考え方があります。これは、社会化の捉え方によります。社会化とは、個人が社会や集団に容認された行動形態、言葉、ものの考え方などの規範を習得することです。ひとたび社会化され、その規範にもとづいて生きていけば、その社会集団内では大きなトラブルを引き起こすことはないでしょう。しかし、交通手段の発達と雇用形態の多様化により、現代は移動性の高い社会に変わってしまいました。生まれ育った地域社会で一生過ごすということは少ない時代です。一つの環境に適応しても、しばらくして、親の仕事で引っ越し、また別の環境に適応しなければならいという時代です。社会人になっても続きます。自分が生きる社会集団の環境も変化していきます。

 今は、幼年期、青年期だけでなく、成人期にも社会化が必要な時代なのです。わたしたち大人も変わらなければならないのです。中高年にも社会化が求められる社会、変わる力は永遠に必要です。自分が正しいと思うひとつの規範に頼っていると、まわりの人の状況も見えてきません。新しいもの、異質なものにチャレンジする姿勢が必要です。チャレンジの過程で、自分自身の至らなさや自分とは異なる規範をもつ人の存在に気づかされます。それが、他者の尊重、「思いやり」につながるのです。


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