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洪水がすべてを奪った

大きな物音がすると、心が引き裂かれるようで耐えられません。自信をすっかり失ってしまったようです。独りになるのが怖いのです。嵐も怖い。悪夢を見ます。以前の自分とは別人のようです……。

 これは、『そこにすべてがあった  バッファロー・クリーク洪水と集合的トラウマの社会学』に出てくる被災者の言葉だ(同書, p.152)。

 本書は社会学の災害研究において古典とも言える1976年に刊行されたEveryshing in Its Path の訳書である。2012年に刊行された第2版を底本としている。著者のカイ・T・エリクソンの父は発達心理学者として有名なエリク・エリクソンだ。

 カイ・エリクソンの研究者としてのスタートとしては社会学・歴史社会学の観点からピューリタンの生活を研究したものがあるが、本書を機に様々な人的災害を研究している。

 本書を紹介するのは、個人的な理由と本書の内容が今もなお色あせず、重要な視点を提起しているからである。まず、個人的な理由だが、本書は大阪大学の元大学院生3人(宮前良平、大門大朗、高原耕平)が翻訳したものである。私自身その3人をよく知っている。とりわけ、第1翻訳者の宮前良平さんは、今、私の同僚でもある。大阪大学大学院人間科学研究科で博士号を取得し、現在、同研究科の共生学の助教をしている。

 宮前さんは、東日本大震災の被災地をはじめ熊本地震や各地の水害などの被災地に関わってきた。その彼が、本書の最後に「空白と傷 訳者解題のためのノート」を記している。これが本当に素晴らしい。本書の紹介のみならず、この研究の意義、そしてこの領域に関わるものとしてのあり方を、彼自身の苦悩の体験をもとに書いている。

被災された方々と被災していない自分の間には大きな隔たりがあると感じ、自分が被災者の体験を伺うと、その胸の内に土足で上がりこんでしまうことになるのではないかという怖さを抱えていました。         (p.344)

 宮前さんは東日本大震災の津波の状況をテレビで見ていた。そのことを彼はこう綴っている。

それからずいぶん長い間、私は逆らいがたい悲しみを感じていました。その一方で、もっとつらい思いをした人がいるのに被災していない自分が悲しんでいていいのだろうかとも思いました。私の目の前にはどうしようもなく変わらない日常がありました。比べることではないとわかっていても、被災された方々の生活状況を知るほどに、こんな自分が傷ついていてもいいのかと思えてなりませんでした。                                                           (p. 337)

 宮前さんは、このような状況を無傷の傷と呼んでいる。彼自身の「無傷の傷」の体験から、当事者と非当事者の固定化された構図を乗り越える方途を模索する。そして、それは本書の翻訳にも影響を与えている(傷の翻訳)。また、復興による喪失について自らの東北での体験をもとに以下のように記している。

復興によって失われるものがあることに東北に通うようになってから気づきました。例えば、津波で流された母親の家を探しに来たおばあちゃんが「写真をなくしてしまえば、思い出すことがあったと言うことも忘れてしまう」と言っていました。                                                                    (p.341)

 ぜひ、宮前さんのこの「空白と傷 訳者解題のためのノート」を読んで、そして、本書全体を読んで頂きたい。

 1972年2月26日、アメリカ・ウエストバージニア州にある炭鉱町バッファロー・クリークの集落を、大雨による大量の水と鉱山ゴミが黒い水となって襲いかかった。本書は、このバファロー・クリーク洪水災害が、「それを生き延びた人々にとってどのような意味を持つのか、どのようにかれらの人生に影響を与えたのか」(同書、p. 46)を明らかにしたものである。

 私自身も、阪神・淡路大震災(兄が神戸に住んでいて被災)をはじめ、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨などの被災地に足を運んだ。その中で、一人の人間としての関わりと、研究をするものとしてのあり方で悩むことがあった。カイ・エリクソンは、本書の冒頭に書いている。

社会学者が通常の仕事で出会うものとはかなり違った切実さが、本研究にはあったということである。そしてこの切実さは研究の方向性に影響を与え、社会学における既存の方法論への新たな提案にもつながっていった。                                                                                                                       (p.10) 
伝統的な手法は、人間の経験という個々人の離散的な瞬間を調査するには、適していないのである。社会学者は、人々が興味のある、より一般的なテーマに光を当てようと調査対象を切り取ってしまいがちだ。分析対象の「事例」は、より大きな「一般化」に資するはずだという期待のもとに選択されているのである。一方、私のバッファロー・クリークでの仕事は、一人ひとりの人間に起きた出来事一つひとつに光を当てることを目的としていた。
                                                                                                               (p.11)

 カイ・エリクソンがどのように関わったのか、どのように被災者の声を受けとめて書き記したのか。

私は未だに自責の念に駆られています。彼女は抱いていた子どもこちらに投げようとさえしていたのに。私は助けに行こうとしなかった。その家では六人全員が溺死しました。彼女は腰まで水に浸かりながら立っていました。家族全員溺死したのです。                                                             (p.157)

 このような個別的トラウマに加えて、集合的トラウマから被災者の経験をとらえることが大切とカイ・エリクソンは指摘している。集合的トラウマは、人びとを結びつけていた絆(cmmunality)が破壊され、コミュニティーの内に生きているという感覚が傷つけられること、「社会生活の基本的構造が打撃を受ける」ことによって起きる(p.176)。

夜になると、涙で目が覚めます。ダムから水があふれてきて、私の家や服、家具や車を壊していくのが見えるんです。生活に必要なもの全部を、ものの数分で失いました。友人が私に助けを求めながら溺れていくのが見えます。私はもう二度と同じ人間には戻れません。(p.180)

  カイ・エリクソンは、community(共同体)ではなく、cmmunality(共生性、つながり))」という用語を使っている。コミュニティーの喪失とは、特定の村落のことではなく、「人間の生活環境を形づくっている網目状の人間関係」(p.219)のことを意味し、それを強調するためにcommunalityを用いているのだ。

 水害が多くの地域で発生している。安全地帯にいる自分と危険な状況にある誰かという分断がなくなった。本書は、45年も前のアメリカについての書であるが、今もなおその意義は色あせていない。今こそ読む意義ある一冊だ。


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